前書き

『アルファベット順の文化史:図書館の分類法からオリンピックの国別入場まで』(原書房)

  • 2025/10/23
アルファベット順の文化史:図書館の分類法からオリンピックの国別入場まで / ジュディス・フランダース
アルファベット順の文化史:図書館の分類法からオリンピックの国別入場まで
  • 著者:ジュディス・フランダース
  • 出版社:原書房
  • 装丁:単行本(382ページ)
  • 発売日:2025-09-26
  • ISBN-10:4562075708
  • ISBN-13:978-4562075706
内容紹介:
頭文字の順番に並べたとき情報の分類が始まったアルファベットのルーツとされる古代エジプトの碑文に始まり、頭文字の順番で並べることが情報を分類という新たな世界に導いた。優劣をつけない… もっと読む
頭文字の順番に並べたとき情報の分類が始まった
アルファベットのルーツとされる古代エジプトの碑文に始まり、頭文字の順番で並べることが情報を分類という新たな世界に導いた。優劣をつけないフラットな並べ方、アーカイブ、索引といった技術がもたらしたものとは。

情報を分類という新たな世界へと導くためにとくに重要だったのが、何千年も前に考案されたABC、すなわちアルファベットなのである。これから、この一連の流れを語っていきたいと思う。
頭文字の順番で並べることが情報を分類という新たな世界に導いた。優劣をつけないフラットな並べ方、アーカイブ、索引といった技術がもたらしたものとはなんだったのかに迫った書籍『アルファベット順の文化史』より、序文を抜粋して紹介します。

アルファベットはなぜ一定の順序なのか

文字とは、その誕生当初から、神々からの贈物であると考えられてきた。エジプトでは知恵を司るトート神から人類に与えられた。バビロニアでは運命を刻むネボ神、シュメールでは「神々の書記官」であるナブー神によって授けられた。ギリシャ人は時代によって、神々の使者ヘルメス神が人間に文字をもたらした、あるいはゼウスからその娘ムーサ(ミューズ)に贈られたのだと伝承した。古代の北欧神話では、オーディンからの賜物であった。インドでは象の頭を持ったガネーシャ神が、自分の牙の片方をペンとして使っていた。また、マヤの最高神であるイツァムナーは、まず世界の物体に名前をつけてから、それらの名前を書き記す力を人間に与えた。ユダヤ教徒は、神が預言者モーセをとおしてその技術をこの世に伝えたと教えられる。コーランのなかでは、アッラーが「筆をとるすべを教え給うた」と記されている。時代がさがり、15世紀に朝鮮半島で新しくできた筆記文字のハングルは、「賢王(世宗)の心にもたらされた天からの啓示」によって創製されたといわれている。
どのようにして文字が生まれたのかという問いは、文字の歴史と肩を並べるほどの長きにわたる疑問である。そして、文字がもたらしたもの、すなわち、読み、情報を集め、その情報を伝える力は、わたしたちにとっては当たり前すぎて、その能力の重要性を考えることなどなきに等しい。しかし、読み書き、そしてこの能力を用いて行う物事は、当たり前からはほど遠い。世界には大きくわけて、アルファベットに代表される表音文字と、表意文字というふたつの文字体系があるといえるだろう。わたしたちの知るかぎりにおいて、アルファベットはその始まりのころから、一定の順序で書かれていた。その理由は不明だが、記憶しやすいというのは確かだろう。これに反して、アルファベット以外の文字体系は、音、意味、文字の構造や形状など、さまざまな方法で体系化された。
英語のようなアルファベット言語の読者や筆者にとって、先に記したような仮説、すなわち文字体系を構成する要素である文字が、なんらかの法則で順序づけ、分類、体系化されているに相違ないという考え方は、ごく自然に出てくるもので、疑問の余地もない。同様に、文字体系が発展すると、文字は思考や着想に永続性を与えるために使われ、さらにはその思考や着想が自分のものであれ、他人のものであれ、そこに立ち戻れる方法が考案されたと見なすのが当然になった。文字とは強力なツールなので、何かが起きた、あるいは起きるだろう、などのあらゆる情報を、AさんからBさんに伝達できるだけではなく、Aさんが亡くなってから数世紀経っても、その出来事をBさんに知らせることも可能だ(そして今日では、アルファベットを用いて匿名の人を示す場合には、自動的にまずAさんが、次にBさんが登場する。いきなりJさんやDさんが登場すると、なんとなく唐突に感じられる)。

だれもが日常的に行っている「カテゴリー化」

今日では、物事を調べられない、すなわち索引や辞書、電話帳の使い方がわからない状況を想像するのは難しい。索引、辞書、そして電話帳がひとつもない世界を想像するのはもっと大変だ。順序づけ、分類し、さらには参照ツールによって分類された資料へ戻ることは、現代の西洋人の考え方には不可欠であり、その重要性は計り知れないにもかかわらず、なぜか見過ごされている。カテゴリー化とは、わたしたちが日々の生活の中でほぼ毎日、毎時間行っているもので、これは書類にかぎったことではない。わたしたちは日常生活において多数の製品を使っているが、それらが絶え間なく仕分けする必要性に合わせて特別に設計されたものであることを、ことさら意識したりはしない。
つまり、財布には小銭入れ、紙幣を入れる長い仕切り、クレジットカード用のポケットがあり、ハンドバッグには携帯電話を入れられる内ポケット、ファスナーがついた鍵用のポケット、交通系ICカードに便利なフラップポケットなどがある。もちろんこのような分類方法は個人的なものだ。ほかの人が財布用として使うポケットに、わたしは携帯電話を入れるかもしれないし、その逆もしかりだ。それとは別に、多くの人々が理解できる方法で分類しなければならないものもある。新聞は国内政治と世界情勢の記事をそれぞれ分け、スポーツ記事を美術批評や社説と区分けしている。これは発行者側の都合ではない(ひとりの記者が複数の分野の記事を書くこともある)。読者の利便性のためだ。その反対に、スーパーマーケットの商品陳列は、技術的な制約に左右される部分がある。最近まで、冷蔵・冷凍食品はほとんどの場合、コンセントにつなげられる壁際の棚に並べられていた。しかしそれ以外は、家具量販店イケアが寝室やキッチンなどの部屋ごとに品物を並べているように、肉、魚、果物、野菜という大まかなカテゴリーで分けられている。
こうした方法はわたしたちにとっては当たり前すぎるので、わざわざ体系化されている、あるいは分類されていると考えたりしないが、もちろんそうされている。情報や物品を探している人が、必要なものを見つけられるようにしているのだ。これらの方法すべてに共通しているのは、探す人が、限定的であれ、予備知識を持っているのを前提としていることだ。全仏オープンの記事は、大会がどの国で行われるかではなく、なんの大会が行われるかで分類されるので、「国際ニュース」ではなく「スポーツ」欄に掲載されるのだと読者は知っていなければならない。同様に、スーパーマーケットの買い物客は、たとえトマトが植物学的には果物であっても、野菜コーナーで探す必要がある。乾燥ディルはスパイス・ハーブの売り場、生のディルであれば青果売り場に置かれているはずだと予想する。


階層化されていたころの分類

過去の世代にとって自然だった分類や並び替え方法は、Aで始まるという理由で「April(四月)」を暦月のいちばん最初にするのと同じくらい、わたしたちには奇妙に思える。現代よりも階層化されていた世界では、階級に基づいて物事を並べるのはごく自然な行動だった。1086年に征服王ウィリアムの命により、イングランド王国とウェールズの一部の土地占有状況の概要がまとめられた『ドゥームズデイ・ブック』では、13418カ所の土地の価値を評価し、まず地位、次に地理、さらにふたたび地位、最後に富の順に列挙されている。最初に王様、次に地域別に分類された高位聖職者、有力な男爵、そして最後に各地区の最も身分の低い小作人が続いた。
とはいえ、後世の読者が『ドゥームズデイ・ブック』の情報を利用するには、イングランド王国とウェールズの地域区分、そして誰が誰より上かという階級の序列を知らなければならなかった。なぜなら、何千年にもわたる読み書きの歴史の中で、検索者が予備知識を必要としない主要な分類方法として発達したのはひとつだけ、すなわちアルファベット順のみであるからだ。アルファベット順の場合には、検索者が知っておくべきことは、言語によって多少の違いがあるとしても、20数個の文字を一定の順序で並べたリストだけだ。都市の位置を知らなくても地図上で見つけられるし、枢機卿が司教よりも上位か下位かを知らなくても、聖職者サミットの参加者リストから探し出せる。アルファベット順で作成してあれば、「歴史上の戦争」リストでイングランド内戦について調べるときに、それが米国の南北戦争の前かあとかを知っておく必要はないし、カボチャが野菜か果物かを知らなくても、種子カタログで検索できる。
このように、アルファベット順は完全に中立的だ。名前がAで始まる人物がリストの最初に来るのは、その人がほかの人たちより、多く土地や資産を所有しているからでも、早く生まれたからでもなく、アルファベットという無作為の偶然によるものだ。アルファベット順には固有の意味や事前に定められた価値がないので、作成者側の価値観や、それがつくられた世界のイメージさえも、使用者に感じさせない並び替えツールとなっている。1584年にフランス初の書誌の編纂者が、アルファベット順を使用することを王に謝罪する献辞をつけ加えた。その文中で、自らの選択が階級を無視し、社会的地位の低い人々が上の人物より、子どもが親より、さらには支配者が被支配者より先に掲載される可能性があると認めた。そして「たしかに、アルファベット順、つまりA、B、Cという順序で並べるのは不適切だと感じている」と記しながらも、彼はこの方法を貫いた。その理由は、今日のわたしたちが考えるような、項目を見つけやすくするためではなく、「あらゆる中傷を避け、すべての人と友好的な関係を保つため」だった。つまり、誤って地位の低い人物を偉大な人物の前に配置することで、知らず知らずのうちに階級を侵害するという結果を避けるためだった。1584年には、アルファベット順はまだ一部の人々が印刷物を刊行する際に、社会的失態を避けるための手段であった。
それから200年経ち18世紀後半になってさえ、ハーバード大学やイェール大学では、ほとんどの場合、学生たちは階級と地位によって並べられた。入学者名簿はまず学生の家族の社会的地位と財力によって順位づけされ、さらに父親が同じ大学に通っていたかどうかによって細分化された。学年が進むと、クラス名簿の順番は学生自身の成績によって上下したが、公式行事においては依然として社会的地位により、学生が部屋に入場する際の順番や、座席の配置が決められていた。現在では、親の財産や人種、性別、髪の色、あるいは同級生から見た魅力の度合いによって(ほんの少しでも)学生をランクづけするなど考えられない。また、民主主義の時代においても、かつては「賢い生徒は前の席に座ってください」と指示されることが日常茶飯事だったとはいえ、成績によって生徒をグループ分けするのは時代錯誤になった。
アルファベット順のよいところは、わたしたちに対して、並べられた人や物について何も示さないことにある。「アルファベットは物事を見つける(または系統立てる)のに便利だが、理解するのには役立たない。クジラにはサメよりも、ゾウとのあいだに共通点が多いという理由を教えてはくれない」のだ。アルファベット順はどんなものにも価値を与えることがなく、それを利用する人々を、意味や価値を自ら学べる場所へと導くだけなのである。


文字を読むことで得られるものは

分類方法が一般的に、そしてアルファベット順がとくに可視化されていないのは、わたしたちが読むことについて語るとき、それが物語的な散文を指しているという、無意識の想定があるからかもしれない。シベリアを舞台にした恋愛小説であれ、ローマ帝国の歴史、またはハリケーン被害に関する政府の報告書であっても、わたしたちにとって読むという行為には、なんらかの物語を伝えられることだという前提がある。その物語の中では、出来事が順序だてて起こり、それらには意味がある。もしも意味がない場合は、その意味のなさが重要になる。読者は評論、新聞記事、あるいは本を最初から読みはじめて中盤へ進み、そして最後まで読みとおす。そのうえ、日々の生活の中では、読むという行為にも膨大な種類がある。目ぼしい結果がヒットするまで適当な言葉を入力しながらウェブサイトを閲覧し、特定の箇所や必要な情報を抽出するためにコンテンツをあれこれ検索する。ひとつの文章を注意深く読み、ときには文末の注釈を見る、または余談をさらに追跡する、別の本で引用の出典を調べる、参考図書で定義や解説を確認するために読書を中断しながら研究する。また、すでに知っていることを再確認するために、文章を前に戻って読み直すときもある。
このように読むという行為にもさまざまな種類があるにもかかわらず、これらは一般的な人々の読書生活の中のわずかな割合を占めているにすぎない。わたしたちは地図やGPSのルート案内、会社の書簡用紙に記されたレターヘッドも読む。ほかにもキャンプ用品のカタログに掲載された宣伝文句、電車やバスの時刻表、高速や一般道路の標識、駐車可能な時間を知らせる標識を読む。看板に記された店舗の開店時間、さらに店名を読んで、隣の店とは別であると認識する。処方医薬品の瓶に記載された注意事項、オーブンのセルフクリーニング機能の説明書、メニュー、毎日の予定表を読む。さらには情報を得るためにアドレス帳や連絡先リスト、本や地図の索引、ウィキペディアに掲載された「ブラウン」という苗字の人の一覧など、アルファベット順で書かれた数多くのリストも読む。つまり、わたしたちの読むという行為の大半は、物語を読むわけでも、文章を最後まで読みとおすのでもない。それよりも、ひとつの情報を取得するのが目的なのだ。そしてこの情報はたいていの場合、アルファベット順に記載されたリストの中に発見することができる。しかし、こうした形の読むという行為については、書籍や雑誌に掲載されたり、大学で研究されたりしない。かろうじて読む行為という範疇に入れられているだけだ。家、学校、職場において、わたしたちはメモを取り、買い物リストや報告書、論文、手紙、予算案、仕事の文書などにまとめている。そして、保険会社への提出書類、アドレス帳の作成、所有物や図書館の目録、事務所のファイルキャビネットの整理などのために、リストを作成する。
本書では、こうした順序づけと分類方法の歴史、とくにアルファベット順での並び替えがどのように定着したかについて考察している。わたしたちの時間の大半は、書類のアーカイブの作成と、その書類を探しだす方法の開発に割かれている。「archive(アーカイブ)」とはギリシャ語の「arkheion」という言葉が語源だ。これは行政官の館という意味で、政府の文書を収蔵していたのみならず、安全な場所として市民も書類を保管してもらっていた。そこから、アルファベット順のリストを最初に作成したひとりであるセビリャのイシドールスが記すように、アーカイブ(archivum)を金庫や頑丈な箱を意味する(arca)、さらには謎(arcanum)と結びつけるようになった。アーカイブという言葉には、「文書館」と「文書館が収蔵する文書」というふたつの意味がある。その一方で、アルファベット順でもほかの方法であっても、分類方法とはアーカイブを検索するためのツールだ。すなわち、アーカイブという謎に満ちた秘密の文書の世界を案内してくれる地図である。歴史の中で長いあいだ書類を保管するために使用されてきた大型の収納箱、すなわち「arks(聖櫃)」という言葉は、わたしたちを潜在意識下で聖書、「the Ark of the Covenant(契約の箱)」、そして「Noah’s Ark(ノアの方舟)」へと導いてくれる。「arks」とは木製の箱にすぎないが、人類に対する神の約束という、時代を超えた英知を象徴しているのだ。

[書き手]ジュディス・フランダース(歴史家)
アルファベット順の文化史:図書館の分類法からオリンピックの国別入場まで / ジュディス・フランダース
アルファベット順の文化史:図書館の分類法からオリンピックの国別入場まで
  • 著者:ジュディス・フランダース
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