書評
『古代ローマ名将列伝』(白水社)
将たるものの資質何を学ぶか
今をときめく『サピエンス全史』や『ホモ・デウス』の歴史家ユヴァル・ノア・ハラリは、人類はもはや飢饉も疫病も戦争も克服し、今や肥満、老衰、自殺で亡くなる人間の数がはるかに多いと語っている。ところが、今年になって、中国に始原する新型コロナウイルスの感染症はもはや世界中を巻きこむ嵐になり、死者も約八千人にのぼっている。そうなると、われわれは本当に飢饉も戦争も克服したのだろうか、と問いただしたくなる。
戦争などあってはならないし、二度の世界大戦の経験は勝利した者たちにも利得などほとんどないことを教えているはずだ。しかしながら、人類の歴史は戦争に彩られていると言ってもいいほどである。だから、それらの戦争の歴史は決してなおざりにされてはならないだろう。
本書の著者A・ゴールズワーシーはイギリスの大学で教鞭をとるかたわら、著述業に勤しみ、古代史とローマ軍事史の専門家として知られている。本書では、前三世紀から後六世紀にかけて卓越した十五人のローマの武将をとりあげ、戦役におけるエピソードに焦点を絞り、各人の統率の仕方を見ていく。「軍事作戦の各段階で司令官が何をしたか、それが事の成り行きをどう左右したのか」に力点が置かれている。
カルタゴのハンニバル軍をザマの決戦で破ったローマのスキピオには、数年後にハンニバルと会話を交わしたというエピソードがある。誰が古今東西随一の名将と思うか、とスキピオが問うと、一番目がアレクサンドロス大王で、二番目がエペイロス王ピュロスで、三番目が自分自身だとハンニバルは答えたという。スキピオは笑いながら「もしあなたが私を破っていたら、何と言っただろうか?」と問うと、自分が誰よりも上位にあるという答えだった。このハンニバルの返答には、有能な自分を破ったのだから、スキピオこそ最高の名将だという称讃の意がある。真偽のほどは疑わしいが、さもありなんという評価である。
前一世紀はローマ人同士が血を流した異例の時代である。兵卒たちは祖国のために戦うのではなく、将軍のために戦うのだから、統率者にはなんとも魅力がなければならなかった。とりわけカエサルは兵士たちに「戦友」とよびかけ、部下たちと困難を共有しようと努めている。兵士たちの感情、部隊への誇り、勇敢な兵士としての自尊心をいかに操るかをカエサルは熟知していたという。
ネロ帝の治世にコルブロという有能な武将がいた。寒冷なアルメニアの高地での戦いで、コルブロは部下たちと苦難を共にし、「身軽な服装で帽子もかぶらず、行軍中も労務中もそばに寄って、真摯な兵をもち上げ、脆弱な兵を慰め、すべての兵に模範を示した」(タキトゥス)という。
四世紀、背教者として知られるユリアヌスは些細な作戦にまで関与していたという。このころの軍隊は、どんな将軍でも解任して後釜は自分たちで選べるという意識をもっていたらしい。ユリアヌスが正帝になり、異教信仰を隠さなくなったとき、キリスト教徒の兵士のなかには反感をいだく者がいた。勇敢だったユリアヌスは戦闘の指揮を執るために全速力で馬を走らせたが、一本の投槍がわき腹に突き刺さり、落馬した。ほどなく彼は息を引き取ったが、槍を投じたのはキリスト教徒の兵士だったという噂が立っていたという。
著者はたんたんと史実を再現しようと努めている。将たるものの個性と決断。そこからいかなる教訓を引き出すかは読者の自由である。正確な情報にもとづく実例だからこそ、良質な示唆が期待できる。
ALL REVIEWSをフォローする




























