前書き
『天皇家の存続と継承: 中世の転換から現代へ』(吉川弘文館)
天皇制の課題を中世史から考える
平成から令和へ
平成から令和への代替わりは、平成の天皇が高齢による退位の意向を示したことに始まった。二〇一六年八月、「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」が、テレビで放送された(全文および映像は宮内庁のホームページに掲載されている〈http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12〉)。日本国憲法下で、天皇が国政に関する権能を持たないことを踏まえたうえで、八〇歳を越えて「次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています」と語る天皇の言葉は心に響く内容であり、これをきっかけに、天皇家をめぐって懸案となっていた問題についての議論が一気に進んだ。内閣官房に設置された「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」および国会における議論を経て、二〇一七年六月に、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が公布され、平成の天皇の退位と代替わりに関わる諸事項が定められた(「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」の最終報告はhttps://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/12251721/www.kantei.go.jp/jp/singi/koumu_keigen/pdf/saisyuhoukoku.pdfで見ることができる)。高齢天皇の進退問題は、今後も生じる可能性が大きいが、皇室典範の改正ではなく、この一件限りの特例法制定にとどめられている。上記の決定を受けて、二〇一九年四月三十日に退位礼正殿の儀、五月一日に剣璽(けんじ)等承継の儀・即位後朝見(ちょうけん)の儀が行われ、平成から令和への代替わりが実現した。崩御ではなく退位(譲位)による代替わりは、江戸時代の光格(こうかく)天皇以来二〇〇年ぶりで、奉祝的な雰囲気の中で進められたのは、昭和から平成への移行とは大きく異なる点だったといえる。
ただし、これで天皇家が抱える問題がなくなったわけではない。四〇年にわたって皇族に男子が誕生しなかったことから、皇族数が減少し、なにより現天皇の次の世代の皇位継承資格者が秋篠宮(あきしののみや)家の悠仁(ひさひと)親王お一人のみという、天皇制の存亡にかかわる大きな問題が残っている。早急に対策が必要と思われるのだが、いまだに進捗をみていない。
歴史のなかの天皇制
鎌倉幕府という武家の政権が成立して以来、前近代を通じてわが国では天皇を戴く朝廷(公家)と将軍が率いる幕府(武家)という二つの政権が並立してきた。後醍醐(ごだいご)天皇による建武の新政のように特定の期間における天皇の復権はみられるものの、大勢としては武家の権力が公家のそれを凌駕し、拡大する状態が続いたのである。権威の低下や経済的窮乏に悩まされる事態も多かったにもかかわらず、天皇制がなぜ今日まで生き残ったのか、あるいは武家政権がなぜ公家政権を滅ぼさなかったのかは歴史学にとって大きな謎といってよい。なかでも中世の天皇制は、院政の開始・両統迭立(てつりつ)・南北朝期の二人の天皇の並立など、多くの破格や変則を生み出してきた。いずれも天皇の権威を危うくする事態にみえるが、これらを巧妙に運用し、危機をしのぐことを通じて、中世公家政権は天皇制に多様な可能性や選択肢があることを示したと評価することもできる。一方で、公事(くじ)と総称される天皇主宰の儀礼や行事は、雑駁(ざっぱく)な現実を分節して秩序を生み出す意義を持ち、庶民や社会に受け入れられ、ひろく普及した。また、壮大な構想による位階・官職(官位)の体系は、近代以降も官庁名や栄典制度に受け継がれた。儀礼を構成する手続きは早くから形骸化し、官位の内実も次第に空洞化するのだが、前者は先例として蓄積・参照され、後者は人物・家柄の格付けに欠かせないものとして活用された。天皇をめぐる仕組みや要素は、無定見ともみえる柔軟性と頑迷なまでの継続性という相反する方向性に従いながら、歴史のさまざまな転換を乗り越える強靭さを保ったといえる。しかも、天皇から発するさまざまな営為は、社会の各階層の共感と合意をくりかえし獲得したのである。
本書のねらい
本書では、院政と官位・儀礼という、天皇制の二つの方向性を示すテーマについて考えるとともに、天皇を生み出す世襲と血統をめぐる経緯を通覧する。令和の天皇まで一二六代、万世一系と一口で語られるが、天皇の歴史は千数百年にわたり、継承の方法や事情は時代によって大きく異なる。平成から令和への代替わり以来の天皇制の課題や、今日実施されている天皇の儀礼や活動を、中世のそれと比べることで、これまでにない視野が開けるのではないだろうか。今日に続く歴史的経緯を知ることで、天皇制が、さまざまな危機や変化を経験してきた、すぐれて可塑的な営為であること、未来に向けて、いっそうの改変や発展の可能性を内包していることをあきらかにしたい。
[書き手] 本郷 恵子(ほんごう けいこ・東京大学史料編纂所教授)
『中世公家政権の研究』東京大学出版会1998年、『全集日本の歴史第6巻 京・鎌倉 ふたつの王権』小学館2008年、『蕩尽する中世』新潮社2012年、『院政―天皇と上皇の日本史―』講談社2019年、『室町将軍の権力―鎌倉幕府にはできなかったこと―』朝日新聞出版2020年、著書多数。
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