「地方主体」へ、コペルニクス的転回
日本人が古墳を作ったのではない。古墳づくりが日本と日本人を作った。そう思っている。以前、著者と話したことがある。古墳時代に国内総生産(GDP)統計があったら驚異の割合を古墳築造に費やしていたのでは、という話になった。なにしろ日本列島にはコンビニより多い十六万基の古墳がある。古墳を作るために大規模な動員や徴発が行われるから、クニや国家ができた。この古墳モニュメントづくりが終末を迎えた約1300年前に「日本」という国号も生じた。また近年、DNA解析が進み、現代日本人の原型は古墳時代に出来上がったとされる。だから古墳を知ることは日本を知ることだ。本書は一般にもわかりやすい古墳の解説図録である。ところが、さすがは古墳研究者中第一の論客だけのことはある。既存の学説を並べただけの、ただの概説書ではない。当たり前のように受け入れられてきた過去の有力学説の問題点を鋭く突き、松木(まつぎ)古墳論の集大成をポケットサイズの文庫本に詰め込んでいる。古墳を語るときにモノトーンの学説でみない。時と場所により古墳は多様な姿と意味づけをみせた。それを豊富な写真で丁寧に解説してくれている。
本書は「前方後円墳体制・前方後円墳秩序」論という通説を批判する。古墳時代、列島はヤマト王権による統一が進んだ。前方後円墳はヤマトで発生し、最大の墳丘も畿内にある。平たくいえば、ヤマトの王・大王が「前方後円墳」の設計をコントロール。前方後円墳の大きさや形で、自分や地方の王たちの上下関係を“見える化”し秩序づけた。それが列島に広く及んでヤマト王権が全国政権になっていった。これが過去の通説だが、松木古墳論は地方の王たちが分権的にいて「競争的展開」で築造していた多様性を重視する。権力が大きいからと比例的自動的に古墳は大きくはならない。例えば九州の豪族だ。当時は先進地で政治・経済も強い勢力だが墳丘は小さめだ。大陸の半島部では国が大きくても墳丘は小さい。九州がその影響を受けている可能性は否定できない。松木古墳論はこんな古墳が地域でみせる多様な顔を拾う。積石塚(つみいしづか)といって土がなく石だけの古墳もある。墳形も双円・六角・八角とさまざまだ。世界のモニュメント的な墳墓と列島の古墳をグローバルに比較して論じている点もうれしい。
古墳とは何か。古墳は三世紀に発生し八世紀に消滅した。その五百年間、古墳の意味づけは一様ではない。変わった。当初は葬る・葬られる王・女王を天高く「神」に仕立てる舞台として古墳は発達したという。四世紀末に古墳のモニュメント化が完成し、五世紀に規模が最大化。ところが六世紀にはモニュメントから墓に逆戻り。最後は墳丘よりも石室に凝って消滅した。この変化は都のあった奈良県の飛鳥で始まり地方に波及するから著者は地方古墳の「飛鳥化」と呼ぶ。
考古学者たちは「古墳を、大王を頂点とした地位表示」物と見て、大王(天皇)のいる畿内政権と地方各地との力関係をひたすら論じてきた。本書が投じた一石の波紋は大きいと思う。畿内の天皇目線の天動説の古墳論から、地方の複雑な事情を考慮した地方が主体の地動説の古墳論へ。本書はコペルニクス的転回の本だ。