書評
『最愛の子ども』(文藝春秋)
恋愛?友情?友愛? いいえ…
世の中には恋愛や友情や友愛といった言葉があって、誰でも使うことができる。けれど、人と人との関係をじっと見つめるなら、どれも恐ろしいほどに唯一のものであり、本来的には名付けることなどできはしないのだと気づく。松浦理英子のこの小説に出てくる少女たち、玉藻学園高等部二年四組のクラスメイト〈わたしたち〉は、三人から成る〈ファミリー〉を設定する。疑似家族。その様子を日々眺めて慈しむ。日夏はパパ、真汐はママ、空穂は王子様(子ども)だ。各自が現実に抱える、家族との摩擦や葛藤、苦痛と傷。見えない将来をぼんやりと思い描きながら、少女たちは目の前に展開する現在を抱きしめ、自分なりの方法で愛する。
「日夏は触り方がうまいというか触れられた者が気持ちよくなる触り方をすることは、わたしたちも身をもって知っている」。少女たちの身体的接触に、これほど優雅で安らかなかたちを与えられる作者は他にいないだろう。三人の関係も生き物のように変化する。真汐の胸に、疎外感がひろがる。日夏がいなくなる日を想像し、真汐は「心を鍛える」ことを決意する。「やがてはわたしの心は何があっても壊れないほど強く鍛えられるだろう」。危ういバランスや外側からは気づかれることのない心情の変化が、じつに繊細に捉えられ、描かれる。
少女たちは卒業後の離別を予感している。それでも、儚いからこそ強いといえるほどの関係が、ここには確かにある。空穂の母・伊都子さんが娘と日夏の関係を非難し、事態は大きく変化するのだが、騒ぎの中にあっても少女たちはどこかクールだ。混乱と困難を淡々と受け止めて溶かしてしまうようだ。全体が〈わたしたち〉によって集められた情報やエピソードから成る、という姿を持つ小説。名付けることのできない関係は、名付けないまま生きればいいと、この小説の姿は強く告げている。
朝日新聞 2017年06月18日
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