書評

『ブルックリン・フォリーズ』(新潮社)

  • 2022/11/10
ブルックリン・フォリーズ / ポール・オースター
ブルックリン・フォリーズ
  • 著者:ポール・オースター
  • 翻訳:柴田 元幸
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(464ページ)
  • 発売日:2020-05-28
  • ISBN-10:410245117X
  • ISBN-13:978-4102451175
内容紹介:
六十歳を前に、離婚して静かに人生の結末を迎えようとブルックリンに帰ってきた主人公ネイサン。わが身を振り返り「人間愚行の書」を書く事を思いついたが、街の古本屋で甥のトムと再会してから思いもかけない冒険と幸福な出来事が起こり始める。そして一人の女性と出会って……物語の名手がニューヨークに生きる人間の悲喜劇を温かくウィットに富んだ文章で描いた家族再生の物語。

上機嫌な筆致で語る愚行の物語

本作の主人公にして語り手ネイサンは、大病、退職、離婚ののち、故郷ブルックリンに戻ってくる。時間を持て余し、「人間の愚行の書」(ザブックオブヒューマンフォリーズ)と題して生涯で犯してきたヘマ、ドジ、失態を書き記し始めた彼は折しも、ハリーという初老のゲイの経営する古本屋で、甥(おい)のトムに再会する。

強烈に嫉妬深い夫のいる美人ウェイトレスの笑顔が見たくて近所の食堂に通いつめ、ほれ見たことかトラブルに巻き込まれるネイサン。有望な文学研究者の卵だったのが挫折し、いまではハリーの書店で働きながら将来の展望もなければ彼女もいない、肥満の三十男トム。ニューヨークに来る前の、人には言えない過去に懲りずに、再び「悪だくみ」するハリー。やれやれ。

そこに爆弾登場。トムの行方不明の妹オーロラの娘ルーシーが突然現れるのだ。ところが困ったことに、少女はなぜか一言も発しようとしない。その沈黙の背後には、オーロラの巻き込まれた愚行の影が……。そしてこのルーシー、伯父たちとヴァーモントへ向かう途上とんでもない愚行をやらかす。だがブルックリンを離れたこの小休止が、物語に新しい出会いと思いがけない展開をもたらす。

ネイサンとトムの文学談義はたまらない。とりわけ死期の迫ったカフカと一人の少女のエピソードは感動的だ。そのカフカの行為が、大言壮語の胡散臭(うさんくさ)い人物でありながらロマンチックな夢想=物語をつねに抱えていたハリーの最後の「大盤振舞(おおばんぶるま)い」とどこか響き合っているのを知るとき、善行と愚行の境界は曖昧(あいまい)であり、大切なのはどれだけ切実に人のことを思えるかなのだと気づかされる。

語り手の上機嫌な筆致が心地よい。そうだ、我々の犯す個々の愚行の大半は、陽気に語り笑い飛ばせる〈物語〉になりうるのだ。無論それが、利他的な善意を装った政治的・宗教的狂信という巨大な愚行に陥らない限りにおいて。
ブルックリン・フォリーズ / ポール・オースター
ブルックリン・フォリーズ
  • 著者:ポール・オースター
  • 翻訳:柴田 元幸
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(464ページ)
  • 発売日:2020-05-28
  • ISBN-10:410245117X
  • ISBN-13:978-4102451175
内容紹介:
六十歳を前に、離婚して静かに人生の結末を迎えようとブルックリンに帰ってきた主人公ネイサン。わが身を振り返り「人間愚行の書」を書く事を思いついたが、街の古本屋で甥のトムと再会してから思いもかけない冒険と幸福な出来事が起こり始める。そして一人の女性と出会って……物語の名手がニューヨークに生きる人間の悲喜劇を温かくウィットに富んだ文章で描いた家族再生の物語。

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初出メディア

朝日新聞

朝日新聞 2012年7月29日

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