はじめに
はじめて伊勢神宮にお参りしたのは、三十代も後半になってからでした。最初の伊勢神宮詣では、ただこの場所に来たことに満足していた、と今では思います。「一生に一度のお伊勢詣で」なのだから、一度訪れたのだからよし。
そう思っていたことは否めません。その後、仕事の縁で近くの賢島を訪れる機会があり、二度目のお参りが叶いましたが、それは、はじめてのお参りから、ゆうに五年も経過しておりました。その頃になりますと、それまで遠くの存在であった伊勢神宮への崇敬心が高まり、平成二十五年(二〇一三)の第六十二回神宮式年遷宮の数年前から準備が行われるときより、年遷宮を待ち遠しく思ったものです。
宇治橋の大鳥居から昇る美しい日の出を拝む光景は、今ではすっかり有名で、内宮を象徴する景観になっていますが、その光景を写真ではなくこの目で見たいとはじめて訪れた日は、吐く息が白くなるほどの寒い早朝でした。
人は、本当に感動すると息をのむ。言葉が出ないもの。
神々しい、というひと言では言い表せないほど私の胸は高ぶり、頭の中では、幾多のささやき声が聞こえる。
いつもならもっと参拝客も多いであろうこの日、この空間にいるのは、私だけ、そう錯覚するような時間のなかにいました。
伊勢神宮を詣でるときは、外宮から先に、内宮はあとに、と知ったのは、この最初の参宮を終えたあとのこと。伊勢神宮の正式名称は、「神宮」であり、北海道神宮、鹿島神宮、明治神宮、熱田神宮など多くの神宮があっても、「神宮」、とただひと言で呼んで通るのは、唯一、伊勢神宮のみです。
神宮と名称がつくのは、天皇とつながりが深い神社であり、そのなかでも天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)と豊受大御神(とようけのおおみかみ)がお祀りされている伊勢神宮は、別格とされます。その別格とされる最大の理由として内宮の御祭神が、天照大御神ではなく、「天照坐皇大御神」であることは、意外と知られていないことでしょう。「坐」(います、まします)は、そこにずっと居続けるという意味であり、「皇」(すめらぎ)は、天を支配する、天皇、または、天皇と深い関係がある神の意を示すもの。
神宮のお参りの習わしは、先に外宮をお参りします。外宮は、内宮とはまるで違う印象を持っています。外宮の火除橋からすぐの第一鳥居をくぐり、ややもすると黒とも見えるほどの濃い緑のなかを、玉砂利の音だけを聞きながら、ゆっくりと歩く。今度は、胸の高ぶりやささやき声は聞こえません。
ただ、粟立つような感覚が全身を覆いました。
朝早いから寒くて鳥肌が立ったとのだろうと言われそうですが、そうではなく、
体の内側より血が静かに震えるようです。引いては寄せる波のようにささっ〜ささっ〜と粟立つのです。白絹の御幌(みとばり)の前で一つ、深いため息をつく。手を合わせると審判を受けたような気持ちにさえなりました。
ここから、私の伊勢神宮崇敬が始まりました。第六十二回の神宮式年遷宮関連のお祭りに何度も足を運び、自身の伊勢詣でだけではなく、伊勢神宮詣することのよさを周りに伝えようと、その翌年から個人、法人のみなさまをお参りにお連れして、蘊蓄を述べながら参拝することが、今に続いています。
今でも、若い方のみならず、五十代の経営者の方にも訪れたことがないという声を聞きます。意外なほど、みなさん、まだ、一生に一度のお伊勢参りをしていないのです。伊勢神宮は、近くて遠い存在であることは、私もよくわかります。
きちんとしたお参りをしなくてはならないでしょう?
観光しながら、ふらっと寄ってもいいの?
神様は鷹揚です。観光しながらふらっと参りでもよいのです。
本書は、令和十五年(二〇三三)の第六十三回神宮式年遷宮までの九年間、さまざまに行われる遷宮に関するお祭りや、日本の国に住む私たちと日本の神様とのつながり、そして、未来へつなぐ大切なことなどを紹介してまいります。第六十三回目の遷宮まで、続けて書こうと意気込む私の微力ながらの言霊旅、第一回目のお話です。
いつかの参宮ではなく、
いまだからこその参宮である。
式年遷宮の思想は
変わらないために、
変えるということ。
その意味を一緒に考え、式年遷宮を支えるひとりでありたい。
おこがましくも、本書を通じて、神宮の存在を再認識していただき、参宮に行く、そう思っていただけると幸いです。