対談・鼎談

山本七平『受容と排除の軌跡』(主婦の友社)|丸谷才一+木村尚三郎+山崎正和の読書鼎談

  • 2021/12/10
受容と排除の軌跡 / 山本 七平
受容と排除の軌跡
  • 著者:山本 七平
  • 出版社:主婦の友社
  • 装丁:-(184ページ)

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山崎
まず本の表題についてちょっと苦情を申しますと、こういう難しい題をつけたのは、編集者の失敗であると思います。

丸谷 これは自分がつけた題じゃないでしょうね。

山崎 ご自分がつけられたとしても、編集者はこれに対してすくなくとも忠告をすべきであった。もっとも、山本七平さん自身編集者ですから、何ともいいにくいんですが……。

丸谷 大ジャーナリストも時として間違いをするという例だな、この題は(笑)。

山崎 苦情を先にいいましたが、中に入ると、これはなかなかおもしろい本です。

わが国の社会が、異質文化を受け入れ、かつ排除するときに、一つの型がある。室町期におけるキリスト教の受容と排除も、明治期における西洋合理主義の受容と排除も、同じ原則で行なっている。日本文化の基礎になっているある種の自然法的な考え方、さらにその背後にある宇宙観というものは、つねに変らない。それは一種の生成史観といいますか、世界、あるいは人間というものはおのずから生まれてくるものだと考えて、その根源に主体的な創造者という観念をもたない。いい換えれば、創るものと創られるものという二元的な対立をもたない。そこへときどき、創造者を認めるような世界観が入ってくる場合がある。それはどういう時期であるかというと、世の中が停滞したり、混乱して危機に陥ったときに、それを補うために入ってくる。そのときに、日本人は、そのイデオロギーの、都合のいい部分だけ取ってくる。その部分は、排除するふりをしながらでも受容するし、あとの部分は、あたかも受容するようなふりをして排除するというのが、いままでのやり方であった。

こういう山本さんの考え方を実証するために、不干斎ハビヤンという非常にユニークな人物の考え方、および新井白石の態度というものが並列して論じられているわけです。

不干斎ハビヤンというのはもともと仏教の僧侶だったんですが、自発的にキリスト教徒に転向した。当時としては、キリスト教に関する最高の知識人であって、キリスト教を擁護するために『妙貞問答』という本を書きました。ところが、やがて外側からの圧迫、というよりはむしろ内発的な理由で、キリスト教を捨てて、こんどは『破提宇子(はだいうす)』という、日本歴史の中で最も代表的な反キリスト教理論を書いた。本来この『妙貞問答』と『破提宇子』というのは正反対の理論だと考えられているんですが、山本さんはその中に共通性を見出している。むしろ二つは同じ思想に立っているというわけです。

すなわち、それは儒教のもっている秩序感覚、統治感覚というものを擁護する立場で、それはキリスト教宣教の理論であったはずの『妙貞問答』の中にも潜んでいるし、キリスト教を排除した『破提宇子』の中にも現われているというのです。ところがおもしろいことは、ハビヤンはいつの間にやら、儒教の中に「創造者」という観念を密輸入して、日本にももともと創造者の観念はあったのだという詭弁を弄している。そういう形で、実はキリスト教を排除するふりを見せながら、キリスト教的考え方を受容している。

時折りしも日本は室町以来の乱世の中にあった。仏教のもっている自然法的な考え方では社会を救済できないと彼は考え、そこに強力な秩序を求めた。その際、儒教はいちばん救いになるけれども、なお足りないとして、一神教的な考え方を導入した。その志だけは、彼がキリスト教を否定しても、残っていた。

そういう考え方は、後にわが国の皇国史観および神国史観というものを鼓吹した平田篤胤の考え方の中にも、まったく同じ形で残っている。平田篤胤の先生であった本居宣長は、日本文化の本質を主張するときに、主として美的なものをあげたわけですね。つまり、もののあわれの心というものを押し立てた。そして、あまり論理的でない、あるいはイデオロギー的でない日本の特質を強調した。それに対して平田篤胤は、宣長の弟子でありながら、日本的なものを主張するとき、たいへん奇妙なことに、それを非常にイデオロギー的なかたちで押し出した。いい換えれば、この曖昧模糊たる日本的なるものを擁護するために、それとは正反対の強烈なイデオロギーをもちこんだ。ところが平田篤胤というのはどうやら中国訳の『聖書』を読んでいた形跡がある。

丸谷 それは確実なようですね。

山崎 そうすると、どうやらわれわれがしばしば悩まされた神国思想、皇国史観の背後には、排除するふりをしながら、密かなかたちで変容して受容されたキリスト教があったのかもしれないということになる。山本さんはそう断言してませんが、ほぼそれに近いことをいいたい気持であるらしい。

そういう意味で、この本はなかなかスリリングなものをふくんでおります。

木村 この本を読みまして、日本がイデオロギーというものを必要としない国だということがじつによくわかるんですね。ハビヤンがキリスト教を取り入れ、かつ棄教したいきさつを読んでみますと、結局宗教というのは、それ自体に価値があるのではなく、人びとがごく自然に生きられる状態を実現するための方法であればいい。そうであれば何宗でもかまわないということなんですね。

ヨーロッパではごく自然に生きる状態というのは、悪い状態でありまして、ごく自然に生きると、狼に食われたり飢え死にしたりする。そういうことがないように森の木を伐って一所懸命人間の生きる場所をつくり、うっかりすると人々が殺し合うかもしれないので、神様というものをそこに置いて、神の名のもとに倫理道徳を考え、何とか平和に生きる道を人為的につくりあげていくわけですね。しかし、本来日本人の生き方は平和であって、戦いつつ生きるという姿勢がないから、イデオロギーとか、唯一神というものは必要がない。状況が変れば、自分がいまいちおう道具としてもっている宗教なり、イデオロギーなりも変っていく。ある意味で生きていく上での化粧ないしアクセサリーとして、様々な考え方が取り入れられるんだということが、この本を読むと実によくわかるんですね。

丸谷 『妙貞問答』はキリスト教の側に立った批判ではなくて、キリスト教から影響を受けた、一種の日本主義的思想によって神儒仏を攻撃したにすぎない。こういうふうに山本さんはおっしゃるわけですよね。

そして、その十五年後に書かれた『破提宇子』の中で排撃されているのは、キリスト教でもキリスト教的思想でもなく、これがキリシタンだとハビヤンが思いこんだある一思想を排撃したものにすぎない、といっている。

これはいままでの公式的なキリシタン解釈に対する挑戦であって、かなり納得がいくもんですね。

山崎 いくんですね(笑)。

丸谷 困ったことに納得がいくんです。いままでのキリシタン論というものは、キリスト教をマルクス主義になぞらえて、キリシタンの迫害をマルクス主義の迫害になぞらえる考え方が、何となくあった。それはちょうどチャンバラ映画で、明治維新をあるべき革命になぞらえているのと同じです。日本の知識人にとってのマルキシズムのある種のファッショナブルな側面は、まさしくハビヤンのキリスト教の立場に近いものだったんじゃないでしょうか。

木村 ハビヤンは、秩序が乱れるのを恐れて、キリスト教を取り入れた。これがおもしろいですね。日本人は、秩序が乱れるということに非常な恐怖感を覚えるんですね。ということは、日本の場合、人間社会それ自体が積極的に秩序をつくるという考えをもたないんですね。ホモ・ファーベル、ものをつくるのが人間だというのはヨーロッパ人の考え方で、われわれは安定した状態の中に身を置くということしか考えてない。蓮の台にのることは考えるけれども、蓮の台をつくることは考えないですね。だから秩序が乱れたときには、これをどうやって回復したらいいかということがわからない。乱世に生きる論理というか、生き方が日本の歴史の中で出てこないんですね。

山崎 秩序が乱れたときにどうするかという、いちばん典型的な考え方は、天正の少年使節の記録に非常にはっきり出ているんですね。日本が混乱しているのは、統一的な権威がないからである。だから天皇を強くするのがよろしかろうといってるんです。

その正反対が、新井白石の考え方なんですね。人間は直接、絶対権威に結びついてはいけない。自分のすぐ上の人間に服従すべきで、上の人間はまたすぐ上の人間に服従していればよろしい。全体として、モザイクを積みあげたように安定させていくという考え方。この二つが、同じ秩序を回復するという命題のもとに対立して出てくるんですね。

わたくしは、室町時代にはもう一つあったような気もするんです。それは、人間が横の関係で互いを知り合うということですね。それがわたくしのいう社交の文化であって、現実には、生き馬の目を抜くような状況の中で、あらゆる知恵をつかって、知恵のみならず感性の底まで動員して、お互いを知り合って結びつけていく一つの秩序。この三つが渦巻いていたろうと思うんですよ、考え方としては。結局、江戸時代というのは、新井白石のいうような、モザイク型秩序に落ち着いたわけですがね。しかしその背後には、三番目の横の関係も根強く生きていた。したがって場合によっては、西欧的個人主義にかなり近いものが、日本の民族的伝統の中に連綿としてあったと思いたいんですがね。

木村 非常に個性的になったのは、やっぱり戦国時代だと思うんですよ。平安時代は血を見るのが嫌いであったし、鎌倉時代は、「やあやあ遠からんものは音にも聞け」とかけ声ばっかりで、実際はそんなに血で血を洗うような戦いは展開されなかった。本当に殺し合いをしたのは戦国時代です。その意味では、人間の生きるという問題がいちばん深刻に考えられた時代だと思うんですね。それだからこそ、キリスト教というのは、一時的にせよ入ってくる余地があった。

山崎 日本文化というものがいちばん創造的で、いちばんおもしろかった時代は室町、桃山であるという強い偏見をわたくしはもっているんです。それが乱世だったんですね。だから日本人の美質が最も発揮されたのは、乱世であったという逆説も成り立つわけですよ。

丸谷 「日本史の中でいちばん好きな時代」というアンケートをとるとおもしろいね。ぼくは、文化、文政が好きなんですよ。

山崎 都会的爛熟だな。

丸谷 あのころの頽廃が、非常に具合がいい。お二人は室町、桃山がお好きなんだな。なるほどなと思ってね。やっぱりお二人は質実剛健、しかも、ぼくに比べてずっと景気がいい。

山崎 ちょっと待った。それはたいへんな誤解でね。室町、桃山というのは、大変な爛熟と頽廃の時期でもあるんですよ。わが国の古典文学の中で、ストリップが出てくるのは『太平記』をおいてないんですよね(笑)。

丸谷 いや、あれほど質実剛健なものはないですよ(笑)。

山崎 東山文化はかなりの爛熟ですよ。乱世の中で、社交文化を愉しむ時代なんですからね。乱世というのは、人間が改めて人間関係を手作りにしなきゃならないような時世なんですね。人間関係が信じられないから、一所懸命社交をやる。その社交は、かなり奥行きの深いものであってその中にわびとかさびというものが出てくる。これは相当の頽廃ですよ。ですから、混乱しているときの日本人というのは、案外いいものをつくってるという気がするんです。

丸谷 中国の唐の時代には、儒、道、仏、三教合一の思想があった。日本に仏教が入ってきたのは、その三教合一の思想を経た上での仏教であった。だから日本の信仰というものは、もともと神仏習合という折衷的、合一的なものになりやすかったんだと、山本さんはいってますね。これは非常におもしろい説で、いままでぼくが読んだ日本史の本の中で、唐の三教合一の思想と、日本の神仏習合の思想との因果関係を書いたのは、これが初めてじゃないかと思うんです。

山崎 そうだと思いますね。

丸谷 こういうことをいうあたり、山本七平という人は、非常に鋭いパースペクティブをもってる思想史家だと思いました。惜しむらくは、この本が新書判のまがいみたいな本でこの三倍か四倍書いてもらわないと、よくわからない。ことに引用の仕方なんですが、いちいち原文を引用するんですね、新書判的体裁の大ざっぱな書き方の本文と、妙に細かな引用文との関係がどうも落ち着きが悪い。こういう構造の本を、山本七平のような大ジャーナリストが書くのはいかがなものか。

木村 それで結局、これからの日本人は変るのかそれとも変らないか、そこのところが書いてありませんけれども、どういうふうにしたら変るかということも書いてほしかった。

受容と排除の軌跡 / 山本 七平
受容と排除の軌跡
  • 著者:山本 七平
  • 出版社:主婦の友社
  • 装丁:-(184ページ)

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【この対談・鼎談が収録されている書籍】
鼎談書評  / 丸谷才一,木村尚三郎,山崎正和
鼎談書評
  • 著者:丸谷才一,木村尚三郎,山崎正和
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:-(326ページ)
  • 発売日:1979-09-00

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初出メディア

文藝春秋

文藝春秋 1978年5月16日

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