書評
『容疑者の夜行列車』(青土社)
谷崎潤一郎賞(第39回)
受賞作=多和田葉子「容疑者の夜行列車」/他の選考委員=池澤夏樹、河野多惠子、筒井康隆、丸谷才一/主催=中央公論新社/発表=「中央公論」二〇〇三年十一月号みごとな小説的たくらみ
『容疑者の夜行列車』(多和田葉子)の小説的なたくらみに、まんまと引っ掛かってしまった。ここまで巧みに担がれると、口惜しいというよりも、いっそ快感ですらある。そのたくらみとは、〈その日の夕方から夜にかけて、あなたはハンブルグのダムトア駅の近くにある小さなホールで踊った。〉(第1輪「パリへ」)という二人称の語りである。二人称の語りに成功した例は少ない。「あなたはどうした、こうした」と書かれても、読者としては挨拶に困るような小説が多く、「あなた、あなたと、うるさい作者だね。わたし(読者)には関係がないよ」と、途中で抛り出してしまうことになる。だが、この小説の二人称はちがった。「あなた、あなたと呼び掛けてくるけれど、作者から、あなたと呼び掛けられているわたし(読者)とは、何者だろう」という、これまでに味わったことのない、ふしぎな文学的体験を迫られるのだ。成功の原因はいくつもあるが、なによりも、作者が前半で仕掛けた罠が効いている。たとえば、第2輪「グラーツへ」の冒頭の、こんな行(くだり)。駅に早く着きすぎて、一つ前の列車に乗ろうと思えば乗れるのだが、あなたはそれを見送る。〈計画外の列車に乗って早く着いたつもりで得意になっていると、旅運の神々の逆鱗に触れ、予期せぬ事故が起こるかもしれない〉からだ。こういう生活訓は、わたしたち読者の生活訓でもある。そこで次第に「このあなたとは、作者からあなたと呼び掛けられているわたし(読者)ではないか」と錯覚して、この小説に囚われてゆく。
では、あなたと呼び掛けられているわたし(読者)は何者なのか。それもやがて明らかになってゆくが、その過程も機知とスリルに満ちている。そして、あなたが、「人間存在とはみな、夜汽車の乗客のようなものかもしれない」と気づいたときに、この小説は終わる。これもまた、みごとなたくらみだった。
【この書評が収録されている書籍】
中央公論 2003年11月号
雑誌『中央公論』は、日本で最も歴史のある雑誌です。創刊は1887年(明治20年)。『中央公論』の前身『反省会雑誌』を京都西本願寺普通教校で創刊したのが始まりです。以来、総合誌としてあらゆる分野にわたり優れた記事を提供し、その時代におけるオピニオン・ジャーナリズムを形成する主導的役割を果たしてきました。