書評

『ゲンロン0 観光客の哲学』(株式会社ゲンロン)

  • 2017/12/12
ゲンロン0 観光客の哲学 / 東 浩紀
ゲンロン0 観光客の哲学
  • 著者:東 浩紀
  • 出版社:株式会社ゲンロン
  • 装丁:単行本(326ページ)
  • 発売日:2017-04-08
  • ISBN-10:490718820X
  • ISBN-13:978-4907188207
内容紹介:
否定神学的マルチチュードから郵便的マルチチュードへ――。ナショナリズムが猛威を振るい、グローバリズムが世界を覆う時代、新しい政治思想の足がかりはどこにあるのか。ルソー、ローティ、ネグリ、ドストエフスキー、ネットワーク理論を自在に横断し、ヘーゲルのパラダイムを乗り越える。著者20年の集大成、東思想の新展開を告げる渾身の書き下ろし新著。

絶望を超える可能性

「観光客の哲学」と聞けば、わざと外した変化球かと思う。実は、ど真ん中の直球だ。

東浩紀氏は一九年前『存在論的、郵便的』でデビュー(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2017年4月)。『動物化するポストモダン』などネット社会に詳しい批評家として広く注目を集めてきた。デビュー作はデリダの読解で、著者の本領は哲学にある。『観光客の哲学』は、その力量を存分に発揮して読み応え十分である。

「観光客」とは何なのか。

リベラリズムが退潮した。他者を対等な人間として扱おうという普遍主義のプログラムが、信頼を失った。代わりにコミュニタリアニズム(アメリカ・ファースト的ナショナリズム)とリバタリアニズム(グローバリズムでオッケー)がのさばっている。その両者が互いを強化しつつ並走している現代は、《二層構造の時代》なのだ。

こうした流れに抗議する「マルチチュード」(多様な人びとの群れ)に希望はあるか。抗議だけなら、帝国の裏返しだ。それを「郵便的」なマルチチュード、つまり「観光客」に昇格させよう。著者の提案である。

本書が繰り広げる議論は、オーソドックスで本格的だ。ルソーからヴォルテール、カント、ヘーゲル、シュミット、アレント、ジジェク、ノージック、ネグリへ、近代の主体のあり方が変容し、行き詰まり、息苦しい場所に追い込まれていく必然を精確に丁寧に描いていく。

なぜ息苦しいのか。《自由だが孤独な誇りなき個人(動物)として生きるか、仲間はいて誇りもあるが結局は国家に仕える国民(人間)として生きるか、そのどちらかしか》ないから。若者がやみくもにテロリストになるのは、こういう場所だ。

そんな絶望を超える可能性が「郵便」である。「郵便的」とは、《誤配すなわち配達の失敗や予期しないコミュニケーションの可能性を多く含む状態》のこと。観光客は、ビジネスの出張と違って、予期しないコミュニケーションに開かれている。《帝国の体制と国民国家の体制のあいだを往復し、私的な生の実感を私的なまま公的な政治につなげる存在》なのである。

このように理路をたどる著者は、思想が育たぬこのポストモダンの時代に、真摯(しんし)に前向きに哲学者としての責任を果たそうとする。あくまでも倫理的なその姿勢は、涙が出るほどだ。欧米の思想家も誰ひとり試みていない、果敢な挑戦がここにある。

以上第1部に続く、第2部は「家族の哲学」。そこからドストエフスキー論を紹介する。

ドストエフスキーは、父殺しを終生のテーマとする作家だ。テロに連座し死刑判決を受け、恩赦で救われた。そんな彼の作品の主人公は、社会主義者→地下室人→無関心病、と進化していく。『カラマアゾフの兄弟』では、スメルジャコフは地下室人、イワンは無関心病。社会主義者はいない。だが、未着手に終わったその続編では、少年コーリャが長じて、皇帝暗殺を試みるはずだったと、著者は(亀山郁夫氏の研究を手引きに)推測する。コーリャはアリョーシャに父をみる。だがアリョーシャは不能の父で、暗殺を止めもコーリャを救いもできない。それでも若いテロリストに、子に対するように接する。これこそいま必要な救済ではないのか。リベラリズム→コミュニタリアニズム・リバタリアニズム→観光客(誤配の空間)へ、の可能性がここにある。

粗削りで強引な論かもしれない。だが本書には、切迫する時代に書かれざるをえなかった、説得力と熱量が具(そな)わっている。時代を刻む論考として、後世に記憶されることだろう。
ゲンロン0 観光客の哲学 / 東 浩紀
ゲンロン0 観光客の哲学
  • 著者:東 浩紀
  • 出版社:株式会社ゲンロン
  • 装丁:単行本(326ページ)
  • 発売日:2017-04-08
  • ISBN-10:490718820X
  • ISBN-13:978-4907188207
内容紹介:
否定神学的マルチチュードから郵便的マルチチュードへ――。ナショナリズムが猛威を振るい、グローバリズムが世界を覆う時代、新しい政治思想の足がかりはどこにあるのか。ルソー、ローティ、ネグリ、ドストエフスキー、ネットワーク理論を自在に横断し、ヘーゲルのパラダイムを乗り越える。著者20年の集大成、東思想の新展開を告げる渾身の書き下ろし新著。

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毎日新聞 2017年4月23日

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