国家の近代化に翻弄された貴族の生涯
19世紀の偉大な歴史家ブルクハルトの代表作は『イタリア・ルネサンスの文化』、その第一章は「精緻な構築体としての国家」である。「古代の再生」というよりも、権力の集中による国家の組織化がおこり、社会と生活のあらゆる面で近代化が出現したのがルネサンスだという。独特の史眼と解釈によって味わい深い物語をもたらしてきた名高い歴史エッセイストが、あえて主人公の男女二人を創作し、国家の命運に翻弄される人々を描き出す。まるでブルクハルトが強調したような国家の近代化のなかに個人が生きており、その姿が、腕利きの作家の手で、緊迫した背景とともに浮かび上がってくるかのようだ。
このルネサンス最盛期の16世紀イタリアが物語全体の背景をなす。イタリアの西には、欧州制覇を目ざすスペイン王国があり、東には、西方進出をもくろむイスラムの盟主オスマン帝国があった。
第1幕の舞台は「海の都」ヴェネツィア。名門貴族ダンドロ家の若き当主マルコには、ローマから来た高級遊女のオリンピアという恋人がいた。だが、外交官として国難を打開すべく密命をおびて、コンスタンティノープル(現イスタンブル)に赴く。そこでは曰く付きの愛人のいる旧友が待っていた。この友は、トルコの宮廷事情に通じていながら、野望の果てに、殺されてしまう。やがて、帰国したマルコは、恋人オリンピアがスペイン王カルロスのスパイだった、と言い渡される。国家の命運と愛の熱情の錯綜するなかで、国家の要人であったマルコは公職追放処分となり、故国を離れる。
第2幕の舞台は「花の都」フィレンツェ。フィレンツェに着いたマルコは、殺人事件に巻きこまれるが、その背後には権力者側の陰謀がひそんでいたらしい。このころ、メディチ家出身の法王の庶子アレッサンドロ公爵が仕切っていたが、同じメディチ家の庶子ロレンツィーノも張り合っていた。その地でマルコは恋人オリンピアと再会し愛を確かめあった。だが、二人はメディチ家の内部抗争に巻きこまれ、残酷な悲劇に遭遇しながら、フィレンツェを離れローマに向かった。
第3幕の舞台は「永遠の都」ローマ。オリンピアの故郷の都には古代の残骸がある。ここでマルコは、オリンピアの仲介で若きファルネーゼ枢機卿と知り合い、ヴェネツィアのことなど忘れたかのような日々だった。マルコは遺跡めぐりの楽しい日々をすごしながら、私人としての居心地の良さに満足していた。やがてオリンピアの過去をめぐる悲運を打ち明けられたが、公人復帰をあきらめ、オリンピアとの結婚を決意する。だが海洋国家ヴェネツィアが初めて海戦でトルコに敗れ、風雲急を告げる故国はマルコに帰国の命令を出す。国運の歴史の荒波は、二人の運命を悲しいほどに揺さぶるのだった。
最終幕の舞台は再び、ヴェネツィア。マルコは、共和国の外交と軍事の事実上の最高決定機関「十人委員会」に呼び戻された。そこはヴェネツィアの諜報機関でもあり、内外の情報がことごとく集まるから、政略・戦略上も重要であり、多忙をきわめる。そのかたわら、マルコは亡くなった旧友の娘やその夫となるユダヤ人医師との親交を深めたり、ヴェネツィアの芸術家との付き合いを重ねたり、それなりに充実していた。しかし、国政にあっては舵取りの厄介さに苦労していた。
オスマン帝国のスレイマン帝はヴェネツィアの理を理解するところがあり、衝突するまでに至らなかった。しかし、大帝が逝去すると、セリム二世は領土拡大を志し、ヴェネツィア植民地キプロス島の攻略を狙うようになる。やがて、誰もが望まなかったのに、キリスト教西欧勢力とイスラム教オスマン帝国との全面衝突は避けられなかった。スペイン王国、法王庁、ヴェネツィア共和国の連合艦隊の体制がまとまらないうちに、トルコ勢力はキプロス島の攻略に成功してしまう。
やがて、一五七一年、最大にして最後の大海戦が始まり、その舞台はギリシアのレパント沖であった。両勢力の艦隊を合わせて五〇〇隻以上が海上で激突し、一万五〇〇〇人が命を落としたという。キリスト教勢力の大勝利に終わり、首都コンスタンティノープルにたどり着いたトルコの戦艦は四隻にすぎなかった。
興味深いのは、トルコ艦隊の担い手には海賊集団も少なくなく、彼らは祖国のためという大義よりも自分たちの勢力維持に配慮しがちだったという。また、トルコ船の漕ぎ手には鎖につながれたキリスト教徒が多くいて、いったん船が占拠されて解放されると、イスラム兵に襲いかかるのだった。
その後の戦後交渉は血を流さない戦争の舞台であり、外交官マルコも登場する。なによりも世界の命運を決めたレパント沖海戦に至る数十年を三十代から七十代にいたるヴェネツィア貴族マルコの生涯でたどる物語である。そこには、まさしく近代国家に巻きこまれながら生きた男の姿があり、著者はそこに「佇まいの美しさ」を偲ぶ。読者もそれに共感してしまうのだ。