プロはどのように集め、読み、アウトプットするのか?
ロシアの軍事・安全保障専門の小泉悠さんが、自身の体験を交えながら
ビジネスパーソンや学生の方に向け語る情報分析入門講義。
今回、書籍『情報分析力』から「はじめに」を特別公開します。
■問題は情報がなかったことではなくて、その情報を分析するやり方にある
「それはないだろう」が「ある」時代
本書は多分、ビジネス書の棚に並ぶのではないかと思っています。
そのように考えると、この本の執筆者は、やや特殊な人間です。ビジネス書を書く人というのは、豊富な経験を持った経営者とか、コンサルタントとか、経営戦略論の専門家とかだと思うのですが、私はロシア軍事の専門家です。つまり、朝起きて読むのは経済紙ではなく、ロシア軍の機関紙『赤い星』、という人間です。だから本書の主な読者として想定されるビジネスパーソンの皆さんに私の専門分野の話をしても、明日からの仕事に直接役に立つことはあまりないのでしょう。実際、私がこれまで書いてきた本は、国際情勢とか安全保障のコーナーに置かれてきました。
しかし、本書はちょっと違った思惑の下に書かれています。ロシア軍事そのもののことではなくて、私がロシア軍事をどうやって分析しているのか、その手法についてお話ししたいと思うのです。
冷戦が終わってからの30年間で、現在ほど国際情勢が混沌としている時代はなかったと思われます。政治・経済・軍事などあらゆる面でアメリカが圧倒的な強者であった時代はもはや終わり、かつてでは考えられなかったことが頻発するようになりました。
2022年に始まったロシアのウクライナ侵略はその好例です。いくらなんでもロシアがウクライナに全面侵攻することはないだろう、と考えられていたにもかかわらず、ロシア軍は実際に国境を越えてウクライナに攻め込みました。今後も世界では「まさかそれはないだろう」ということがますます起きてくるのではないかと思いますし、そこに日本が巻き込まれる、あるいは日本の社会や経済が大きな影響を被る可能性も排除されません。
情報分析の重要性はここにあると言えるでしょう。ロシアのウクライナ侵略が「まさかそれはないだろう」と思われていたことは前述のとおりですが、全く青天の霹靂(へきれき)であったかといえばそうではありません。ウクライナ国境にロシア軍が集結していること、プーチン大統領をはじめとするロシア政府高官たちから不穏なメッセージが発せられていることなどは、侵攻の半年ほど前から多くの専門家によって指摘され続けていました。問題は情報がなかったことではなくて、その情報を分析するやり方にあったということです。
そうした情報を分析すれば、これから起こることが100%予測できる、などとは言いません。しかし、起こりうる事態の「幅」は予測できるでしょう。ロシアのウクライナ侵略は本来、その「幅」の中に含まれていなければならない事態でした。
インターネットで手に入るもの、入らないもの――情報の入手と分析にかかるコストのギャップ
現代は比較的情報の取りやすい時代です。
それどころか、インターネット上には情報が溢れていると言ってもいいでしょう。外国の新聞・雑誌はインターネットで簡単に読めますし、SNSをウォッチしていれば誰が誰と会っているのか、紛争地域の住民がどんな状況に置かれているのかもある程度わかります。また、現在ではあらゆるデータが可視化される傾向にありますから、今、北京のどの通りが混雑しているのか、旅客機や商船が世界のどこを通っているのかを知ることも難しくありません。少しお金を出せば、北朝鮮の核ミサイル基地が今どんな状況にあるのか、衛星画像で直接確認することさえできます(確認したいという人は少数派でしょうが)。
ほんの少し前まで、このような情報を収集できたのは、国家や報道機関など、大きな組織に限られていました。外国の刊行物を入手するだけでも一苦労ですし、まして現地のリアルタイムな状況は実際に行ってみないとわかりません。ということは、外国や国際情勢に関する知見は、外交官、商社マン、記者、研究者といった広義の専門家に頼るほかなく、それが新聞や雑誌の記事になってはじめて、一般の人たちにも知られるようになっていたわけです。これを思えば、現代は情報に関するコストが人類史上で最も低下した時代と言えるでしょうし、そのコストはこれからも下がっていくことが予想されます。衛星画像なんかはまさにそうですね。かつては、軍事大国の一握りの高官や分析官たちだけが目にすることができたものでした。
しかし、インターネットではなかなか手に入らないのが、溢れる生情報を分析する方法、つまり比喩的な意味での「情報処理装置」です。いくらでも手に入るようになった個々の情報について、それらが何を意味しているのかを知る方法、と言い換えればいいでしょうか。
例えば私はたった今、ある大企業の決算報告書をダウンロードしてみたところです。ここまでのコストはゼロで、時間も数秒しかかかっていません。ところがこの報告書をどう読んだらいいのか、お金に関する知識がない私にはさっぱりわかりません。たとえば「建設仮勘定」という言葉が出てきますが、一体どういう意味なのか。それが多いのはいいことなのか悪いことなのか。まるでチンプンカンプンです。これに対して会社で経理などに携わっているとか、投資をしている人なら、「これは業績悪化の兆候ではないか」といった具合に情報の意味を読み取れるわけですよね。情報処理装置と本書が呼ぶのは、こういう能力のことです。
ところが、情報処理装置のコストは、情報の入手ほどには下がっていません。以前と比べて随分とっつきやすくなった部分もあるのですが、お金や時間がかなりかかります。本書の中でおいおい述べていくように、情報処理装置を自分の中に作り上げる過程では、多くの本や論文を読み、生情報をこねくりまわし、現地に行ったり人と会ったりしないといけないからです。
情報は誰にでも、いくらでも入ってくるのだけれども、その処理装置を持つのは簡単ではない。これは現代の世界が抱える大きな問題ですし、本書ではこのギャップをなるべく縮めることを試みてみたいと思っています。
「3分でカレーを作れる」か?
情報分析に関するもう一つの問題は、フェイクが混じりやすいということです。
国家の利害が絡み合う外交や安全保障については特にそうで、実際にロシアのウクライナ侵略では数多くのフェイクがばら撒かれました。ウクライナ政府はネオナチでロシア系住民を虐殺している、ウクライナ軍はもう壊滅していて実際に戦っているのはNATOの軍人である、アメリカがウクライナ国内で密かに生物兵器を開発している、といった具合です。
フェイク自体は以前から存在する問題なのですが、生情報の氾濫はフェイクの弊害を広げる役割を果たしました。「証拠」と称される偽の画像、誤解を招く政府高官の発言、全くの流言蜚語などが公式発表やきちんとした報道情報と全く同列に流れてくるようになったからです。
料理に譬(たと)えてみましょう。インターネットにはプロからアマチュアに至るまで、あらゆる人が投稿したレシピが掲載されています。私自身も料理が好きなのでよくお世話になっていますが、本当に美味しくできるものもあれば、「なんかイマイチだな……」という出来になってしまうこともあります。誰でも情報が発信できるがゆえに、玉石が混じってしまうわけです。その中からどうやって「玉」を選ぶのか、別の言い方をすれば、いかに「石」を弾くのかがかつてなく求められるようになったのです。つまり、ここでも情報処理装置が重要性を持ってくるわけですね。
偽情報を完全に見分けることは、もちろん困難です。実際、私も含めた専門家もたまに偽情報に引っ掛かることがあります。しかし、一定の相場感を持つことは不可能ではないと思うのです。一度でもカレーを作ったことがある人は、「3分でカレーが作れる」という触れ込みのレシピを見たとき、「それはいくらなんでも誇張が混じっているだろう」とか「何か従来とは全く違う手法なのではないか」とか「レトルトカレーをあっためるだけじゃないだろうな」といった目でその宣伝文句を眺めることができるでしょう。これと同じで、情報分析がどんなふうになされているのかを知っていれば、偽情報に引っ掛かる確率は大幅に下げられるはずです。
朝ごはん型インテリジェンス
なんだか料理の話ばかりしていますが、やっぱり情報分析は料理に似ていると思うんですよね。食材(情報)だけが揃っていても駄目で、調理(分析)するというプロセスがないと食べられる料理にはなりません。皮も剝いていない生のジャガイモだけ皿の上に載っていても食べられませんが、それをふかしてバターを載せれば「じゃがバタ」という立派な料理になるわけです。
この、料理に相当するものを、インテリジェンスと呼びます。日本語では情報資料、つまり生情報を処理して意思決定の判断材料になるよう仕立て直したものです。
インテリジェンスという言葉は諜報機関も用いるので、非常に特殊な世界というイメージがあります。実際にそういうインテリジェンスもあるでしょう。敵国の高官を買収して得た極秘情報、などというのはまさにそうで、誰でも食べられるわけではありません。超高級料亭で有名料理評論家にだけ出される、という類のインテリジェンスです。また、こうしたインテリジェンスにはあまり複雑な分析は求められず、「素材そのものを味わう」という食べ方です。
しかし、どんな食通だって、毎日そんなものばかり食べているわけではないはずです。ごく普通にご飯を炊いて、塩鮭を焼いて、味噌汁とおしんこをつけて朝ごはんにする。日常の9割以上はこんな食事で占められているのではないでしょうか。
本書がいうインテリジェンスは、この「朝ごはん」型です。私自身は、別にクレムリンに特別のコネがあるとか、ロシア軍の内部情報を得ているというわけではないですから、そうするほかないのです。それでもちゃんとお米を研いで、焼き網をきれいに洗って、出汁を取れば、それなりの朝ごはんが出来上がります。誰でもできることですが、やり方を知らないとなかなかうまくいきません。
というわけで、本書が目指すのは、スーパーで買える食材でちゃんとした朝ごはん一式を作れるようにすることです。びっくりするようなことは特に書いていません。しかし、そうであるがゆえに、ビジネスパーソンから学生までの幅広い読者の皆さんにも応用できる内容ばかりです。本書を一通り読み終わったら、皆さんもぜひそれぞれの「朝ごはん」を作ってみてください。
本書の構成
本書は全部で7章構成になっています。ここまでお読みいただいた「はじめに」では情報分析に関する私の大雑把な考え方を述べましたが、第1章ではロシアのウクライナ侵略を題材として、情報分析が実際にどんなふうに行なわれ、世の中に影響を及ぼしているのかを簡単にスケッチしてみました。続く第2章では、情報分析を行なう上での手法や考え方を改めて詳しく説明します。ここまでが、いわば入門編です。その上で、第3章では情報の取り方を、第4章では分析のやり方について具体的なメソッドをまとめてみました。こちらは実践編であり、私が実際に日々、情報分析で使っている方法を皆さんと共有できればと思います。すぐにできるものもありますし、時間をかけないといけないものもありますが、いくつかは日々の仕事にも応用できるでしょう。
第5章は分析をまとめる方法に焦点を当てました。すでに述べたように、情報を集めて分析したら、それをインテリジェンス=情報資料にしないといけません。文字やグラフといった形で可視化することが求められるわけで、言い換えるとプロデューサー的な手腕がものを言います。この点はややもすると見落とされがちなのですが、情報分析を現実社会に活かす上で実は最も大切な部分でもあります。
第6章では、情報分析を行なう上で陥りやすい罠をいくつか紹介しました。情報分析という仕事にはもともと曖昧模糊とした部分があります。そうであるがゆえに恣意が入り込む余地が常にありますし、あるいは情報の海に溺れてわけがわからなくなるということもしばしばです。罠を完全に回避することは不可能ですが、罠があるとわかっていれば回避できる確率は高まるでしょう。これから情報分析を試みようとする皆さんに、出発前の最後の注意点として読んでいただきたいと思います。
[書き手] 小泉悠