書評

『現代思想の冒険』(筑摩書房)

  • 2017/10/27
現代思想の冒険  / 竹田 青嗣
現代思想の冒険
  • 著者:竹田 青嗣
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:文庫(250ページ)
  • 発売日:1992-06-01
  • ISBN-10:4480080066
  • ISBN-13:978-4480080066
内容紹介:
現代を果敢に切り拓くさまざまな思想の冒険。だがそのテクストはきわめて難解だ。しかし、思考の原型にまでさかのぼり、哲学の基本問題に重ねあわせてみれば、とりわけ面妖なことをいっているわけではない。この思想の冒険のあらましを大胆に整理し、先え方の基本を明快にとりだし、読者自身の日々の思考に架橋する、スリリングな入門書。
竹田青嗣さんの『現代思想の冒険』が、毎日新聞社「哲学の冒険シリーズ」から出版されたのは一九八七年春のこと。当時はまだ、ポスト・モダン思想の全盛期だった。そういう流れでこの本を手にした読者も多かったろうが、そういう時流とまったく別な狙いで竹田さんがこの本を書いていたことは、頁を繰ってみればすぐわかる。

『現代思想の冒険』は、この種の本としては驚くほどわかりやすい。初版を手に取って、そのことに私は感動した。最近ではわかりやすいこと自体、一種の流行になっている。だが当時、それは画期的なことだったのだ。

竹田さんは、「文庫版あとがき」でこう書いている。《ポストモダニズム……はその複雑さ、難解さで、奇妙な思想上の幻惑を人々に与えた。わたしがこの本を書いたのは、その考え方の基本形を取り出して、誰でもがこれに適切な判断を下せる場所にそれを置き直したかったからだ。このことは、思想が人間の生活からかけ離れて……一種の権力性を帯びてしまうことに対抗する、ほとんど唯一の手段だからである》(二四九~五〇頁)。だから竹田さんのわかりやすさを、よくある啓蒙の文体とごっちゃにしてはいけない。啓蒙の文体は、知識の格差を最初から前提にしたうえで、単なるテクニックとしてわかりやすさを装うものにすぎない。それに対して竹田さんの場合、啓蒙の根拠になっている知識の格差そのものを解除することが、戦略の根本に据えられている。そこをどう読みとるかが、読者にとって最大のポイントだろう。



さて、以上を頭に入れたうえで目次をみていくと、たった一冊の本なのに、デカルト、カントから始まる西欧思想の流れを概観できる壮大な構成になっていることがわかる。ポスト・モダンを早わかりしたくてしょうがない人は、第二章「現代思想の冒険」に喰らいつけばいい。竹田さんが独自に読みこんでいるニーチェやフッサールとじっくり付き合いたい人は、それぞれの章を読めば満足できるはずだ。終章の「エロスとしての〈世界〉」では、いまの世の中で最も見つけるのがむずかしい“生きる倫理”のヒントのようなものも見つけられるかもしれない。

私のように、思い出しては哲学の本をひっくり返してきた人間は、竹田さんがお馴染みのテクストをすんなり、しかしぴっしり押えていく様子をみると、その簡潔さに打たれてしまう。若い、哲学を学び始めたばかりの人びとは、竹田さんの本を教科書のように読むのかもしれない。それもよい。重要なのは彼という一人の人間のなかで、現代思想の多くの流路が確かに交叉している事実なのだ。



竹田さんが、専門でもないのに哲学の本を(もう一度)系統的に読み始め、このような哲学の全体を概観する本を書いたのには理由がある。

竹田さんはたとえば、こうのべる。《人間は、生活のうちでの耐え難い苦しみが、日常を超えた大きな社会の枠組からもたらされていると感じるとき、この社会の枠組を改変してゆこうと努力する。そのとき社会の全体像を思い描き、その仕組をなんらかの形でとらえようとする》(一六頁)。哲学は、そうして全体像をとらえようとした人びとの努力の産物であった。また、哲学や知識の全体が逆に、そうした社会の枠組をかたちづくってもきた。この時代の“生き難さ”を抱えてしまったら、過去の同様な人びとの思索と格闘して、そこにひと筋の活路を切り開く。いつの時代でもそれが、ほんとうに哲学をするということだったはずである。

だが、よくありがちなのは、哲学や知識の制度化と、それにともなう堕落だ。

哲学は無償の営みなので、それを保障するために大学などのポストを設け、哲学を制度化する。そこまではいい。けれどもそうすると、たちまち、哲学をする「ふり」をしてポストにありつく人びとが現れて、制度のなかに居すわる。そして、多数派になる。気がついたときには、哲学の制度があるおかげで、ほんとうに哲学をする人びとの思索がかえって抑圧されてしまっていたりする。

自分の生き難さを課題として、自分の場所からこつこつ哲学を読んできた竹田さんは、こうした堕落に誰よりも敏感であらざるをえなかった。外国の事情によく通じていたり、学力が高かったりすることでさえ、哲学の堕落でありうるのだ。では哲学を、ふつうに哲学する人びとの手にとり戻すにはどうしたらいいか? それに対する竹田さんの回答が、この『現代思想の冒険』だ。



「冒険」ーこの言葉には、シリーズの編集者であった佐々木清昭氏の万感の思いがこもっている。それを受けて、『現代思想の冒険』は二重、三重の意味で冒険である。

まず哲学や現代思想そのものが、いつの時代でも、既存の発想や常識に戦いを挑む「冒険」としてしかありえない。第二に、それらの哲学や思想とこれからがっぷり四つに組もうという若い読者にとって、読書は、自分の旧い思考の殻や先入見と最後まで格闘しぬく「冒険」としてしか、可能でない。第三に、著者の竹田さんにとってもこの本は、知識の《権力性》に立ち向かうための有効な文体を生み出せるかどうかの、のるかそるかの「冒険」にほかならないーこうした「冒険」が渾然一体になったスリリングな書物として、『現代思想の冒険』は哲学の冒険シリーズのなかで最も成功を収めた。それに刺戟され、私は『はじめての構造主義』や『冒険としての社会科学』を書くことにもなった。

九〇年代に向かう知的潮流を切り開いたと言うにふさわしい本書が、ちくま学芸文庫に加わって、新たに多くの読者を「冒険」に誘っていくことを喜びたい。

【この書評が収録されている書籍】
書評のおしごと―Book Reviews 1983‐2003 / 橋爪 大三郎
書評のおしごと―Book Reviews 1983‐2003
  • 著者:橋爪 大三郎
  • 出版社:海鳥社
  • 装丁:単行本(382ページ)
  • ISBN-10:4874155421
  • ISBN-13:978-4874155424
内容紹介:
1980年代、現代思想ブームの渦中に登場以来、国内外の動向・思潮を客観的に見据えた著作と発言で論壇をリードしてきた橋爪大三郎が、20年間にわたり執筆した書評を初めて集成。明快な思考で知られる著者による、書評の最良の教科書。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

現代思想の冒険  / 竹田 青嗣
現代思想の冒険
  • 著者:竹田 青嗣
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:文庫(250ページ)
  • 発売日:1992-06-01
  • ISBN-10:4480080066
  • ISBN-13:978-4480080066
内容紹介:
現代を果敢に切り拓くさまざまな思想の冒険。だがそのテクストはきわめて難解だ。しかし、思考の原型にまでさかのぼり、哲学の基本問題に重ねあわせてみれば、とりわけ面妖なことをいっているわけではない。この思想の冒険のあらましを大胆に整理し、先え方の基本を明快にとりだし、読者自身の日々の思考に架橋する、スリリングな入門書。

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初出メディア

ちくま

ちくま 1992年10月

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