ファッションからみる日本の近代化
ファッションとは何か
「ファッション」とは字義的には「流行の服」のことを指している。広辞苑には「はやり。流行。特に、服装・髪型などについていう。また転じて、服装」とある。とはいえ、この言葉はもともと英語の“Fashion”であるから、念のため英英辞典も調べてみると、ほぼ同様の意味が出てくる。ただ、私たちは英語の「ファッション」を日本語に訳すことはしない。「このファッション、かわいい」と言えば済むものを、わざわざ「この流行の服、かわいい」と言うのは、なんだか説明的である。それほど日本語に馴染んだ「ファッション」という言葉であるが、意味が同じだから訳さないのではなく、むしろもともと日本にはなかった概念であるから訳せなかった、という方が妥当だろう。意味の変化
かつて社会学者のノルベルト・エリアスは、言葉の意味が変化するのは、言葉をめぐる人々の生活が変化したからだと述べたが、「ファッション」は歴史とともにその意味を変化させてきた言葉である。ここで「ファッション」という言葉の意味の変化を少したどってみよう。この語はラテン語の“factio”に由来し、一四世紀には「つくり」や「型」を意味しており、語形も現在とは異なっていた。ところが一六世紀から一七世紀にかけて、「作法」や「習慣」を意味するようになり、一八世紀以降に「流行」という意味を獲得していった。そして、言葉の意味が変化していく過程では、西洋の人々の身体をめぐる習慣の変化が実際に起きていた。「ファッション」が「つくり」や「型」を意味していた一四世紀には、西洋の服装に一定の形やスタイルが見られるようになる。そして貴族社会が発展した時代には、豪華な服飾を身につけることが特権的な立場の表明となり、上流階級の「服の着方」や「身のこなし」など、「ファッション」は礼儀作法や身体習慣を示すようになる。
ところが近代の市民社会では、商業経済の発展とともに、定期的に新しい商品としての衣服が生産され、「流行の服」が生まれた。すなわち、私たちが想像するファッションは西洋近代の産物であり、西洋社会における政治・経済・産業の仕組みと切り離せない。ではそのようなファッションは、日本にどのように受容されたのだろうか。
ファッションを読む
本書は、西洋のファッションが日本へいかに移入され、人々の思考や行動に変更を迫りながら日本の社会に普及し、衣服をめぐる生活に適用されて、ひいては日本独特のファッション文化を形成するにいたったのか、その歴史を明らかにするものである。よって本書は、江戸時代以前の衣服の歴史をその範囲に含むものではないし、あるいは明治以降の洋装や着物の変化を網羅的に解説することも意図していない。本書が注目するのは、日本の洋服やファッションが時代ごとにどのように変化してきたのかというよりも、日本が西洋のファッションを洋服として取り入れるにはどのような問題や理由があり、それらがどのように解決・克服され、日本独特のファッション文化を形成・発展させるにいたったのかということである。本書は、「ファッション」という観点から日本の近現代一五〇年の歴史を読む試みであるが、日本のファッションが西洋ファッションの受容をきっかけとして誕生したかぎり、その歴史は、日本のファッション史そのものであるとも言える。
不遇な「ファッション」
ところで「ファッション」は、学術的な研究対象としてはしばしば軽視されてきた。現在でもその傾向が完全に消えたわけではない。その理由は、本論でも触れるように、西洋の近代社会においてファッションが女性的なものとして発展したことにあり、なによりもファッション自体が、「流れ行く」現象とみなされてきたことにある。はかなく移ろう流行はいっとき人々を魅了して消費されるにすぎず、学問的探究に値する不変の真理ではないという暗黙のうちの偏見が、学界に醸成されてきたようである。しかし、それならばなぜ先人たちは、西洋の人々の装いを目の当たりにしたときに、それを模倣しようとしたのだろうか。自分たちがそれまで伝統的に着ていた衣服を脱ぎ捨ててまで、別の国家や民族の衣服を取り入れる必要があったのだろうか。しかも、それはただ着替えれば済む、というものではない。異文化圏の衣服を取り入れるためには、それを生産する技術を獲得し、着る方法と取り扱いの知識を身につけ、着用に伴う作法や生活習慣も変えなければならない。さまざまな不便や努力の必要性があったにもかかわらず、なぜ日本人は西洋のファッションにならおうとしたのだろうか。その理由を考えることは、現代の私たちが日々身につけ、自明のものとみなしているファッションを見直すことでもある。
近代の精神
日々の暮らしのなかでファッションを選ぶとき、西洋近代の歴史や社会にわざわざ思いを馳せる人はいないだろう。しかし重要であるのは、私たちはファッションを身につけることによって、「服には流行がある」という考えを支持しているということである。私たちが着ている服は必要に迫られて買ったというよりは、自分の好みやその時の気分で手にしたものに違いない。毎年のようにおしゃれなアイテム、トレンドのカラー、新しいスタイルが登場するので、私たちは今着ている服をなんとなく古びたものと感じてしまい、着替えたくなる。私たちは「服に流行がある」ことを不思議に思わないが、それはファッションの前提だからであり、この「新しいもの」を貪欲に取り入れようとする態度こそが、西洋近代で培われた精神なのである。それではこれから、私たちの時代のファッションが、どのように日本の社会にもたらされ、発展してきたのかを見ていこう。
[書き手]平芳 裕子(ひらよし ひろこ・神戸大学大学院教授)