書評

『ゲンロン戦記-「知の観客」をつくる』(中央公論新社)

  • 2021/02/06
ゲンロン戦記-「知の観客」をつくる / 東 浩紀
ゲンロン戦記-「知の観客」をつくる
  • 著者:東 浩紀
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:新書(288ページ)
  • 発売日:2020-12-08
  • ISBN-10:4121507096
  • ISBN-13:978-4121507099
内容紹介:
「数」の論理と資本主義が支配する残酷な世界で、人間が自由であることは可能なのか?大資本の罠と戦い、社会の分断に抗う渾身の思想

「誤配」から生まれる批評的観客

一応はビジネス戦記に分類されるのだろうが、本質は哲学書という不思議に面白い本である。

デビュー作でサントリー学芸賞、初の長編小説で三島賞を受賞し、アカデミズムにも地歩を固めて「人生上り調子で、 収入も増えて」いた著者は、なぜかそうしたメインストリームに「強い居心地の悪さ」を感じて、SNSを活用した出版企業を同志たちと起業、メインストリームに代わるオルタナティブ出版社「ゲンロン」を立ち上げる。2010年のことである。「ゲンロン」から出した思想誌『思想地図β』は三万部を売り上げ、順風満帆に見えたが、経理担当者の使い込みという試練に出会う。これで甘さを反省して経営者として目覚めたかというと、そうではなかった。東日本大震災に衝撃を受けて作りあげた『思想地図β vol.2』が売行好調だったにもかかわらず、「売上の3分の1」を被災地に寄付すると宣言したために利益が消える。さらに経理・総務担当者たちの放漫経営、遁走、独断専行、無意味な設備投資、部数の見込み違いなどの迷走が続いて、会社は経営危機に瀕し、領収書や請求書のエクセルへの打ち込みや資金繰りに追われる日々が続く。「そういう作業をするなかで、ついに意識改革が訪れました。『人間はやはり地道に生きねばならん』と」

では、なぜアカデミズムや執筆活動に戻らずに事業を続けていたかといえば、中小企業を営んでいた祖父の記憶があったからだ。「大学で教えても、本を出しても、テレビに出ても生きると実感がなかったのは、そもそも子どものころのぼくのまわりにそうやって生きているひとがひとりもいなかったからなのではないかと思います」

このようにビジネス戦記としても十分に興味深いが、本書が哲学書としても読めるのは、著者がデリダ思想から独自に抽出した郵便論的方法論、つまり手紙の誤配のようなコミュニケーションの錯誤こそがむしろ新たな価値を創造するという考え方がビジネスの試行錯誤を介して現実に立ち現れるのを見たからだ。すなわち放漫経営から始めたトークイベント・スペース「ゲンロンカフェ」や「ゲンロンスクール」の独自性が、良き「誤配」として働いて経営母体の危機を救い、アーティストやSF作家、批評家を育てることになったのだ。「ゲンロンを救ってくれたのが、カフェとスクールというふたつの『誤配』から生まれた事業だったわけです。そのような経験を経て、ぼくは、ゲンロンというのはけっしてぼくの哲学を伝えるための媒体なのではなく、ゲンロンそのものがぼくの哲学の表現だと自覚するようになったのです」

しかし、本当の哲学的覚醒はこの「誤配」の結果を分析したときに訪れる。カフェやスクールの総括、それにチェルノブイリや福島を「観光客」として訪れるダークツーリズムなどを組織した経験から、哲学的であれ商業活動を本当に支えているのはアクティブな中核(信者)ではなく、活動を遠巻きに眺めて支える観客であり、観客を集めるにはお布施ではなく良き商品を生み出すしかないと悟ったのだ。「ゲンロンでは、才能あるクリエーターではなく、それを支える批判的視点をもった観客も一緒に育てたいと考えているのです」。「誤配」から観客の創出へ。これが「ゲンロン」の哲学的覚醒のようである。

【オンラインイベント情報】2021年2月7日(日)20:00~東 浩紀 × 鹿島 茂、東 浩紀『ゲンロン戦記』を読む

書評アーカイブサイト・ALL REVIEWSのファンクラブ「ALL REVIEWS 友の会」の特典対談番組「月刊ALL REVIEWS」、第25回のゲストは26回はゲストには批評家・作家の東 浩紀さん。メインパーソナリティーは鹿島茂さん。
https://allreviews.jp/news/5310
ゲンロン戦記-「知の観客」をつくる / 東 浩紀
ゲンロン戦記-「知の観客」をつくる
  • 著者:東 浩紀
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:新書(288ページ)
  • 発売日:2020-12-08
  • ISBN-10:4121507096
  • ISBN-13:978-4121507099
内容紹介:
「数」の論理と資本主義が支配する残酷な世界で、人間が自由であることは可能なのか?大資本の罠と戦い、社会の分断に抗う渾身の思想

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毎日新聞

毎日新聞 2021年1月23日

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