竹田氏の痛快シリーズ「超解読」。今回は荒井氏とタッグを組み、フッサール『イデーン』の難解なテキストを相手に現象学の謎に挑む。
両氏はドイツ哲学講読会を共催、竹田氏は『イデーン』全三巻の分厚いノートを作った。本書はその第46節までを紹介。ごく一部である。
≪こう訳すことはできませんか≫≪そうは書いてありません≫の押し問答の末、荒井氏の新訳/竹田氏の超解読、が完成。≪経験科学は「事実」学である。経験の、基礎づけ的な認識作用は、実在的なものを個的なものとして定立する。/経験科学は「事実」についての学(事実学)だが、この学問は、実在物を「個的なもの」(個物)としてとらえることから出発する。≫なるほど、ふつうの日本語で、わかりやすい。
日本語で哲学ができるのか。その昔、日本語でジャズができるのか、ロックやラップはどうか、の論争があった。もうふつうに出来ている。哲学も同じ、どんどんやればいい。今回のやり方は正確で厳密で、哲学のスピリットに溢(あふ)れてとてもよい。
竹田流の「超解読」は、新しい時代に突きぬける風穴だ。大きな志をたっぷり抱えた冒険の書である。