言語習得の過程から言葉の魅力を改めて知る
ラジオで話す仕事をしているが「感染者数」がうまく言えない。「かんせんしゃしゅう」になってしまう。間違えないようにと思えば思うほど「しゃしゅう」になる。意識せずに読んだほうが「しゃすう」と言える。言語を習得してきたプロセスを自分自身は知らない。でも、親は知っている。車のことを「ブーブー!」と言っていたのにある時から「くるま!」と切り替えた瞬間には何があったのか。
言語学者が、自分の娘がどのようにして言語を得ていったのかを追いかけながら、言葉の魅力・不可思議さ・懐の深さを知らせる一冊は、言葉の柔軟性を改めて認識する一冊でもある。
子どもは繰り返しを好む。「くらくして」は「くらくらして」、「バドミントン」は「バミトントン」という具合に。今、大人になって新たに言葉を覚える時、もちろん正確にその言葉を把握する。でも、子どもは自分なりの心地よさを優先して覚えようとする。
大ヒットした商品名や作品名に「両唇音」が多いとよく言われる。文字通り両方の唇を使い、一度閉じた唇を破裂させるように発する。著者は娘が好きなアニメ作品『フレッシュプリキュア!』の登場人物にやたらと両唇音で始まる名前が多いことに気づく。「なんと2019年の時点で、名前が両唇音で始まるプリキュアは59人中28人」だった。
「アンパンマン」が「アンバンマン」だったら、「ばいきんまん」が「ぱいきんまん」だったら、善悪の役割が反転してしまいそうだが、言葉は繊細さと大胆さを兼ね備えていて、もしかしたら大人になるにつれて、そういった言葉の魅力を手放しているのかもしれない。言葉って、間違ってはいけないもの、ではなく、付き合い続けるもの、くらいの意識がいいのかもしれない。