書評

『親指Pの修業時代 上』(河出書房新社)

  • 2024/01/05
親指Pの修業時代 上  / 松浦 理英子
親指Pの修業時代 上
  • 著者:松浦 理英子
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:文庫(368ページ)
  • 発売日:2006-04-05
  • ISBN-10:4309407927
  • ISBN-13:978-4309407920
内容紹介:
どこにでもいる無邪気で平凡な女子大生、一実。自殺した親友の四十九日の翌日、眠りから目覚めると、彼女の右足の親指はペニスになっていた。突然現れた親指Pに困惑し、揺れ動く人々。そして無垢だった一実にも徐々に変化が訪れ-。驚くべき奇想とユーモラスな語り口で大ベストセラーとなったあの衝撃の作品が、待望の新装版に。

パラレル・ワールドの旅

『親指Pの修業時代』というタイトルを目にしたときにただちに想い浮んだのは、「親指トム」や「親指姫」などの侏儒の登場する変身譚だった。そのPがペニスを意味するカフカ的装置であることを知ったのはプロローグを読み始めてからである。もうひとつ連想したのが、ゲーテの『ウィルヘルム・マイスターの徒弟時代』『遍歴時代』で、ことによるとこの小説のテーマは旅ではないかと直感した。

松浦理英子のこれまでの作品は、どちらかといえばスタティックなものが多かった。いや、寡作だから、ほとんどすべてというべきかもしれない。それは主人公の女性があまり行動的ではなく、常に受身でいることがひとつの理由だろう。たとえば『ナチュラル・ウーマン』の容子にとって男女間のセックスは「つまらない」ものであり、にもかかわらず試みたのは、「女である以上は」「やらなければいけないって言うか、やるものだ、と思ってた」からにすぎない。彼女は積極的な女性花世とレスビアンの関係を持ち、「これぞ正真正銘のと呼べる、純正で理想的な、セックスの典型」というものが何であるか知りたがってはいるが、それを追求するほど果敢な行動には出ないのである。したがって、恋愛における人間関係も主に一対一であり、そのことが作品のダイナミズムを弱める結果になっていることも否めない。確かにこれまでの作品は、いずれも密室劇的なところがあった。歴史的な時間を用いず、社会性を排除していることも、作品のスケールを縮小こそすれ決して拡大しない原因だったといえるだろう。

だからこそ、今回の作品のタイトルが旅を暗示しているのだとすれば、作者の新境地を示すものとなるだけに、大きな興味をそそられたのだった。それと同時に、「修業時代」という言葉から、ある種のイニシエーションが行われるのだろうということも予想した。いずれにせよ、これまでになく動きのある作品を期待させたのである。

主人公一実が、自分の右足親指がペニスに変ったのを知ったのは、昼寝から覚めたときである。『オーランドー』の主人公が性転換したのも眠りの後であるが、「開闢以来、かくも魅惑的な人は見たことがない。彼の姿は、男の力強さと女の優美さを兼ね具えていた」(杉山洋子訳)とされるオーランドーの七日間の昏睡後の変身に比べると、昼寝の後の親指の変身は少しもドラマチックではなく、いかにも卑小で小市民的である。が、この卑小さが小説にときにユーモアをもたらし、親近感を抱かせる。たとえば、一実が親指ペニスをこすったときの感じを次のように表現するとき、聞き手の作家Mならずとも笑い出さずにはいられない。

「夢の中でも感覚ってあるんですねえ。摑んだだけで親指ペニスは、何と言うか、いいんですよ。」

「ああ男根の七不思議」とうたわれるように、ペニスというのは男にとっても不可思議な一物なのだが、それをあらためて親指Pという形でカリカチュアライズされると、ますます不可思議かつ滑稽なものに感じられてくる。その点で、去勢ではなく、ありえぬ(だがさもありなんという)場所に付加してしまうという作者の取った戦略は、ファロセントリズム(男根中心主義)に対する猫だましと言えるだろう。親指Pの発明はまさにコロンブスの卵である。かりに主人公をいわゆる「ヘルマフロディトス」にしていたならば、グロテスクかつ無気味になり、小説から前述の特性はすべて失われていたはずだ。

第一部では一実が、親指Pを持ったことによりボーイフレンドとうまくいかなくなることが語られる。親指Pは男のコンプレックスや深層心理を暴き出す装置として機能してしまうのだ。彼にあやうく「去勢」されそうになった一実は、盲目のミュージシャン春志に助けられる。そして彼の無垢の愛ともいうべきものを受け入れるとともに、必ずしも性器結合に収斂しない交わり方を知る。しかも春志がバイセクシュアルであることも知るのだが、それを異常とは感じない。一方、春志の愛人である女性に親指Pを強姦されたりもする。そんなとき、「性にまつわる器官に普通の人と大きく違った特徴がある」メンバーから構成される〈フラワー・ショー〉という見世物一座に参加することを勧められる。

ヴァギナに歯の生えた女や体内に隠れたシャム双生児の弟のペニスを使って性交する男など様々なフリークたちの一団は、本来はさかしまな世界を作っているわけだが、既にフリークとなった一実にとってそのパラレル・ワールドは必ずしも異常ではないし、団員もごくまっとうな人間たちである。その意味では、同じパラレル・ワールドのフリークたちでもドノソの『夜のみだらな鳥』やブニュエルの映画に登場する性悪な連中とは異なり、むしろホドロウスキーの映画に出てくるある種のフリークに近いかもしれない。ショーを見た一実は団員に強い興味を抱き、春志とともに一座の巡業に参加することを決意する。ここまでが第一部で、第二部では一座の巡業の模様が語られていくのだが、一実の旅は、実際にはボーイフレンドから離れたときに始まっていたのだ。それは、性と愛についてステレオタイプな考え方を持っていた彼女が、親指Pの発生とともに自分の考えに疑問を抱き始めたことを意味する。

しかし、第二部ではマイクロ・バスに乗っての巡業という本格的な旅が始まる。そう、タイトルに予感した旅である。しかもそれは匿名の観客を相手にするアンダーグラウンドの舞台を回る旅であり、その意味ではこれもパラレル・ワールドの旅といえるだろう。ここから彼女のこれまでの作品では希薄だった特徴が強く現れてくる。すなわち、遍歴小説、主人公を試練する小説、教養小説といった性格が、はっきりと見えてくるのだ。中でもこの作品は、「ゲーテと教養小説」でバフチンの言う「試練の小説」そしてその後に現れる「教養小説」の特徴を数多く備えている。といってもそれらのジャンルに収まるわけではなく、あくまでそれらの変種であることはいうまでもない。

試練小説についてバフチンは、それが「ノーマルな社会的で伝記的な生の歩みからの逸脱が生ずるところに始まり、生がふたたびノーマルな軌道にのるところで終わる。このゆえに、試練小説の様々な出来事は、それがどのようなものであっても、変化を生じた生の諸条件に規定される生活の新たなタイプを、新たな人間の生涯を創り出すことはできない。」(佐々木寛訳)という。親友の自殺と親指ペニスの発生というアブノーマルな出来事に始まる物語において、主人公の一実は様々な試練に耐え、敵を退ける。だが彼女は、世界の中ですべてをそれぞれの位置にあるがままにしておき、世界の社会的な相貌を変え、再構築しようと試みなかっただろうか。もし試みなかったのであれば、一実は「不毛で非創造的な性格」を持った試練小説特有の主人公ということになる。

しかし読者は、彼女が弟のペニスを切り取ろうとするシャム双生児の兄の行為を阻んだことを知っている。さらに歯の生えたヴァギナに進んで親指Pを挿入したことも。一実は明らかに積極的に世界と関わろうとしたのである。この行為をきっかけに〈フラワー・ショー〉のメンバーたちの考え方、行動が変化する。しかも盲目の春志の目に光が甦りさえするのだ。こうしてみると、この小説は間違いなく試練小説から逸脱している。

では、『ウィルヘルム・マイスター』が属する教養小説の場合はどうだろう。バフチンによれば、これは「形成されゆく人間の形象を提示するタイプ」の小説で、そこには主人公の形象のダイナミックな統一が見られるという。「この小説の数式にあっては、主人公そのもの、彼の性格が、変数なのであ」り、「主人公自身の変貌が筋立てとしての意義を獲得しており、またそれと関連して、小説の筋立て全体も根底から再認識され、再構築されている。」確かに一実の変貌は、筋立てとしての意義を獲得し、そのことが破綻とも見られる最後のスラップスティックスを要求したのであれば、むしろそれは破綻ではなく必然ということになる。さらに、〈フラワー・ショー〉体験を一実にとっての学校と看做せば、『親指Pの修業時代』は「世界および生を体験として、一個の学校として描き出す」という教養小説の特徴をも備えていることになる。

ここでバフチンにもう一度耳を傾けよう。彼は『ガルガンチュワとパンタグリュエルの物語』『阿呆物語』、『ウィルヘルム・マイスター』を引き合に出し、次のように言う。

(これらの)小説にあっては、人間の形成は別の性格を帯びている。それはもはや彼における私事なのではない。彼が形成されるのは、世界と共にであり、みずからのうちに世界そのものの歴史的な形成を反映している。彼はもはや一時代の内部には収まりきらずに、二つの時代の境界上に、一つの時代から別の時代へと移行する点の上に位置している。この移行は彼の内部で、また彼を通して成就される。彼は新たな、かつてないような人間のタイプたることを余儀なくされる。問題となるのはまさしく新しい人間の形成ということである。(……)変化するのは、まさしく世界の土台なのであって、人間もそれに伴って変化を余儀なくされる。(「ゲーテと教養小説」佐々木寛訳)

松浦理英子を論じるのに、大袈裟な引用だろうか。彼女は常に性に関心を持っているが、それだけに性を通して世界の動きを捉えている節がある。そしてその捉え方を見るとき、彼女はもはやこの時代の内部には収まりきらないことが分る。たとえば彼女をフェミニストと呼ぶとき、どこかそぐわないのは、今の時代のフェミニズムからはみ出たところにいるからではないか。ことによると、まさに「二つの時代の境界上に、一つの時代から別の時代へと移行する点の上に位置している」のかもしれないのだ。

その意味で彼女と比較したいのがマヌエル・プイグである。彼は『蜘蛛女のキス』『天使の恥部』において、女性がなぜ父権制的な社会で作られる女性のステレオタイプに自ら同一化していくのかというそのメカニズムを、四〇年代ハリウッド映画との関連で分析しようとしたが、その試みは少なくともラテンアメリカの中では最も早いものだったといえるだろう。彼の同時代の批評はまったく彼についていけなかった。だから松浦理英子の評価をめぐってフェミニストの評価が分れるのは、やはり彼女が二つの時代の境界上にいることを意味しているのかもしれない。

いずれにせよ、『葬儀の日』から『親指Pの修業時代』まで、彼女は絶えずパラレル・ワールドを描き続けてきた。その軌跡自体がパラレル・ワールドの旅に見える。

【下巻】
親指Pの修業時代 下 / 松浦 理英子
親指Pの修業時代 下
  • 著者:松浦 理英子
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:文庫(368ページ)
  • 発売日:2006-04-05
  • ISBN-10:4309407935
  • ISBN-13:978-4309407937
内容紹介:
新しい恋人、春志と、性的に特殊な事情を持つ人々が集まる見せ物一座“フラワー・ショー”に参加した一実。だが、一実自身は同性である映子に惹かれてゆき、そして―果して親指Pを待ち受ける運命は?性の常識を覆し、文学とセクシャリティの関係を変えた決定的名作が待望の新装版に。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

親指Pの修業時代 上  / 松浦 理英子
親指Pの修業時代 上
  • 著者:松浦 理英子
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:文庫(368ページ)
  • 発売日:2006-04-05
  • ISBN-10:4309407927
  • ISBN-13:978-4309407920
内容紹介:
どこにでもいる無邪気で平凡な女子大生、一実。自殺した親友の四十九日の翌日、眠りから目覚めると、彼女の右足の親指はペニスになっていた。突然現れた親指Pに困惑し、揺れ動く人々。そして無垢だった一実にも徐々に変化が訪れ-。驚くべき奇想とユーモラスな語り口で大ベストセラーとなったあの衝撃の作品が、待望の新装版に。

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