博物画で見る植物と調香、フレグランスのストーリー
本書に取り組みながら、私たちは多くの友人や家族に「コミュニケーション」という言葉について考えてみてほしいと頼んだ。するとすぐにその後の多くの会話が、もともと人間に備わっている伝達手段、つまり話すこと、身振り、顔の表情、あるいは色や形のような視覚的な手段の話になった。各人がコミュニケーションはじつはもっと単純なことだと考えるようになったのは、いくらか議論をしてからだった。ある辞書に書かれているように、コミュニケーションとは、何かが「告げられる、交換される、あるいは送られる」プロセスである。
少しの間、次のようなとても面白い関係でのコミュニケーションについて考えてみよう。夏の夕方、1匹のガが羽音を立てながら庭を飛び回っている。色とりどりの花の間をひらひらと舞っていると、近くに生えている私たちがスイカズラと呼んでいるつる植物から甘い香りの誘惑的な歌が漂ってくる。
昼間はミツバチやチョウがスイカズラの蜜を楽しむが、その一方で夜行性のガは長い吻(口器)が花の中にちゃんと届くのでこの植物の花粉媒介者として最適だ。このため、夕方がやってくるとスイカズラはガの注意を引こうと香りの歌をできるだけ大きな声で歌う。
自然界にはこのような例が数えきれないほどある。植物は言葉を使う能力の代わりに香りをもっており、それには美しさよりはるかに重要な理由がある。香りはメッセージを送る手段、つながりを作る手段、そして生存の手段になるのだ。
こうした基本原理は人間にも認められる。私たちの嗅覚は、食物を調達する、危険を察知する、パートナーを見つけるといった能力を高めるために存在しているのである。私たちも特有の香りを放っており、それは人間関係においてきわめて重要な役割を果たすだけでなく、指紋のように一人ひとり違うと考えられている。
ただし、人間の嗅覚は信じられないほどすぐれているものの、その働きの多くは潜在意識のレベルで起こる。めったにないような生涯寄り添ったカップルは、ふたりの関係がうまくいっているのは、ある程度は嗅覚の一致のおかげだという。
同様に、なぜまったく異なる生物種で生じた香気物質が深い感情レベルで自分とつながることがあるのか説明できる人はほとんどいないが、それでもそういうことが起こる。材料の組み合わせが正しければ、記憶を呼び起こし、好奇心を刺激し、さらには気分を変えることさえある、感覚の連関の世界へ連れて行ってくれるのである。
人類の「よい香り」に対する愛情
人類は、遠い昔からよい香りのするものに対して畏敬の念を抱いてきた。世界中の文化で、古くから人々はそうしたものは神と強く結びついていると考え、癒し、静め、刺激し、美しくし、そしてこれがもっとも重要なのだが、自分たちを互いにつなぐ力があるとして、大切にしてきた。身のまわりにある香りに対する私たちの複雑な愛着は、何千年もの間、それを手に入れたいという欲求が満たされてこなかったことを意味している。自然を利用するのは、とんでもなく複雑で難しいことがある。よい香りの原料を育て、収穫し、抽出し、処理することには非常に厄介な問題がつきもので、少なからぬ忍耐を要する。
このため昔の香水は金持ちのためのものだったが、共有知識という私たちの財産と、世界のインフラや非常に高度な製造工程のおかげで、とても希少で労働集約的な香料が一年中広く入手できるようになった。今ではフレグランスは私たちの生活に深く根を下ろし、かつては王や女王のためのものだった香料が日用品に使われている──そして、即座と思えるほどすぐに手に入る。
人によっては、この即時性の文化により、フレグランスはもはや忍耐を要するアートではないと思うようになった。人間が情報を入力しなくても驚くような新しい調合法が生み出される人工知能の時代には、おそらく多くの人がもはやそれをアートだとは少しも思わないだろう。
だが、そのとても意外な──もしかしたら素晴らしい──ところは、一見すぐに手に入るように見えても香水の主要原料の多くは状況が変わっていないことである。オリスルートはいまだに生産に何年もかかる。多くのバラはいまだに夜明けに手で摘まれている。香木は今でも同じかなりゆっくりとしたペースで成長し、それを植えた人々の子孫が世話をしていることが多い。
私たちはデジタル時代のまぶしい光の中へどんどん突進しているが、香水作りのアートは、今でもまだ自然界の言語で書かれる数少ない職人技のひとつであり続けている。
本書では、それぞれがもつ独特の嗅覚メッセージが世界中の調香師の仕事で使われている、あるいはインスピレーションを与えている、100の原料について見ていく。そのひとつひとつが私たちに、自分自身のメッセージを送る力を与えてくれる──そしていうまでもないが、どれもそれについてまるごと1冊本を書くことができる。
確かに本書はすべてを網羅しているわけではない。そうではなく、地球のはかなくも尊いものたちを世に知らしめるもの──自分が生きている世界についての認識を変える力をまだもっている精妙なアートに対する賛辞──である。そしてこれがもっとも重要なのだが、本書は、私たちが長く持ち続けてきた、自然は声をもっているという確信に寄せる詩(オード)である。
[書き手]ジョシュ・カーター(フレグランス専門家)
英国で最も有名な調香師のもとで修行し、高く評価されているフレグランス・プラットフォーム Fiole(フィオーレ)を共同設立した。Fioleは、英国を代表する職人ブランドのストアのひとつとなり、『GQ』、『ハーパーズ バザー』、『イブニング スタンダード』などで取り上げられている。