知性の根源は創造と発明VS人工知能
世間の話題をさらい続けた生成AI(人工知能)の進化は止まらない。AIは人間の知恵を遥かに凌駕し、近い将来ほとんどの仕事はAIに奪われる。そのような予想はだいぶ前から語られてきたが、一部の業種ではすでに現実になりつつある。AIが人間の脳を代替できる時代は本当に到来するのか。懐疑的な見方はむろんある。本書もその一つだが、人間の脳と神経系統の構造に根拠を置いた点ではこれまでの議論とまったく違う。
AIの圧倒的能力と幅広い実用性について、われわれは確かに衝撃をもって目撃してきた。だが、AIは人間の知性を超えるかというと、どうやらそうでもないらしい。なぜならAIは技術革新を起こしたり、独創的な科学研究をしたりすることはできないからだ。その理由は何か。
著者によると、人間の思考は少なくとも論理的思考と物語思考の二つからなっているという。AIは論理的な思考をベースにした情報処理のシステムである。その大もとになる論理についての探求は古代ギリシアの時代にさかのぼる。
紀元前四世紀の哲学者は知性について考えをめぐらすなかで、思考の道具が論理であるという認識にいたった。その集大成はアリストテレスの『オルガノン』である。そこで導き出されたのは論理の形式的な規則である。三段論法のように、やがて論理回路の基本はAND/OR/NOT集約され、抽象的記号で自然言語を記述する道が開かれた。
二十世紀に入ってから、この問題についての探索はいっそう深められ、人間の知的思考が象徴記号で表現できるならば、自動計算による処理が可能だと考える人が現れた。一方、理系の分野では演算処理の機械についての研究が進められ、一九四六年、世界初のデジタル計算機が誕生した。ここにいたって、算術演算だけでなく、機械によるAND/OR/NOTなどの論理演算も可能になった。その後、コンピューターは驚異的な発展を遂げ、ついにAIの出現を迎えた。
このように、コンピューターやAIが行うのは論理的思考で、その驚くべき知能は論理演算の結果である。ところが、論理的思考は人間の思考の一部に過ぎず、知性の主要な根源は仮説の創造と新しい行動の発明だと著者は言う。
これは人間だけができることで、コンピューターやAIはできない。その理由は人間の脳の構造にある。コンピューターやAIの演算は電気的信号によるもので、シグナルの伝達は直線的に行われている。それに対し、人間の神経組織は異なったメカニズムで働く。
ニューロン(神経細胞)間のシグナル伝達にかかわる部分はシナプスという。人間の脳には膨大な数のニューロンがあり、その大部分がシナプスでつながっている。ニューロンのなかで生じた活動電位は電気的信号で、シナプスはそれを化学的信号に変化させて次のニューロンに伝える。そのメカニズムはまだ完全には解明されていないが、神経科学と文学の両方を専攻した著者はシナプスが伝達すべき対象を探す過程において、推測や試行錯誤を繰り返したのではないかとの仮説を立てた。
このシナプスの特性があるからこそ、私たちの脳は認知ナラティブを即興で行ったり、試したり、改良したりすることができる。著者はその機能を名付けて物語思考という。人間の脳は正確ではないから、論理的思考においてはAIに劣る。しかし、ニューロンは試行錯誤のプロセスを繰り返して、創造的な推測をしたり、オリジナルの行動の筋立てを作ったりすることができる。
一口に物語思考とは言っても、文系にかぎったことではない。創造的な推測をし、オリジナルの行動の筋立てを作るという点において、アインシュタインの相対性理論もダーウィンの進化論も物語思考の想像力が働いた結果である。つまり、物語思考は文学、芸術、スポーツなどにおいて力を発揮するだけでなく、科学研究や技術革新にも欠かせないものだと著者は強調する。
AI帝国主義に対し、これまでの文系擁護論は人文学の実用的価値を強調したり、人格形成と関連付けて論じたりするものが多い。本書の主張は従来と違い、物語思考は脳の生物学的機能に由来するもので、人間の知性の重要な構成部分だと説いたところに新鮮味がある。
西洋思想史において論理的思考についての探求が連綿として続いてきたにもかかわらず、これまで物語思考はおろそかにされてきた。AIのように、論理的思考の驚異的な拡張が遂げられているいまこそ、計り知れない力を秘めている物語思考を生かし、脳の創造性を最大化すべきだと著者は説いている。
ニューロンの働きについてはまだ研究途上にあり、現段階では著者が提起した物語思考は一つの仮説にすぎない。ただ、神経科学の知見を活かし、西洋精神史と科学史の文脈においてこの問題を捉え直すのは面白い試みである。