書評

『僕の違和感』(早川書房)

  • 2018/05/19
僕の違和感〈上〉 / オルハン・パムク
僕の違和感〈上〉
  • 著者:オルハン・パムク
  • 翻訳:宮下 遼
  • 出版社:早川書房
  • 装丁:単行本(392ページ)
  • 発売日:2016-03-24
  • ISBN-10:4152095989
  • ISBN-13:978-4152095985
内容紹介:
イスタンブルで呼び売りとなった青年メヴルトが見つめた大都市、そして彼の恋と夢……『わたしの名は赤』のノーベル賞作家の最新作!

発展続ける都市と庶民の思い

どの土地にも郷愁を誘う「声」が存在する。その声に運ばれて届く、喪失を運命づけられているものが、人々を過去に呼び戻す。だからこそ耳にした瞬間、淡い懐かしさが胸に広がる。

トルコのイスタンブルでは、それは街路に響く「ボーザー」という声だと、この国際都市が生んだノーベル賞作家パムクは言う。本書は、この「ボザ」と呼ばれる伝統的なアルコール飲料を売り歩くメヴルトという男の半生を描いた小説である。

生粋の都会っ子でインテリの作者パムクとは異なり、メヴルトはアナトリアの貧しい村の出身だ。1969年、12歳のときに、イスタンブルでヨーグルト売りをしていた父のもとに呼ばれ、「一夜建て」と呼ばれる粗末な住居での暮らしが始まる。

メヴルトは高校中退後も父の仕事を手伝うが、いとこの結婚式の席上で新婦の妹に一目惚(ぼ)れし、地方の村に暮らすそのライハという娘にせっせとラブレターを送り続ける。

だが悲しいかな、愛はあっても婚資はない。いとこの助力を得て、なんとメヴルトとライハは駆け落ちをする。だが思わぬ展開が……。新婦には2人の妹がいたのだが、メヴルトは思い人の名前を間違っていたのだ!

妻との間に2人の娘を授かり、家族を養うために昼は屋台を引いたり軽食スタンドに勤めたりしながら、夜は担ぎ棒を肩に、ボザを売り歩くメヴルト。果たしてそんな彼の人生は幸せなものだったのだろうか?

それについては他の登場人物の声に耳を傾けよう。妻やその姉妹、父や義父、いとこや親友など他の登場人物たちが読者に直接語りかけてくる多声的な構成も本書の魅力の一つだ。その多様な語りが、木訥(ぼくとつ)な一庶民の誠実な生きざまを通して、20世紀中葉から現在に至る大都市イスタンブルの姿を陰影とともに多層的に浮かび上がらせる。

イスタンブルは急速に拡大発展し、日々刻々と相貌を変える。道路が整備され、高層建築が林立する。都市開発の波は「一夜建て」が密集する丘にも及び、貧富の差を拡大させる。

こうした変化を前にメヴルトが覚える「違和感」は、日本の「僕たちの違和感」ともいえる。それだけに、儲(もう)けがなかろうが、街路に出て、「ボーザー」と声を張り上げ続ける彼の存在は尊い。その彼が胸に秘めたつねに変わらぬ一つの思いをついに言葉にする瞬間は感動的だ。きっと、この嘘偽りのない声を読者に、そしてメヴルト自身に聞かせるために、パムクはこの長い小説を書いたにちがいない。
僕の違和感〈上〉 / オルハン・パムク
僕の違和感〈上〉
  • 著者:オルハン・パムク
  • 翻訳:宮下 遼
  • 出版社:早川書房
  • 装丁:単行本(392ページ)
  • 発売日:2016-03-24
  • ISBN-10:4152095989
  • ISBN-13:978-4152095985
内容紹介:
イスタンブルで呼び売りとなった青年メヴルトが見つめた大都市、そして彼の恋と夢……『わたしの名は赤』のノーベル賞作家の最新作!

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初出メディア

日本経済新聞

日本経済新聞 2016年5月8日

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