書評

『容疑者の夜行列車』(青土社)

  • 2020/04/09
容疑者の夜行列車 / 多和田 葉子
容疑者の夜行列車
  • 著者:多和田 葉子
  • 出版社:青土社
  • 装丁:単行本(163ページ)
  • 発売日:2002-06-01
  • ISBN-10:4791759737
  • ISBN-13:978-4791759736
内容紹介:
戦慄と陶酔の夢十三夜。旅人のあなたを待ち受ける奇妙な乗客と残酷な歓待。宙返りする言葉を武器にして、あなたは国境を越えてゆけるか。-稀代の物語作者による傑作長篇小説!半醒半睡の旅物語。

谷崎潤一郎賞(第39回)

受賞作=多和田葉子「容疑者の夜行列車」/他の選考委員=池澤夏樹、河野多惠子、筒井康隆、丸谷才一/主催=中央公論新社/発表=「中央公論」二〇〇三年十一月号

みごとな小説的たくらみ

『容疑者の夜行列車』(多和田葉子)の小説的なたくらみに、まんまと引っ掛かってしまった。ここまで巧みに担がれると、口惜しいというよりも、いっそ快感ですらある。そのたくらみとは、〈その日の夕方から夜にかけて、あなたはハンブルグのダムトア駅の近くにある小さなホールで踊った。〉(第1輪「パリへ」)という二人称の語りである。二人称の語りに成功した例は少ない。「あなたはどうした、こうした」と書かれても、読者としては挨拶に困るような小説が多く、「あなた、あなたと、うるさい作者だね。わたし(読者)には関係がないよ」と、途中で抛り出してしまうことになる。だが、この小説の二人称はちがった。「あなた、あなたと呼び掛けてくるけれど、作者から、あなたと呼び掛けられているわたし(読者)とは、何者だろう」という、これまでに味わったことのない、ふしぎな文学的体験を迫られるのだ。

成功の原因はいくつもあるが、なによりも、作者が前半で仕掛けた罠が効いている。たとえば、第2輪「グラーツへ」の冒頭の、こんな行(くだり)。駅に早く着きすぎて、一つ前の列車に乗ろうと思えば乗れるのだが、あなたはそれを見送る。〈計画外の列車に乗って早く着いたつもりで得意になっていると、旅運の神々の逆鱗に触れ、予期せぬ事故が起こるかもしれない〉からだ。こういう生活訓は、わたしたち読者の生活訓でもある。そこで次第に「このあなたとは、作者からあなたと呼び掛けられているわたし(読者)ではないか」と錯覚して、この小説に囚われてゆく。

では、あなたと呼び掛けられているわたし(読者)は何者なのか。それもやがて明らかになってゆくが、その過程も機知とスリルに満ちている。そして、あなたが、「人間存在とはみな、夜汽車の乗客のようなものかもしれない」と気づいたときに、この小説は終わる。これもまた、みごとなたくらみだった。

【この書評が収録されている書籍】
井上ひさし全選評 / 井上 ひさし
井上ひさし全選評
  • 著者:井上 ひさし
  • 出版社:白水社
  • 装丁:単行本(821ページ)
  • 発売日:2010-02-01
  • ISBN-10:4560080380
  • ISBN-13:978-4560080382
内容紹介:
2009年までの36年間、延べ370余にわたる選考会に出席。白熱の全選評が浮き彫りにする、文学・演劇の新たな成果。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

容疑者の夜行列車 / 多和田 葉子
容疑者の夜行列車
  • 著者:多和田 葉子
  • 出版社:青土社
  • 装丁:単行本(163ページ)
  • 発売日:2002-06-01
  • ISBN-10:4791759737
  • ISBN-13:978-4791759736
内容紹介:
戦慄と陶酔の夢十三夜。旅人のあなたを待ち受ける奇妙な乗客と残酷な歓待。宙返りする言葉を武器にして、あなたは国境を越えてゆけるか。-稀代の物語作者による傑作長篇小説!半醒半睡の旅物語。

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初出メディア

中央公論

中央公論 2003年11月号

雑誌『中央公論』は、日本で最も歴史のある雑誌です。創刊は1887年(明治20年)。『中央公論』の前身『反省会雑誌』を京都西本願寺普通教校で創刊したのが始まりです。以来、総合誌としてあらゆる分野にわたり優れた記事を提供し、その時代におけるオピニオン・ジャーナリズムを形成する主導的役割を果たしてきました。

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