書評
村田 優樹『ウクライナの形成 革命期ロシアの民族と自治』(東京大学出版会)、ヤン・ボードアン・ド・クルトネ、桑野隆・編訳『民族の平和的共存は可能か』(ゲンロン)
1世紀以上前、共存の道へ議論があった
『ウクライナの形成』は、今を遡(さかのぼ)ること百年以上、二〇世紀初頭の「革命期」に絞って、ウクライナ民族運動と、ロシアの立憲自由主義運動の交差に焦点を当てる。著者の村田氏は、まだ三〇代前半の、新鋭ウクライナ史研究者。独自で鮮やかなアプローチが見事だ。帝政ロシアではウクライナ人は独立した民族とは認められず、民族文化の発展を阻害されていた。しかし、ウクライナ民族主義者たちは帝国内での自治権の獲得を政治目標として掲げ、ロシア人の自由主義者たちとの協力と共闘の道を探った。両者は帝政打倒を目指すという点で同志なのだから、これは当然のようにも思えるが、実際にはそれほど簡単ではない。集権的な皇帝専制を廃するにしても、その後巨大な多民族国家を一つに保ちながら、地方や民族にどのような自治権を与えるのかといった「国制」に関する議論を通じて、立場の違いもあぶりだされていく。
立憲民主党の党首ミリュコーフは、ウクライナ文化の独自性には理解を示しながらも、「ウクライナの自治、特にロシアの連邦体制には、同意することができない」とし、連邦化が国家の解体をもたらすことを危惧した。それに対してウクライナの民族領域自治を求めるフルシェフスキーは「我々は解体を望んでいるのではなく、あらゆる民族の権利を保障することで、ロシアの一体性を強化しようとしている」と反論した。
村田氏はこのような民族自治と国制をめぐる議論を丹念に追っていく。原典史料を博捜した手堅い実証的研究だが、緊迫した議論の熱が伝わってきてスリリングだ。 本書は、国家の一体性を重んずるロシア人とウクライナ民族主義者の関係が単純な二元論対立ではなく、交流を通じて両者がそれぞれの国制・民族自治論を鍛え深めていった過程としてとらえられることを明らかにした。さらに、ソ連時代のウクライナについても、「レーニンの発明」であるとする通俗的な主張を退け、帝政末期の民族自治・連邦制をめぐる議論の成果がソ連初期の民族政策にも受け継がれていると指摘する。これはソ連成立以前と以後を完全な断絶と見がちな従来の史観を乗り越える、新鮮な視点だ。
ただし、『ウクライナの形成』は、政治指導者・知識人の言動を中心に扱ったものなので、ウクライナ人一般の民族意識や言語文化についてはほとんど触れていない。その点を補ってくれるのが、『民族の平和的共存は可能か』である。著者ヤン・ボードアン・ド・クルトネはポーランド出身、一九世紀末から二〇世紀初頭にロシアで活躍した傑出した言語学者だが、現代アメリカのチョムスキーにも似て、政治・社会問題についても積極的な発言をしていた。本書巻頭に収められた「民族を超越した視点からみた<ウクライナ問題>」は、村田氏の本でも詳しく取り上げられている『ウクライナの生活』誌のアンケートに対するボードアンの回答(一九一三年)である。
『民族の平和的共存は可能か』に収められた数々の論考は、言語学者としてのボードアンの知見に基づいた民族問題論として貴重なものだ。彼は一時立憲民主党に近いところにいたが、言語をはじめとする少数民族の権利の擁護に関してはるかに徹底的で、抑圧的なロシア国家を歯に衣(きぬ)着せずに批判したため、逮捕されたこともある。ロシア国家は「他のすべての種族や民族にとってだけでなくロシア民族そのものにとっても巨大な監獄であり(…)壊し砕かねばならない」と彼は主張した。
どんな少数民族の言語も独自の価値を持ち、守られるべきだという認識は、当時はまだ一般的ではなかった。ロシアではウクライナ語は方言扱いで、「ウクライナ語など存在しない」という見方さえあった。そういう時代の文脈を考えると、ボードアンがいかに飛びぬけて先進的な思想家であったかがわかる。
これら二冊の本の内容を現代に直結させることはもちろんできない。しかし、先人たちが真摯(しんし)に民族問題と国のあるべき形について考え、鋭く意見の異なる人たちとも話し合いながら平和的な共存の可能性を探ってきた姿には、心を打たれる。敵対と憎しみが世界の初期設定(デフォールト)であるかのような現代に、これは啓示の光を投げかけるものではないだろうか。ボリシェビキの権力奪取後、彼らは結局追い払われ「歴史の敗者」となったが、彼らの闘いがすべて無駄であったわけではない。
現代ウクライナの人気ロックグループ<エリザの海>のリーダー、ヴァカルチュクは歌う。「抱きしめて、抱きしめて/君の春が来るように」。厳寒に凍(い)てつく国にもうすぐ五度目の春が来る。今度こそ本当の春になりますように。
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