書評
『四十一炮 上』(中央公論新社)
なんだかんだのお行儀のいい正論で否定してかかる御仁が多いようだけれど、わたしは大食い競争番組の大ファンなんである。尋常ならざる量の食べ物を次から次へと腹の中に送り込んでいくブラックホールのような食欲、いや、もはや“欲”などという人間臭い要素を超越したマジカルな行為を見ているうちに、思わず「チョーすごい!」と手を打ち合わせたくなる。まさに想像を超えるウルトラの世界がそこには広がっているのだ。
で――。映画化された『赤い高粱』、ポストモダニスティックなアンチ探偵小説『酒国』、激動の中国現代史を背景に恋乳拒食症児の数奇な運命を描いた『豊乳肥臀』、二十一世紀型ネオ説話文学『白檀の刑』などの傑作で知られる中国の作家・莫言の小説を読んでいると、なぜかテレ東の「大食い選手権」の歴代チャンピオンが思い出されるんである。一〇〇%で十分な世界にどうしても二〇%の“超”を上乗せせずにはいられない。二〇%の過剰によって、今此処にある現実を膨張させ、裂け目を入れ、その裂け目から異形の次元を現出させずにはおかない。そんな剣呑さにおいて、鼻水を盛大に垂らしながらラーメンをおかわりし続ける赤阪尊子さんと、アジアでもっともノーベル賞に近い作家は、わたしの心中で意外な邂逅を果たすのだ。
肉の落とし専業村に生まれ育ち、肉を愛し、肉から「わたしを食べて!」と話しかけられる異能の持ち主・羅小通が主人公の『四十一炮』もまた、一二〇%のウルトラ語りが堪能できる逸品になっている。語りのステージはふたつ。ひとつは青年となった羅小通が、おんぼろの神廟で怪しげな老僧にしている少年時代の話=四十一の炮(ホラ話)。そこに十年後にあたる現在のステージが挟まれているのだけれど、現在=現実と思ったら大間違い。この現在進行形のパートにも、莫言は虚実混淆のさまざまな仕掛けを施しているのだ。天安門事件の直後で、中国の改革・開放政策が本格化し、羅小通の生まれ育った村にも押し寄せる経済発展の波を描く中、羅小通が子供時代に聞きかじった事件や人物がうつつとも幻とも知れない形で現れる――その流れに、羅小通が肉神と讃えられるほどの食肉少年となり、やがて父母と妹を失い復讐の鬼と化すまでを語り起こす、ホラで二〇%ウルトラ化された過去のエピソードが絡むのだ。体は大人なのに心は子供のまま育ってしまった羅小通の放つ、どこまで本当でどこから嘘なのか判然としない騒々しい語りが痛快なのである。
とりわけ愉快なのが、肉の気持ちがわかるゆえに、わずか十歳で村の肉類加工場の肉洗い現場主任に就任した羅小通に、工場の屈強な大食らいが挑戦状を突きつけ、とうとう食肉コンテストが実現する第三十六炮の章。まさか莫言の小説で大食い選手権が読める日が来ようとは……。解剖台の上でミシンとこうもり傘を邂逅させるがごとく、心の中で赤阪さんと莫言を並べていたわたしにとっては感無量のくだりなんであります。出場者のうち二人はただがむしゃらに食べてギブアップしていく中、羅小通とライバルだけはまるで伝説の女性チャンピオン・伊藤織恵さんのごとくリズミカルに美しく肉を食べ続ける。大食いの極意がわかってんじゃん、莫言! この対決シーンを読んで深くうなずかない大食い選手権ファンはおりますまい。
ミステリー作品のように、巻頭に「主要登場人物一覧」をつけている版元の親切もあいまって、莫言作品の中でも飛び抜けて読みやすい上下巻。身辺雑記小説みたいな小さい物語には飽き飽きしたという方に熱烈推薦したい、二〇%増しのウルトラ傑作なのである。
【この書評が収録されている書籍】
で――。映画化された『赤い高粱』、ポストモダニスティックなアンチ探偵小説『酒国』、激動の中国現代史を背景に恋乳拒食症児の数奇な運命を描いた『豊乳肥臀』、二十一世紀型ネオ説話文学『白檀の刑』などの傑作で知られる中国の作家・莫言の小説を読んでいると、なぜかテレ東の「大食い選手権」の歴代チャンピオンが思い出されるんである。一〇〇%で十分な世界にどうしても二〇%の“超”を上乗せせずにはいられない。二〇%の過剰によって、今此処にある現実を膨張させ、裂け目を入れ、その裂け目から異形の次元を現出させずにはおかない。そんな剣呑さにおいて、鼻水を盛大に垂らしながらラーメンをおかわりし続ける赤阪尊子さんと、アジアでもっともノーベル賞に近い作家は、わたしの心中で意外な邂逅を果たすのだ。
肉の落とし専業村に生まれ育ち、肉を愛し、肉から「わたしを食べて!」と話しかけられる異能の持ち主・羅小通が主人公の『四十一炮』もまた、一二〇%のウルトラ語りが堪能できる逸品になっている。語りのステージはふたつ。ひとつは青年となった羅小通が、おんぼろの神廟で怪しげな老僧にしている少年時代の話=四十一の炮(ホラ話)。そこに十年後にあたる現在のステージが挟まれているのだけれど、現在=現実と思ったら大間違い。この現在進行形のパートにも、莫言は虚実混淆のさまざまな仕掛けを施しているのだ。天安門事件の直後で、中国の改革・開放政策が本格化し、羅小通の生まれ育った村にも押し寄せる経済発展の波を描く中、羅小通が子供時代に聞きかじった事件や人物がうつつとも幻とも知れない形で現れる――その流れに、羅小通が肉神と讃えられるほどの食肉少年となり、やがて父母と妹を失い復讐の鬼と化すまでを語り起こす、ホラで二〇%ウルトラ化された過去のエピソードが絡むのだ。体は大人なのに心は子供のまま育ってしまった羅小通の放つ、どこまで本当でどこから嘘なのか判然としない騒々しい語りが痛快なのである。
とりわけ愉快なのが、肉の気持ちがわかるゆえに、わずか十歳で村の肉類加工場の肉洗い現場主任に就任した羅小通に、工場の屈強な大食らいが挑戦状を突きつけ、とうとう食肉コンテストが実現する第三十六炮の章。まさか莫言の小説で大食い選手権が読める日が来ようとは……。解剖台の上でミシンとこうもり傘を邂逅させるがごとく、心の中で赤阪さんと莫言を並べていたわたしにとっては感無量のくだりなんであります。出場者のうち二人はただがむしゃらに食べてギブアップしていく中、羅小通とライバルだけはまるで伝説の女性チャンピオン・伊藤織恵さんのごとくリズミカルに美しく肉を食べ続ける。大食いの極意がわかってんじゃん、莫言! この対決シーンを読んで深くうなずかない大食い選手権ファンはおりますまい。
ミステリー作品のように、巻頭に「主要登場人物一覧」をつけている版元の親切もあいまって、莫言作品の中でも飛び抜けて読みやすい上下巻。身辺雑記小説みたいな小さい物語には飽き飽きしたという方に熱烈推薦したい、二〇%増しのウルトラ傑作なのである。
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