古代の魔術を知る
古代の魔術を学ぶためには、まずは「超常現象」のことを忘れよう。古代世界に超常現象というものはなかった。不可思議なものが存在しなかったからではなく、あらゆるものが不可思議だったからである。古代世界は神秘的だった。つまり「神の力にあふれていた」のだ。自然は魔術で満ちていた。花は魔術のように実に変わり、毛虫は魔術のように蝶に変身した。魔術によって雲に充満したエネルギーには、狙いすました雷の一撃で家を破壊できるほどの力があった。自然はまさに「超自然的」だった。ギリシア人やローマ人にとって「魔術」とは、求める結果を得るために自然の力を利用することだったのだ。ドングリを植え、水と時間の力を利用してオークの木を作り出すのは、魔術のなせる業だった。だから、立派なオークの木(木の精〔ドリュアデス〕を備えたもの)を生み出せたなら、きっとどんな魔術師でも鼻高々だったに違いない。
もちろん、実行するために複雑な儀式や決まり文句を必要とする魔術もある。必ず成功するとは限らなかった――とはいえ、同じことはパンを焼く場合にも言える。古代人はイーストが何か知らなかったにもかかわらず、どうしたらパンをおいしく焼けるかは知っていた。魔術をかけるのも、パンを焼くのも、基本的な原理に変わりはない。材料を集め、適切な条件で混ぜ合わせ、それらが相互作用するのを期待に胸躍らせて待つ。材料のことはだいたい理解していても、それらがどんなふうに作用するかは理解していない。召喚する対象が乳酸菌ラクトバチルス・サンフランシセンシスであろうが、地下にいる「ヘルメスの霊魂」ヘルメス・トリスメギストス(三重の偉大なヘルメス)であろうが、そんなことは関係ない。どちらも魔術的な存在なのである。
世界はそんな存在だらけだった。庭一つ一つに何十もが棲息していた。あらゆる木には精が宿り、あらゆる池には精霊(ニュムペー)が棲み、海の精ネレイスたちは海辺の波間で戯れていた。それに加えて、現在ではありふれた動物と考えられている魔法の生き物がいた――イタチ、キツツキ、狼など。あらゆる自然の場所には、その地の雰囲気を生み出す自然の力、地霊ゲニウス・ロキがいた。魔術を実行するのに大切なのは、そういった力――神秘的で目には見えないが現実に存在している力――を利用できる能力を持つことだった。
だからこそ、「超常現象」を忘れることから始めるべきなのだ。しかし、古代世界における魔術を理解するに当たって、忘れるべきことはもっと多くある。現代の世界、とりわけ西洋では、目に見えない力を扱うのは長らく宗教の専売特許だった。けれども古代では、宗教の独占ではなかった。たいていの場合、宗教とは国家が推奨し市民が義務として奉じるもので、人間と神の間を取り持っていた。だが、神々を人間のように扱って、宇宙がどのように生まれてどんなふうに機能しているかを説明するのは、神話の役割だった。そして一般の人々は、目に見えないものと直接交流するために魔術を利用した。
古代とは、神々が人間と同じく空間と時間の産物である世界、人間が精霊や神々と話すのみならず、人間自身が神になることもある世界なのだ。要するに、あらゆることが可能である世界を想像すればいい。それが、古代という魔術に満ちた世界である。
こうした世界観は一見突飛に思えるかもしれないが、実はそうでもない。カオス理論や量子効果に関する最近の研究によれば、あらゆることが予測可能、理解可能なわけではない。「現実」は、我々が認識しているものとはまったく異なっているかもしれない。本書が探求しているのは、そうした「別の現実」の一つだ。惚れ薬を作ったり、呪いをかけたり、死者と話したりすることが可能な現実である。本書を読めば、邪悪な霊を見つけて追い払う方法、人狼や吸血鬼を避ける方法がわかるだろう。
とはいえ、何かのやり方を「知っている」からといって、それを「行うべき」というわけではないのは強調しておきたい。古代ローマ人は、庭でトリカブトを栽培する人間を見つけたら問答無用で殺した。この一見無害な植物からは、きわめて容易に猛毒を作り出せるからだ。古代人は、禁断の魔術を使っている疑いのある人間を即座に裁く――そして罰する――ことが多かった。それは、魔術を理解していないからでも、「超常現象」を恐れていたからでもなく、ある種の活動はそもそも反社会的、あるいは途方もなく危険であり、断固として阻止する必要があったからである。
今日でもそれは同じだ。ほとんどの西洋社会において、魔女や魔術師を自称するのは違法ではない。しかし今でも、魔術の中には、きわめて非合法的で、実践する本人や周囲の者にとって危険なものがある。たとえば、本書には古代人が神霊などの霊を冥界から呼び出した方法が書かれているが、読者諸君は決してそんな儀式を自宅で行わないでほしい。実験が失敗して、せいぜい時間とバケツ何杯分かの羊の血が無駄になる程度でおさまるかもしれない。だが最悪の場合は――成功するかもしれないのだ。
[書き手]フィリップ・マティザック(古代ローマ史研究者)
オックスフォード大学セントジョンズ・カレッジにおいてローマ史で博士号を取得。ケンブリッジ大学成人教育校のeラーニングコースで古代ローマ史を教えている。邦訳書に『古代ローマ旅行ガイド』『古代アテネ旅行ガイド』『古代ローマ帝国軍 非公式マニュアル』『古代ローマ歴代誌』『古代ローマの日常生活』がある。