書評

『テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ』(星海社)

  • 2023/10/03
テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ / 伊藤 剛
テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ
  • 著者:伊藤 剛
  • 出版社:星海社
  • 装丁:新書(384ページ)
  • 発売日:2014-09-26
  • ISBN-10:4061385569
  • ISBN-13:978-4061385566
内容紹介:
1989年、手塚治虫が死去した。その後に訪れた90年代、いつしか「マンガはつまらなくなった」という言説が一人歩きを始めた。手塚の死とともに、マンガの歴史は終わってしまったのか?いや、その… もっと読む
1989年、手塚治虫が死去した。その後に訪れた90年代、いつしか「マンガはつまらなくなった」という言説が一人歩きを始めた。手塚の死とともに、マンガの歴史は終わってしまったのか?いや、そのようなことは決してない。神の死後に生まれたマンガたちが見向きもされない現実は、マンガにとって不幸ではないのか?そして、なぜそのようなことが起きてしまったのか?歴史的空白を「キャラとリアリティ」の観点からとらえ直すことで、マンガ表現論の新たな地平を切り開いた名著、ついに新書化。マンガ・イズ・ノット・デッド。

物語よりキャラ 変化の構図、説得的に

マンガがつまらなくなったという声をよく聞く。だがそれは違うと本書の著者はいう。手塚治虫の作品を規範として育ち、戦後マンガの奇跡的な成長を支えた読者や評論家に、今のマンガの魅力が分からなくなったのである。テヅカ イズ デッドと宣告される理由だ。

その決定的な分水嶺(ぶんすいれい)は一九八〇年代半ばにあると著者は分析する。そのとき日本マンガに何が起こったのか? キャラクターからキャラへの移行である。

キャラクターとは、絵の背後に人生や生活を想像させ、内面を感じさせる人物像である。ひと言でいえば、物語性を生きる存在だ。これに対して、キャラは、固有名をもち、人格的な存在感ももつが、人生や内面をもたない。だから、これまでのマンガの読者はキャラに同一化することができない。にもかかわらず、現在のマンガを支える読者は、現実的な身体性を欠いたキャラに強く感情的に反応する。読者のかなり一方的なこの感情的反応が、「萌(も)え」と呼ばれる。

八〇年代後半以降のマンガのなかでは、物語よりもキャラの魅力が優位に立ち、マンガ家の自己表現より読者の「萌え」の方が大事な要素になった。近代的な自己表現としての物語の終わり。すなわち、ポストモダンへの突入である。

こうした大きな見取り図を説得的に展開する著者はまた、マンガの細部の読み取りにも天才的な繊細さを発揮する。その力量は、手塚治虫の『地底国の怪人』においてキャラの力が抑圧・隠蔽(いんぺい)され、代わって近代的人間の物語が戦後マンガの導きの糸となったことを解き明かす二十数ページに結晶している。この鮮烈でシャープな読解の力業に、私の背筋に戦慄(せんりつ)が走ったことを告白しておこう。

つまり、キャラの魅力は、「手塚治虫=マンガの近代」の前から存在していた。従って、マンガのポストモダンとは、マンガ固有の本質への回帰だとも見なせる。だが、とここでマンガ旧世代に属する私は悲しく思うのである。萌えを誘発するキャラがマンガ固有の魅力だとするならば、私はこの魅力とともにマンガの未来に行くことはできないな、と。

【単行本】
テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ / 伊藤 剛
テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ
  • 著者:伊藤 剛
  • 出版社:NTT出版
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(320ページ)
  • 発売日:2005-09-27
  • ISBN-10:4757141297
  • ISBN-13:978-4757141292
内容紹介:
▼90年代、いつしか当たり前のように「マンガはつまらなくなった」という言説が一人歩きを始めた。実際には、多様なマンガ作品が数多く生み出された豊潤な時代だったというのに。▼だが、戦後マ… もっと読む
▼90年代、いつしか当たり前のように「マンガはつまらなくなった」という言説が一人歩きを始めた。実際には、多様なマンガ作品が数多く生み出された豊潤な時代だったというのに。
▼だが、戦後マンガの隆盛とともに歩んだ世代は、それを見て見ないふりする。89年、手塚治虫の「死」以降、あたかもマンガの歴史が終わったかのように、マンガの歴史には何も付け加えるべきものがないかのように語られた。マンガが描かれ、読まれ、変化を続ける現実は厳然と存在するというのに議論はいつも同じ所を堂々巡りしていた。
▼私たちは神(=手塚)の死後15年というもの、歴史的空白のなかにいる。この間に描かれ、読まれ、愛されたマンガたちは、孤立し、そして急速に忘れられようとしている。空白は歴史の分断である。89年で歩みを止めてしまった者たちが、いくら「手塚は…」「赤塚は…」「石森は…」と言っても、若い世代から「それ、あなたがたのノスタルジーでしょ」と見向きもされない現実は、その空白に由来する。
▼これは、マンガというジャンル全体にとって不幸ではないのか? マンガ史を書かせずにきた「マンガの近代」が抱え込んだものとは? 私たちの生きる、二重の意味での「歴史の不在」を解き明かし、90年代以降、そして「これから」のマンガ表現の可能性を「キャラとリアリティ」という視点から探る。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ / 伊藤 剛
テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ
  • 著者:伊藤 剛
  • 出版社:星海社
  • 装丁:新書(384ページ)
  • 発売日:2014-09-26
  • ISBN-10:4061385569
  • ISBN-13:978-4061385566
内容紹介:
1989年、手塚治虫が死去した。その後に訪れた90年代、いつしか「マンガはつまらなくなった」という言説が一人歩きを始めた。手塚の死とともに、マンガの歴史は終わってしまったのか?いや、その… もっと読む
1989年、手塚治虫が死去した。その後に訪れた90年代、いつしか「マンガはつまらなくなった」という言説が一人歩きを始めた。手塚の死とともに、マンガの歴史は終わってしまったのか?いや、そのようなことは決してない。神の死後に生まれたマンガたちが見向きもされない現実は、マンガにとって不幸ではないのか?そして、なぜそのようなことが起きてしまったのか?歴史的空白を「キャラとリアリティ」の観点からとらえ直すことで、マンガ表現論の新たな地平を切り開いた名著、ついに新書化。マンガ・イズ・ノット・デッド。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

初出メディア

朝日新聞

朝日新聞 2005年11月13日

朝日新聞デジタルは朝日新聞のニュースサイトです。政治、経済、社会、国際、スポーツ、カルチャー、サイエンスなどの速報ニュースに加え、教育、医療、環境、ファッション、車などの話題や写真も。2012年にアサヒ・コムからブランド名を変更しました。

  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ
関連記事
中条 省平の書評/解説/選評
ページトップへ