本文抜粋

『ゲンロン12』(株式会社ゲンロン)

  • 2021/09/24
ゲンロン12 / 東 浩紀,宇野 重規,柳 美里,鹿島 茂ほか
ゲンロン12
  • 著者:東 浩紀,宇野 重規,柳 美里,鹿島 茂ほか
  • 出版社:株式会社ゲンロン
  • 装丁:単行本(492ページ)
  • 発売日:2021-09-17
  • ISBN-10:4907188420
  • ISBN-13:978-4907188429
内容紹介:
東浩紀が編集長を務める批評誌「ゲンロン」の第12号。楠木建、鹿島茂、桜井英治、飯田泰之、井上智洋、小川さやかによる特集、鈴木忠志、宇野重規、柳美里、高山羽根子、石戸諭ら幅広い著者、シリーズ過去最大のボリューム。
東京オリンピック聖火リレーの前座として、もの凄い数の宣伝用車両が大音声とともに公道を練り行く映像がSNSで拡散されて話題になっている。東京オリンピックのスポンサーとして名乗りを上げた企業はどこも電通を介してJOCに広告料を前払いしているので、もしJOCがコロナ禍を理由に聖火リレーを中止したりしたら、スポンサーが契約不履行として訴えることは確実だから、電通とJOCは絶対に聖火リレーを中止することはできないのである。

それはさておき、パレードなど群衆が沿道に集まるのを利用して広告を打てば効果は抜群のはずと考えたのは、なにも電通が最初ではない。

いまから一三〇年ほど前のこと。煙草が日清・日露戦争を機に専売化される以前の明治二、三〇年代、薩摩出身の煙草王・岩谷松平率いる「天狗煙草」は、京都の村井兄弟商会がアメリカ原産の煙草葉を用いた「サンライス」を引っ提げて東京進出を図ると、これに対抗するため、村井兄弟商会を「売国煙草」と罵り、「天狗煙草は愛国煙草である」とナショナリズムを煽って、ありとあらゆる場を借りて宣伝合戦を繰り広げたのだが、そのときに岩谷が真っ先に思いついたのが明治天皇の行幸であった。

この時代、築地にあった海軍将校の社交クラブ「水交社」の定期総会には明治天皇が臨席する習わしになっていたので、当日は行幸が始まる数時間前から明治天皇を一目仰ごうとする大群衆が沿道を埋め、行幸馬車がやってくるのをいまや遅しと待っていた。

するとそこに、天皇が到着するまであと三〇分というときになって、反対方向から真っ赤に塗った二輪馬車が忽然と現れたのである。馬車には、深紅のフロックコートに真っ赤な山高帽といういで立ちの岩谷松平が御者とともに乗っていた。行幸の三〇分前までは一般通行が認められていたので、警備の警察も岩谷を捕らえることはできなかったのである。以後、岩谷の「天狗馬車」は、明治天皇の行幸が行われるときにはどこにでも、さながら前座か露払いのようにかならず現れるようになり、群衆もこれを楽しみにするようになったと伝えられている。

群衆のたくさん集まるところ、これすなわち広告・宣伝のトポスと信じた岩谷松平の真骨頂を示すエピソードであるが、しかし、ここで岩谷の「天狗馬車」を持ち出したのは、じつは「電通主導の聖火リレー宣伝カー行列はずっと昔から行われてきた陳腐な宣伝方法である」と主張しようとしたためではない。その逆である。つまり、人のたくさん集まるトポスにこそ広告を打つべきだという考えは思いのほか新しいもの、日本ではたかだか百数十年、ヨーロッパでも二〇〇年ほどの歴史を持つに「すぎない」という事実を示すためである。

一般に、広告は起源的に考えて、

① たとえ、立地条件が悪いというハンディキャップを持つ店でも、派手で目立つ広告を掲げれば、物見高い群衆はおのずと集まってくるという発想
② 集める努力をしなくとも初めからたくさん人の集まってくる場所を見出し、そこに広告を打てば宣伝効果は確実に挙がるという発想

という二種類に大別される。

「天狗馬車」はこのうちの②だが、岩谷は日本における広告・宣伝の元祖だから、当然、①もすでに実践していた。すなわち、現在の松屋デパートがある銀座三丁目の一角に店舗を構えた岩谷は、当時の銀座では目抜きが尾張町(現在の銀座五、六丁目)にあり、三丁目は立地的に不利というハンディキャップを跳ね返すため、門構えはおろかインテリア、店員の衣服、さらには店舗一体型だった自宅まですべてを真っ赤な朱塗りとしたうえで、赤い天狗をフィーチャーした「天狗煙草」の大看板を掲げたのである。この「目立った者が勝ち」というコンセプトを発展させたのが、赤いフロックコートと赤シルクハットで街を練り歩き、自らが広告塔となるという発想であり、その行き着いた姿が先の②の「天狗馬車」での行幸前座だったわけである。

このように、広告の歴史においては、概して①↓②の順序で時間的に展開してゆくのだが、このことは洋の東西を問わなかったようで、バルザックの『セザール・ビロトー││ある香水商の隆盛と凋落』にはその証言が見つかる。主人公セザール・ビロトーは一七九九年六月のある日、パリの右岸からマリー橋を渡ってサン= ルイ島に入ったとき、アンジュー河岸の一角にある流行品店の門口に立つ美貌の第一店員コンスタンスを見初め、恋に堕ちるが、そうしたストーリーとは別にバルザックはこのコンスタンスの勤める「プティ・マトロ(小さな水夫)」をこんなふうに描写しているのだ。

それはその後パリのあちこちにできたこの種の店の草分けで、ペンキ塗りの看板、風にはためく幟、外から見えるところにブランコのように吊るしたショール、トランプの城のように積み上げたネクタイ、さらにその他にも無数の客寄せの手段、つまり、定価だとかリボン、貼り紙、眼の錯覚、視覚効果などを実に巧みに駆使したので、店の前面はさながら商業の詩となっていた。〈小さな水夫〉店ではいわゆる流行品と呼ばれるあらゆる商品を格安に売っていたので、流行にも商売にもまったく不向きなパリのこの一角に未曾有の繁盛をもたらした。

(バルザック『セザール・ビロトー││ある香水商の隆盛と凋落』、大矢タカヤス訳、藤原書店、一九九九年、三九頁)

この最後の一文にあるように、デパートの祖型といわれる流行品店(マガザン・ド・ヌヴォテ)の元祖である〈小さな水夫〉は不利な立地条件を克服するために派手な店構えという「広告」その①を導入したのだが、これは方法を模倣した他業種によって②の段階へと移行する。それを実行したのは、〈小さな水夫〉の店頭で第一店員であるコンスタンスに一目惚れした香水商セザール・ビロトーの店「バラの王妃」だった。セザール・ビロトーは発明家の考案した美白クリームと美顔水を「後宮美女強力クリーム」「駆風美顔水」と命名し、これに「驚異の発見 フランス学士院認可」と銘打った宣伝文を添えて黄、赤、青の三色カラー・ポスターとし、人通りの多い広場や繁盛している薬屋の店内に貼り出したのである。

こうした②の段階のポスター広告の効果については、それから九〇年後の明治日本でも岩谷松平によって正しく認識されていた。すなわち、岩谷は、天狗煙草の売り上げに対する税金が大きくなると、逆にこれを広告に利用して売り上げの巨大さをアピールするため「勿おどろくなかれ驚煙草の税金たった三十万円」と大書きしたポスターを大量に刷り、これを自分の店ばかりか東京中の盛り場に貼り出したのである。それどころか、税金の金額は毎年上がり、三十万円が百万円に、百万円が二百万円にまでなったのである。ポスター広告好きの岩谷はついに印刷所までつくったが、これが今日の凸版印刷のルーツのひとつとされている。

さて、いささか前置き(なんと前置きなのです!)が長くなったが……

(続きは『ゲンロン12』本誌でお楽しみください!)
ゲンロン12 / 東 浩紀,宇野 重規,柳 美里,鹿島 茂ほか
ゲンロン12
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