絡みあう二つの人格、私とは?
トルコの現代小説を読んだことがなかった。オルハン・パムクはイスタンブール生まれの人気作家で、2006年にはノーベル文学賞を受けている。――エンターテインメントの気配もある、と聞いたが――
読みにくさも残る作品だ。
内容は17世紀、オスマントルコのメフメト4世のころ、冒頭でイタリア人の“わたし”の乗る船がトルコの海賊に襲われ“わたし”は医術の心得を訴えてからくも命をつなぐが、曲折のすえ文中で“師”と呼ばれる男の奴隷とされる。“わたし”と“師”は顔つきがそっくり。
――おもしろいことが起きるぞ――
と思うが、二人は天文学やら花火の研究やら科学のような哲学のような営みに耽(ふけ)って睦(むつ)みあったり感情をささくれ立たせたりしている。主人と奴隷、信教のちがい、知識の差異、心身の類似性、愛憎の入り交じった日々が続く。ペストが流行し、死への恐れを仲介にして二人のあいだに変化が生じ、
「わたしがおまえになるから、おまえはわたしになれ」
鏡の前のイメージが交錯する。作品の背後に流れているのは“私とは何か”というテーマだろうか。
皇帝の寵(ちょう)をえた“師”は、すさまじい兵器を造り、ヨーロッパとの戦いに向かうが、トルコ軍の旗色はわるい。“わたし”と“師”の乖離(かいり)、さまざまな思案、いくつもの妄想、二つの人格が絡みあい、どれが、どちらに属するものなのか。
年月が流れ“わたし”はトルコに住んで妻子を持ち、まさにトルコ人として平穏な生活を送っている。回想をめぐらし、
――昔、イタリア人の奴隷と親しんだなあ――
と実感を抱いたりしている。 旅人が訪ねて来て、イタリアでは“師”らしき男がイタリア人になりきって昔日のことを、トルコで深く関(かか)わった男とのくさぐさを冗舌に語っているとか。リアリズムの中での人間の入れ替わり……。歴史的事件や実在した人物を登場させながら異形のフィクションを構築し、深い読後感を残す作品だ。