書評

『ふたくちおとこ』(河出書房新社)

  • 2020/05/13
ふたくちおとこ / 多和田 葉子
ふたくちおとこ
  • 著者:多和田 葉子
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(157ページ)
  • 発売日:1998-10-01
  • ISBN-10:4309012442
  • ISBN-13:978-4309012445
内容紹介:
ティルは、口と肛門のふたつの口でしゃべった。ドイツの伝説にあらわれた無用で無意味な奇蹟のおとこたち!多和田葉子が誘うマジカル・ミステリー・ツアー。

欲望を映す鏡とフクロウ

表題作の主人公ティルは、真夏の木の葉の緑色をした髪に、山猫とも詐欺師とも同じ緑の目を持つ年齢不詳の子ども。「腿にはロウソクの側面にロウが垂れて房になっているあれそっくりに、筋肉が房になって付いて」おり、ぐりぐりした膝を切り開けば、よく焼いたレバー色の桃の実が取り出せそうという、そんな脚で、町から町へと渡り、「ニーダーザクセン中世の旅」に参加する日本人ツアー客の前で、いたずらをしては逃げていく。

このティル、本当は名前がない。彼はみんなのなって欲しいものになる。観光客の前では「オンガク」や「ワイン」と名乗り、手伝いを必要としているパン職人の前ではパン職人と名乗り、鍛冶屋の親方から「おまえのせいで経費にマイナスが出た」と言われれば、「わたくしの名前はマイナスであります」と切り返す。しかし、言葉の上でなっただけだから、結局は混乱の種を蒔くだけ。みんなの言葉がおかしくなる。日本人のガイドはティルの言葉を通訳しようとして、別のことをしゃべってしまう。その通訳の内容を聞いて、観光客はまた勝手な方向へ話をついでいく。拍車を掛けるように、ティルの苦手な三人の妖怪のような女たちが、ティルの言葉尻を捉えて言いたい放題。

ただ、旅行客の一人、いのんどだけは別だ。何を見ても気に入ると、「そいつ、おれ。おれ、それ。いつか、あいつだった、そいつ、今、おれ」と自分に同化させてしまういのんどは、実はなり損ないのティル。その証拠に、ティルを初めて見た途端、「あいつは、おれたちをだまそうとしている。自分のことだからよく分かる」と喝破し、ティルの国の言葉はわからないはずなのに、ティルのセリフと呼応するように話す。ティルが、人間とは「汚いものの詰まった袋」だと言えば、いのんどは意味もわからないまま拍手をし、「袋の鼠とは俺のことだな」と独り言を言う。逆にまた、いのんどが「カジヤ」の話をすれば、ティルはティルで「鉄は熱いうちに打て」と同時につぶやいている。

けれど、いのんどはどうしてもティルにはなれない。なぜなら、「性器だけは、生まれた時の大きさのままほとんど成長しなかった」ティルが母親から逃げ続ける子どもなのに対し、いのんどは旅行仲間の薬局の女王人「迷迭香(まんねんろう)」(=万年牢?)と恋仲になり囚われつつある大人の男だから。「赤みがかって、肌がかなりつるつるしている」いのんどの手は、ティルの真似をして落書きをしようとチョークを手にとると、チョークが子鳥のよう柔らかく暖かく「マシュマロのようにふんにゃり曲がってしまって、何も書くことができない」。最後には、いのんどと薬局の女主人との間の性愛を想起させる記述(プードルの毛皮の中で自由に動く二匹の仔猫、湯気の立つしぼりたての牛乳を浴びせられて立ちつくすティル、貝のように開く大きな財布等々)が続くが、その場面にも割って入るティルは、結局、何者? ふたくちおとことは、維? それを考えるのもよいし、そんな謎解きはせず、登場人物たちの屁理屈に身をゆだねるのもよい。

ほかに、アフリカから奴隷として連れてこられ学者にまでなったアモと、現代日本の留学生タマオを交錯させた寓話「かげおとこ」、ハーメルンの笛吹き男を題材に断章形式でエピソードを膨らませた「ふえふきおとこ」で、中世ニダーザクセンが舞台の三部作を形成している。いずれも言葉が言葉に呼応するうち妙な気分になっていく多和田文章で書かれているが、やや図式的なきらいのあるテーマによって自在な広がりを狭められているのが残念でもある。多和田葉子の小説は、あるはずの意味が抜け落ちていたり、ないはずの何かが加わっていたりするような胸騒ぎを覚えさせる日本語で、動かなくなったイメージをなし崩しにするところが魅力なのだから。

なお、装丁もこの愛らしく気がかりな物語集にぴったり合っていて、得をした気分になれる。
ふたくちおとこ / 多和田 葉子
ふたくちおとこ
  • 著者:多和田 葉子
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(157ページ)
  • 発売日:1998-10-01
  • ISBN-10:4309012442
  • ISBN-13:978-4309012445
内容紹介:
ティルは、口と肛門のふたつの口でしゃべった。ドイツの伝説にあらわれた無用で無意味な奇蹟のおとこたち!多和田葉子が誘うマジカル・ミステリー・ツアー。

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