書評
『叙情と闘争 - 辻井喬+堤清二回顧録』(中央公論新社)
登場人物華やかに、文人経営者の屈折
辻井喬が文人として一家をなしていることは紛れもない事実である。そして堤清二が、剛腕の政治家・堤康次郎の息子であり、セゾングループなどを育てあげた有力な経営者であったこともよく知られている。だが、この二人が同一の人物であることは、どれほど知られているのだろうか。まあ、常識の範囲内……。とはいえ、その内面の葛藤は明らかではあるまい。本書はその一端を示す回顧的エッセー集である。
辣腕の事業家でもあった父・康次郎は十分に封建的な家長であったろう。清二は屈託の中で幼少時を過ごし、文学を知り、詩才を発揮し、学生時代には父に反逆するように左翼運動に関わった。いくつかの屈折のすえ父が衆議院議長にあるころ秘書となり、多くの人の知遇をえて、やがて父の死後、流通事業の経営に乗り出す。合理性と文化性を備えたユニークな経営者として、その手腕は記憶に新しい。本書を一読して驚嘆するのは登場する人物の華やかさだ。アイゼンハワー、コワレンコ、周恩来、池田勇人、盛田昭夫、渡辺一夫、中野重治、丹羽文雄、吉井勇、中村草田男、武満徹、田辺茂一、まったく枚挙にいとまがない。著者と同時代を生きた読者には、
――なるほど、こんなことあったなあ――
エピソードを包む世情を思い起こし、その陰にあった事情をあらためて知ったりするだろう。筆致はしなやかで、とても読みやすい。ただし話題が多岐にわたっているから……たとえば事業に興味を持つ人には詩人の思索はなじめないかもしれない。目次を見て、読むページを取捨選択するのも一法だろう。
しかし、さらによく読めば、深い才知が合理を求め、調和をさぐり、争いもいとわず信ずるものを求めた葛藤が随所に見えてくる。成果より思考のプロセスが興味深い。優雅なるへそ曲がりがおもしろい。
「金持ちのボンボンがさァ、左翼にかぶれたけど、結局は経営者になって、あとは詩人かよ」
と下世話な批評もありえようが、それはあまりにも浅薄な見方だ。天与の境遇の中でどう生きるか、考えること、執拗に迷うこと、行動すること、もののあわれと美を求めること、エピソードには“叙情と闘争”という象徴的なタイトルを超えて訴えてくるものがある。
文中によい言葉が散っている。著者自身の言葉ばかりではなく、出会った人たちの名言を……それを記憶して残すことも文人の技だろう。“三島由紀夫が死をもって問いかけたのは、手続き民主主義とも呼ばれる今の体制の中で、本当のナショナリズムを形にすることは可能なのか、という問題だったのではないか”は前者の一例であり、他者の言葉としては“日本の革新思想は社会差別には言及しても、不思議に性差別について関心が薄い”(森有正)あるいは“ビジネスと涙は別だ。ビジネスを涙で成功させられるのは映画だけだ”(城戸四郎)など、おもしろい。
朝日新聞 2009年7月26日
朝日新聞デジタルは朝日新聞のニュースサイトです。政治、経済、社会、国際、スポーツ、カルチャー、サイエンスなどの速報ニュースに加え、教育、医療、環境、ファッション、車などの話題や写真も。2012年にアサヒ・コムからブランド名を変更しました。
ALL REVIEWSをフォローする