『テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ』(星海社)
中条 省平
▼だが、戦後マンガの隆盛とともに歩んだ世代は、それを見て見ないふりする。89年、手塚治虫の「死」以降、あたかもマンガの歴史が終わったかのように、マンガの歴史には何も付け加えるべきものがないかのように語られた。マンガが描かれ、読まれ、変化を続ける現実は厳然と存在するというのに議論はいつも同じ所を堂々巡りしていた。
▼私たちは神(=手塚)の死後15年というもの、歴史的空白のなかにいる。この間に描かれ、読まれ、愛されたマンガたちは、孤立し、そして急速に忘れられようとしている。空白は歴史の分断である。89年で歩みを止めてしまった者たちが、いくら「手塚は…」「赤塚は…」「石森は…」と言っても、若い世代から「それ、あなたがたのノスタルジーでしょ」と見向きもされない現実は、その空白に由来する。
▼これは、マンガというジャンル全体にとって不幸ではないのか? マンガ史を書かせずにきた「マンガの近代」が抱え込んだものとは? 私たちの生きる、二重の意味での「歴史の不在」を解き明かし、90年代以降、そして「これから」のマンガ表現の可能性を「キャラとリアリティ」という視点から探る。
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