書評
『フリッカー、あるいは映画の魔〈上〉』(文藝春秋)
映画にまつわる最初の記憶といえば、オードリー・ヘップバーンが盲目の人妻に扮した『暗くなるまで待って』。死んだかと思っていた侵入者が、ガバッと起き上がりオードリーに飛びかかるラストシーンの衝撃といったら! 子供だったわたしは手にしていたポップコーンを放り投げちゃうくらいビックリして、挙げ句、ヒステリックな笑いが止まらなくなったものだ。でも、考えてみると不思議。映画はイリュージョン、つまり幻影にすぎないのに、なぜ、人はそんなものを観て、泣いたり、笑ったり、怖がったりできるのか。それは映画が虚実の境を見失わせるような視覚のトリックを利用し、観客の感情や思考を操作するテクニックを追求することに長けた魔術的メディアだからだ。
そんな映画のマジカルな歴史を背景に、ハリウッド版ゴシック・ミステリーとして、またキリスト教より古い起源を持つとも言われる異教カタリ派が暗躍する陰謀小説として、あるいは一人の青年の恋と成長を描いたビルドゥングスロマンとして、超ド級の興奮をもたらしてくれるのが、この『フリッカー、あるいは映画の魔』なのだ。
物語はアメリカのカウンター・カルチャー運動華やかなりし六〇~七〇年代を背景に、大学教授となった主人公の回想記という形で語られていく。映画史から忘れ去られた監督の超B級作品を発見した主人公のエピソードを発端に、誰も想像し得ない異様に歪んだ驚愕の展開を見せるこの物語は、スレた映画ファンや相当の読書家をも唸(うな)らせるはずだ。映画や映写機の歴史とトリビアルな知識、虚実皮膜に関する哲学的考察など枝葉の部分も読み応えたっぷり。オーソン・ウェルズを筆頭とする実在の映画人も多々登場し、虚と実はさらにその境を曖昧にしていく。映画史とオカルトがフィルムのコマの間で遭遇した、そんな小説なのだ。いや、まったくの話、コマとコマの間に何が仕込まれているか想像したら……。これを読むと、もうこれまでのように無邪気に映画館の暗闇に身を溶け込ませるのは不可能というもの。傑作中の傑作!
【下巻】
【この書評が収録されている書籍】
そんな映画のマジカルな歴史を背景に、ハリウッド版ゴシック・ミステリーとして、またキリスト教より古い起源を持つとも言われる異教カタリ派が暗躍する陰謀小説として、あるいは一人の青年の恋と成長を描いたビルドゥングスロマンとして、超ド級の興奮をもたらしてくれるのが、この『フリッカー、あるいは映画の魔』なのだ。
物語はアメリカのカウンター・カルチャー運動華やかなりし六〇~七〇年代を背景に、大学教授となった主人公の回想記という形で語られていく。映画史から忘れ去られた監督の超B級作品を発見した主人公のエピソードを発端に、誰も想像し得ない異様に歪んだ驚愕の展開を見せるこの物語は、スレた映画ファンや相当の読書家をも唸(うな)らせるはずだ。映画や映写機の歴史とトリビアルな知識、虚実皮膜に関する哲学的考察など枝葉の部分も読み応えたっぷり。オーソン・ウェルズを筆頭とする実在の映画人も多々登場し、虚と実はさらにその境を曖昧にしていく。映画史とオカルトがフィルムのコマの間で遭遇した、そんな小説なのだ。いや、まったくの話、コマとコマの間に何が仕込まれているか想像したら……。これを読むと、もうこれまでのように無邪気に映画館の暗闇に身を溶け込ませるのは不可能というもの。傑作中の傑作!
【下巻】
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