兵士だけではない、あまりの過酷
厳寒のシベリアは冬、零下四○度が当たり前、六○度の場所もある。敗戦後、そんなシベリアに送られ、収容所(ラーゲリ)で重労働を強いられた樺太の住民が大勢いた。現地で亡くなったり、事情で現地に留まったり。音信不通で忘れられた人びとの存在が、ソ連崩壊で明るみに出た。本書はそうした「シベリア民間人抑留者」の実像を描くドキュメントだ。当時、樺太は南半分が日本領で約四○万人が住んでいた。そこへソ連軍が進攻、住民は逃げまどった。南樺太はソ連領にすると連合国が了解していた。避難の混乱のなか、離散した家族も多かった。日本側へ脱出するのも家族を探しに戻るのも密航とされ、捕まれば有罪。シベリアに送られた。
刑を終えても自由になれない。指定の場所で労働を命じられる。無国籍者のヴォルチー・パスポルト(狼のパスポート)を渡され、移動が制限され監視される。日本と連絡がつかず、生死不明の「未帰還者」になってしまう。
著者の石村博子氏はノンフィクションライター。「日本サハリン協会」に加入してシベリア民間人抑留者の問題を追った。八年をかけた渾身の力作が本書である。
シベリア抑留と言えば軍人が思い浮かぶ。五七万五千人が連行され五万五千人が現地で死亡した。ただ民間人も、もっと過酷な運命をたどった。本人や家族の証言や資料をもとに、その歴史の真実を実名で克明に記録していく。
UT氏は一九二二年生まれ。四七年、事故を起こしかけ有罪、シベリアに送られた。収容所を出て木工場で働き、夫が戦死したロシア人女性Dと結婚。幼い娘と病弱のDを置いて行けず、帰国の機会を逃した。UT氏の妻は日本に帰国し離婚届を出さなかった。六七年に夫の消息が伝えられた。九五年にUT氏の一時帰国が実現、妻子に面会できた。永住帰国を願いながらも○七年に死去。日本の妻も二三年に死亡している。
IM氏は一九二七年生まれ。列車を運転中に信号無視し有罪、シベリアの収容所に送られた。そのあと牧場で働き、ドイツ系女性Fと結婚する。Fは父と兄を射殺され母は病死、弟は行方不明で天涯孤独だ。七七年にFは事故死。九○年にIM氏の生存情報が日本に届く。九七年に単身永住帰国。石巻に住むが一一年に津波に遭い札幌に転居。一九年に死亡した。
MM氏は一九三二年生まれ。家族を探しに樺太へ逆密航を試み逮捕。シベリアの収容所からカザフスタンに移された。運搬係↓漁師↓運転手と職を転々とし、ドイツ系ロシア人Nと結婚。猟師となりサムライMと呼ばれた。○二年に永住帰国、二二年に死去した。
MM氏はシベリアに送られる途中、MK女と一緒になった。彼女は別の収容所に送られようとする夫にしがみつき、ロシア兵にひき剥がされた。憔悴(しょうすい)しすぐに病死。何とむごいとMM氏は涙する。
評者は二○年前にウズベキスタンでオペラ座を見学した。日本人が建設したと聞き驚いた。亡くなった方の墓参もした。本書はそうした、忘れてはならない同胞の苦難と無念を読者の心に刻む。
戦争は、戦闘員だけのものではない。民間人も当事者だ。民間人を守るのが国際法だが、しばしば無視される。自分が当事者になったとき、家族や大事な人びとを守れるのかと考えさせられた。