本文抜粋

『ゲンロン戦記-「知の観客」をつくる』(中央公論新社)

  • 2021/02/06
ゲンロン戦記-「知の観客」をつくる / 東 浩紀
ゲンロン戦記-「知の観客」をつくる
  • 著者:東 浩紀
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:新書(288ページ)
  • 発売日:2020-12-08
  • ISBN-10:4121507096
  • ISBN-13:978-4121507099
内容紹介:
「数」の論理と資本主義が支配する残酷な世界で、人間が自由であることは可能なのか?大資本の罠と戦い、社会の分断に抗う渾身の思想
月刊ALL REVIEWS第26回「東 浩紀 × 鹿島 茂、東 浩紀『ゲンロン戦記』を読む( https://allreviews.jp/news/5310 )」が2021年2月7日(日)20:00~21:30にオンライン開催。
ALL REVIEWSでは『ゲンロン戦記』の東 浩紀『ゲンロン戦記』(中公新書ラクレ)から一部抜粋しお届けします。

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ぼくは1971年生まれの批評家である。1990年代に批評家としてデビューし、2000年代にはそれなりにメディアに出ていた。本書を手に取った読者には、そのころのぼくを記憶されている方も多いかもしれない。

けれどもぼくはそのあと、メディアから距離を置き、東京の片隅に引きこもって小さな会社を経営することを決意した。その会社の名が、本書のタイトルになっている「ゲンロン」である。

ゲンロンは2010年に創業された。2020年で10年になる。本書はそんな10年の歩みをぼくの視点から振り返った著作である。

本書は批評の本でも哲学の本でもない。本書で語られるのは、資金が尽きたとか社員が逃げたとかいった、とても世俗的なゴタゴタである。そこから得られる教訓もとても凡庸なものである。

ゲンロンは、関連会社を含めても売り上げが3億円に届かない小さな会社である。これから急成長が期待されるわけでもないし、社会貢献をしてきたわけでもない。そんな会社の奮闘記になんの公共性があるのかといくども編集部に問いただしたが、その凡庸さが魅力的なのだと説得されて出版の運びとなった。正しかったかどうかは、読者に判断してもらうしかない。

ゲンロンの10年は、ぼくにとって40代の10年だった。そしてその10年はまちがいの連続だった。ゲンロンがいま存在するのはほんとうは奇跡である。本書にはそのまちがいがたくさん記されている。まがりなりにも会社を10年続け、成長させたのは立派なことだとぼくを評価してくれていたひとは、本書を読み失望するかもしれない。本書に登場するぼくは、おそろしく愚かである。

ひとは40歳を過ぎても、なおかくも愚かで、まちがい続ける。その事実が、もしかりに少なからぬひとに希望を与えるのだとすれば、ぼくが恥を晒したことにも多少の意味があるだろう。

本書は語り下ろしである。ノンフィクションライターの石戸諭氏が5回にわたる談話をまとめ、それにぼくが手を入れて本書が成立した。石戸氏の労に感謝したい。

東浩紀

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ゲンロンは、2010年4月に創業した小さな会社です。2020年で10周年を迎えました。
ゲンロンは、学会や人文界の常識には囚われない、領域横断的な「知のプラットフォーム」の構築を目指しています。思想誌『ゲンロン』や単行本シリーズ「ゲンロン叢書」の出版のほか、東京・五反田にあるイベントスペース「ゲンロンカフェ」の企画、チェルノブイリへの「ダークツーリズム」、市民講座「ゲンロンスクール」の開催、動画配信プラットフォーム「シラス」の運営などを行なっています。
ゲンロンは、未来の出版と啓蒙は「知の観客」をつくることだと考えています。あらゆる文化は観客なしには存在できません。そして良質の観客なしには育ちません。権力か反権力か、「友」か「敵」かの分断を解き放ち、自由に観客が集まったり考えたりする場が必要です。
哲学(フィロソフィー)はもともと、古代ギリシア語で知(ソフィア)を愛する(フィロ)ことを意味する言葉でした。哲学の起源に戻り、知をふたたび愛されるものに変えること。それがゲンロンのミッションです。
 

2010年代の「戦い」の記録

なぜゲンロンという会社を立ち上げたのか。それは時代と無関係ではありません。まずは大きく時代から振り返ってみます。
株式会社ゲンロンは2010年4月に創業しました(正確には創業時には「合同会社コンテクチュアズ」ですが、実質的には同じ会社なので、以後はとくに必要のない限りゲンロンの名称で統一します)。ですから、ゲンロンの10年には2010年代がそのまま重なっています。この時代は、SNSが社会に大きな影響力を与えるようになりました。2010年代はSNSの10年ともいえます。日本においてとくに影響力が強いのはTwitter です。

Twitter はアメリカで2006年に創業されました。日本語版が始まったのが2008年のことです。Facebook は2004年の創業で、日本語版の開始は同じく2008年になります。けれども、SNSが爆発的に普及するのは2010年代のことです。

日本で2010年代の始まりを告げた象徴的な出来事は、2011年3月11日の東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故です。この出来事は日本でSNSを普及させる原動力になりました。Twitter は震災を機に一気に普及したことが知られています。それは政治の風景も変えていきました。震災後は原発再稼働に反対する官邸前デモが起こり、2010年代後半にはSEALDs のような新しいデモのかたちを生み出していきます。それらはSNSがなければ存在しなかったでしょう。

 世界的には、2010年末から11年にかけていわゆる「アラブの春」が起きましたが、そこでもSNSが大きな役割を果たしました。他方で、SNSは各国で人々の分断も生み出しました。2010年代後半には、イギリスでEU離脱が国民投票によって決まり(2016年)、アメリカではトランプ政権が誕生する(2017年)など、市民の分断を印象づける出来事が相次ぎます。その背後にSNSが引き起こす政治的分極化があったことはいまではよく知られています。2019年には香港の民主化デモが話題になりましたが、あの大規模化もSNSがなければ考えられません。いまでは、体制側も反体制側も、みながSNSで動員合戦を繰り返す状況になっています。

SNSと民主主義が結びつくことには良い面が多くありました。けれども負の面もあった。その二面性が明らかになった10年でした。

とりわけ問題なのは、SNSが普及するとともに、言論においても文化においてもまた政治においても、しっかりとした主張のうえで地道に読者や支持者を増やしていくよりも、いまこの瞬間に耳目を集める話題を打ち出して、有名人やスポーツ選手を使って「炎上させる」ほうが賢く有効だという風潮になっていったことです。そのような戦略は、短期的・局所的には有効かもしれませんが、長期的・全体的には確実に文化を貧しくしていきます。いま日本ではリベラル知識人と野党の影響力は地に堕ちていますが、その背景には、2010年代のあいだ、「その場かぎり」の政権批判を繰り返してきたことがあると思います。

これから本書で話すことは、ゲンロンがいかにその風潮に抗あらがい、「べつの可能性」を生み出してきたかという悪戦苦闘の歴史でもあります。まえがきにも記したように、ゲンロンは小さな会社です。本書には有名人も有名な事件もほとんど出てきません。にもかかわらず本書を出版したのは、ゲンロンのような「戦いかた」もあるよと、多くの読者に知ってもらいたかったからです。
 

ネットの夢が語られたゼロ年代

2010年代はネットへの失望が広がった時代ですが、そのまえの2000年代は対照的にネットの夢が語られ続けた時代でした。とくに政治的な面で、ネットの出現で民主主義が変わるという理想論が信じられていました。ぼくも例外ではなく、人々の無意識の意見を情報技術で集約し可視化することで、合意形成の基礎にすえるべきではないかという新しい民主主義のありかたを提唱したことがあります。その原稿は2010年代に書かれたのですが、出版は震災後の2011年11月になりました(『一般意志2・0』講談社)。


2010年代の10年間、ゲンロンはSNSが生み出す負の効果と戦い続けてきたと言いました。けれども、ゲンロンができるまえは、逆にネットについては肯定的な可能性ばかりが語られていたのです。この時代の変化が、ゲンロンのいささかわかりにくい立場を生み出すことになります。ゲンロンは、ネットの力を信じることで始められたプロジェクトです。けれども、起業したあとは、ネットの力はどんどん信じられなくなっていった。その狭間で苦闘してきた10年でした。

少しぼくのキャリアの話もしておきます。2003年から06年にかけて、ぼくは国際大学GLOCOM(グローコム/グローバルコミュニケーションセンター)に3年ほど籍を置いていたことがあります。六本木のビルの1フロアの小さな研究所ですが、慶應義塾大学SFC(湘南藤沢キャンパス)とともに、日本のインターネット草創期をリードした重要な研究機関だといわれています。ぼくがいたころは情報社会学者の公文俊平さんが所長を務めていて、全盛期の名残がありました。研究費の多くはNTTや経済産業省からの受託研究で賄い、政府系のシンクタンクの側面ももっていました。

ぼくのこの経歴はあまり注目されていないのですが、ゲンロン創業を考えるうえではとても重要です。ぼくは1971年生まれなので、GLOCOMに入所したときは30歳過ぎでした。30代前半で、最先端の研究者や起業家たちと接しながら、ネットが社会を変えるというテーマをじっくり考えることができたわけです。いまは学会にはまったく出なくなりましたが、当時はときおり参加していました。のちニュースアプリ「スマートニュース」の開発で成功を掴む鈴木健さんが同僚にいて、親しくしていました。彼が中心の学会に顔を出して議論を交わしていたことを覚えています。論壇誌『中央公論』で「情報自由論」を連載したのもこのころです。

ゲンロン創業前はマスコミにも積極的に関わっていました。『朝まで生テレビ!』に出演した最初の回で、スマホを片手にSNSの可能性を力説したことをよく覚えています。それが田原総一朗さんと番組スタッフの印象に残ったようで、しばらくのあいだ頻繁に声がかかるようになった。当時のぼくは、「ネットで社会は変わる」と主張する論客という位置づけになっていたと思います。そのポジションを取れたのは、GLOCOM時代の経験と知識があったからです。

 

オルタナティブとの出会い

もうひとつゲンロンにつながる動きを話しておきます。ぼくは1993年の学部生時代に批評誌でデビューしました。その後1998年にフランス現代思想を主題とする哲学書を出版し、このはじめての単行本がサントリー学芸賞を受賞しました。その時点では、「若いのにむずかしいことを書く哲学者」という位置づけでした。

けれども、昔からの読者は知っていると思いますが、当時すでにぼくの仕事には二面性がありました。ぼくはアカデミックな仕事とはべつにサブカルチャー批評の雑文も書いていて、そこでもそこそこ有名だったのです。そのなかでいまにつながる経験になったのがSFコミュニティとの出会いでした。

ぼくはもともとSFの読者でした。けれども大きな集まりに行ったことはなかった。ところが2001年に千葉の幕張メッセで日本SF大会が開かれるとのことで、はじめて参加したんです。そして大きな衝撃を受けました。

そこにはぼくが探していた「オルタナティブ」がありました。オルタナティブとは、メインストリームに取って代わる価値観のことです。オルタナティブな価値観を抱く人々がいるからこそ、旧体制が壊れ、新しい文化を生み出す。ぼくは当時すでに何冊か本を出していて、文壇では知られる存在になっていました。けれども、文芸誌や論壇誌は古くさくて居心地が悪かった。ところがSF大会には、文芸誌や論壇誌には登場しない、けれど何十万部も売れている作家たちが集まっていて、独自のネットワークをつくってファンと交流していたんですね。ディスカッションも高度だった。「なんだ、これこそオルタナティブじゃないか」と驚きました。

 いまでも変わりませんが、文芸誌や論壇誌に集まるひとというのは、オルタナティブが必要といいながらも、基本的には権威主義で、エンタメとかアマチュアの世界を下に見ている。それじゃいけないんです。SF大会との出会いをきっかけに、こういうオルタナティブな場に真剣に向きあわなきゃいけないと思うようになりました。同年に『動物化するポストモダン』(講談社現代新書、2001年11月)を出したこともあり、そのあとしばらくサブカルチャー批評に耽溺していくことになりますが、それはアニメが好きとかゲームが好きとかいったジャンルの話ではなかった。大事なのはオルタナティブということだったんですね。

 ネットとの出会いとオルタナティブとの出会い、このふたつがゲンロンの創業につながっていくことになります。

[書き手]東 浩紀
1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了(学術博士)。株式会社ゲンロン創業者。同社発行『ゲンロン』編集長。専門は哲学、表象文化論、情報社会論。著書に『存在論的、郵便的』(1998年、第21回サントリー学芸賞 思想・歴史部門)、『動物化するポストモダン』(2001年)、『クォンタム・ファミリーズ』(2009年、第23回三島由紀夫賞)、『一般意志 2.0』(2011年)、『弱いつながり』(2014年、紀伊國屋じんぶん大賞2015「大賞」)、『ゲンロン0 観光客の哲学』(2017年、第71回毎日出版文化賞 人文・社会部門)、『哲学の誤配』(2020年)ほか多数。対談集に『新対話篇』(2020年)がある。


【オンラインイベント情報】2021年2月7日(日)20:00~東 浩紀 × 鹿島 茂、東 浩紀『ゲンロン戦記』を読む

書評アーカイブサイト・ALL REVIEWSのファンクラブ「ALL REVIEWS 友の会」の特典対談番組「月刊ALL REVIEWS」、第25回のゲストは26回はゲストには批評家・作家の東 浩紀さん。メインパーソナリティーは鹿島茂さん。
https://allreviews.jp/news/5310
ゲンロン戦記-「知の観客」をつくる / 東 浩紀
ゲンロン戦記-「知の観客」をつくる
  • 著者:東 浩紀
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:新書(288ページ)
  • 発売日:2020-12-08
  • ISBN-10:4121507096
  • ISBN-13:978-4121507099
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「数」の論理と資本主義が支配する残酷な世界で、人間が自由であることは可能なのか?大資本の罠と戦い、社会の分断に抗う渾身の思想

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