書評
『『歴史とは何か』の人びと E.H.カーと20世紀知識人群像』(岩波書店)
文人、論客の頭の中に響く何かを
大英博物館の裏側(北側)にはロンドン大学の建物が建ち並び、ブルームズベリともよばれる。経済学者ケインズの伝記の記憶から、ここには作家のV・ウルフやL・ストレイチーなどと語り合える仲間グループがあったことを思い出した。このような雰囲気は戦後のイギリスにも引き継がれていたにちがいない。ロンドンのみならずオックスフォードやケンブリッジにも文人や論客たちが語り合う場が散在しており、それに気づいたのが本書を読むきっかけになった。
しかも、E・H・カーの『歴史とは何か』は1960年代に大学に籍をおいた学生たち、とりわけ歴史学を志す学生たちにとって必読の文献だった。それをふまえて、著者は新たに訳出する試みをなし、2022年『歴史とは何か 新版』(岩波書店)として実現した。訳しているとき、カーその人が「歴史書を読むさいには、著者の頭のなかで響いている音を聞き分けることが大事です」と語っていることは衝撃だったらしい。歴史家は、一個人であるとともに社会の一員であり、時代の産物であることがよく自覚されるべきなのだ。
カーという人物を理解するにはオックスフォードやケンブリッジおよびロンドンにおける人間模様を知らなければならないはずだ。20世紀前半には人口爆発と英米の繁栄にともない、世界中から英語圏への大規模な頭脳の移動があったために、これら周囲の知識人の生息する環境はまずもって知るに値することだった。
そのような出会いのなかで、L・B・ネイミアやA・J・トインビーと、カーは年齢差が四歳以内であり、第二次世界大戦までは頻繁に接触していたという。
ネイミアはポーランド生まれのユダヤ人だが、父との折り合いが悪く、単身ロンドンに移住し、やがてイギリス国籍を取得した。彼の主著は十八世紀後半のイギリス「政治国民」の研究だが、一読すれば、細かくしつこい学問であった。それは「意味ある細部」であったが、以後、文書史料の悉皆(しっかい)調査と分析なしには学術的な歴史研究はできなくなる雰囲気が生まれたという。
オックスフォードの古代史家として出発したトインビーは、イタリア、ギリシア、トルコなどを長期滞在旅行する機会に恵まれ、やがて国際問題に関わったために「イギリス帝国の文明化の役割」を否認していると非難されることもあったらしい。このような経験のなかで、諸文明の誕生から解体にいたる循環の特徴を描く「大きな輪郭」の文明史が構想され、大著『歴史の研究』として著すことになった。歴史叙述の根幹をなす「細部」と「輪郭」との対抗をカーは目前で見たかもしれない。
さらに、『歴史的必然性』のI・バーリンや『歴史主義の貧困』のK・ポパーを批判するカーの頭のなかで、いかなる音が反響しているのか。理念による制御を唱えていたカーに対比して、バーリンもポパーも早くから一歩一歩と試行するポストモダンの思想家であった。
今やカーの立場は旗色が悪いかもしれないのだ。本書にはこれらの人物が数十例も登場し、20世紀の知識人群像のもたらす騒然たる音響に読者は共感するにちがいない。
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