本文抜粋

『住職たちの経営戦略: 近世寺院の苦しい財布事情』(吉川弘文館)

  • 2025/02/03
住職たちの経営戦略: 近世寺院の苦しい財布事情 / 田中 洋平
住職たちの経営戦略: 近世寺院の苦しい財布事情
  • 著者:田中 洋平
  • 出版社:吉川弘文館
  • 装丁:単行本(240ページ)
  • 発売日:2025-01-29
  • ISBN-10:4642306145
  • ISBN-13:978-4642306140
内容紹介:
江戸時代、幕府の命で人々は仏徒となることを義務づけられ、寺は特権的立場を得たといわれてきた。だが内実は、制度の恩恵外におかれ、火の車の零細寺院が無数に広がっていた。収入減と増える借金、資産処理をめぐる檀家との対立、先代住職の老後保障など、課題山積の経営状況を活写。寺の存続をかけ、地域を巻き込み展開した住職たちの苦闘に迫る。

仏教優遇の江戸時代になぜ!? 経営難で消滅していく寺院

今、地方のお寺が存続の危機に瀕している。
昨今、都市への人口流出と檀家(だんか)減少を主因とした、お寺の経営難をよく耳にするようになった。
そもそも現代のような、地域なかに根差したお寺と、それを支える檀家という関係性はどのように作りあげられてきたのか。
『住職たちの経営戦略』の一部から、現代と江戸の仏教のつながりについて紹介しよう。


「『世事見聞録』にみる仏教界」


江戸時代の世情に対する批判的精神に富んだ『世事見聞録(せじけんぶんろく)』の一節を紹介することから、本書の記述を先へと進めてみたい。

坊主の申すこと悸(おのの)き背き、あるいは不行状なる事を憎み咎(とが)めなどするあれば、(中略)宗門(しゅうもん)改めの節、証印を拒み、又は他所へ縁組せし時、送り状を出さず、或いは死人ある時は、病気その他故障を申し、葬式を手間取らせ、又は引導を渡すまじく(後略)

ここに記されている「宗門改め」とは、近世社会において、幕府が禁止する宗派の信者ではないことを確認する手続きを指している。具体的には、キリスト教や日蓮宗不受不施派(にちれんしゅうふじゅふせは)がこれに該当する。これらの宗派は、布教活動を禁じられ、人々も信仰することが許されなかった。これを証明する権限が、僧侶に付与されていたのである。

本書の作者・武陽隠士(ぶよういんし)が「証印」と呼ぶ行為は、一般に「寺請(てらうけ)」、あるいは「宗判(しゅうはん)」という用語で知られている。高等学校の教科書にも記されているように、「寺請」をしてもらえなければ、人々は禁制宗派の信者とみなされ、幕藩権力による弾圧の可能性にさらされた。武陽隠士が批判したのは、こうした権限を獲得した僧侶の言動であるといえるだろう。各寺の檀家となった人々に対し、人別送状の作成を怠り、死者が出た際の引導を渋ることがあったと記されている。

このように、江戸時代の寺請は、僧侶が檀家となった人々に対して、一定の優位性を確保することができる権限であった。寺請にもとづいて制度化された寺檀(じだん)関係は、一般に「寺檀制度」と呼ばれている。

「なぜ近世の寺院なのか」


不幸なことに、身近な人物が亡くなったとしよう。残された家族は、現代であれば葬儀社に連絡し、故人の葬送儀礼を執り行う。先祖の代から関係を結ぶ菩提寺(ぼだいじ)があれば、その住職にこれを依頼し、なければ故人と同じ宗派の寺院を探し出し、新たな関係を取り結ぶ。葬儀を行った寺の僧侶には、三回忌、七回忌といった仏教的な節目に法要を営んでもらう。家族や親戚が久しぶりに顔を合わせる機会ともなろう。

こうした光景は、近年崩れつつあると指摘されている。それでもなお、このような関係を当然のこととして受け入れている人々の方が多いのではないだろうか。

特定の寺院の檀家となり、その僧侶に葬祭や法事などの仏事を執行してもらうような宗教環境が整えられるのは、いつの頃からなのだろうか。結論をいえば、そうした環境が整備されるのは、近世という時代である。それぞれの村や町に広く寺院が展開するようになるのは、近世に入ってからである。その意味において、この時代の寺院の主役は、私たちが日常目にする各地域の寺院である。そして、現代に生きる私たちの宗教環境は、この時代に規定されている。

今日的な寺院の淵源が江戸時代にあるのだとすれば、その経営の内実を歴史的延長線上で分析しなければならない。寺院経営の多様な実態を分析することは、まさに歴史学研究を進めるうえでの課題であるともいえる。

 「寺院経営と住職」

寺院の住職は、自派の教義を広める宗教者であると同時に、経営者たることも求められる。例えば現代において、檀家からの収入に安住せず、多角的な寺院経営を希求する僧侶に脚光が浴びつつあるのは、寺院の経営資源が多様であることの裏返しでもある(橋本英樹『お寺の収支報告書』)。

かといって、そうした経営資源は無限に存在するものではない。時代的な社会環境に制約される側面があることもまた言を俟(ま)たない。限られた資源を最適化し、寺院経営を安定化させる。檀家や地域の人々から寄せられる宗教的要望に応えるためにも、それぞれの寺院はそれぞれの地域で長く存続していくことが求められる。いうなれば、「経営の維持と存続」は、各寺院が直面する大きな課題である(鵜飼秀徳『寺院消滅』)。

こうした点を踏まえて、本書で確認したいのは、これまでの宗教史研究において、等閑視されがちであった「経営者としての住職」が、どのような経営判断のもとで各寺院を運営していたのかという点である。近世の寺院が寺檀制度の枠組みのもとで、安定的な経営を維持していたと映ることがあるようであるが、実態はそう平明なものではない。寺院経営を左右する地域の人々との関わりについても考究することが必要だろう。

(結び)

実は、お寺の危機は、今にふって湧いてきた話ではない。
仏教が優遇されていたはずの江戸時代にも、現在と同様、苦境に立たされた寺院が数多くあったという。
寺院維持のため奮闘した住職や地域の歴史を繙(ひもと)くことで、現代の問題にも示唆を得ることもできるのではないだろうか。

[書き手]田中 洋平(たなか ようへい・淑徳大学准教授)
住職たちの経営戦略: 近世寺院の苦しい財布事情 / 田中 洋平
住職たちの経営戦略: 近世寺院の苦しい財布事情
  • 著者:田中 洋平
  • 出版社:吉川弘文館
  • 装丁:単行本(240ページ)
  • 発売日:2025-01-29
  • ISBN-10:4642306145
  • ISBN-13:978-4642306140
内容紹介:
江戸時代、幕府の命で人々は仏徒となることを義務づけられ、寺は特権的立場を得たといわれてきた。だが内実は、制度の恩恵外におかれ、火の車の零細寺院が無数に広がっていた。収入減と増える借金、資産処理をめぐる檀家との対立、先代住職の老後保障など、課題山積の経営状況を活写。寺の存続をかけ、地域を巻き込み展開した住職たちの苦闘に迫る。

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