なぜなら、世界史の教科書も日本史の教科書も、保守思想の代表的な人物さえ、載せていないからです。
これには、日本では教科書を書き、入試問題を作ってきた人たちが、「保守思想」について故意に教えてこなかったのでは? という疑義さえ生じます。
しかしこの、「『保守』というものに触れることさえはばかられる」という日本の状況自体が、興味深い問題なのではないでしょうか?
では、実際のところ「保守」とはどんなものなのか――。
この記事では、「保守」「リベラル」という言葉が持つ本来的な意味合いについて、駿台予備学校の人気世界史科講師・茂木誠氏の最新刊『世界史講師が語る 教科書が教えてくれない 「保守」って何?』より、一部を抜粋して紹介します。
「保守」を自認する人も、「保守」は嫌いだという人も、はたまた政治や思想には興味がないという人も、この機会に一読してみてください。
「保守」の起源
「保守」「リベラル」という言葉の本来の意味
もともと日本語には、「保守」という言葉はありません。「Society」=「社会」、「Nation」=「国民」と訳したように、社会科学の用語はいずれも幕末明治の翻訳家たちが、欧米語のニュアンスを生かして漢字を組み合わせた造語です。
これらの和製漢語は、日本だけでなく漢字文化圏の中国などに逆輸入され、欧米思想の受容を容易にしました。「中華人民共和国」の「人民」も「共和国」も、実は和製漢語なのです。
「保守」はカンサーヴァティヴ(conservative)、対義語の「自由」はリベラル(liberal)の訳語です。これは19世紀のイギリスにおける二つの政治思想であり、二大政党である「保守党(Conservative Party)」と「自由党(Liberal Party)」の名前でもありました。
イギリスの「保守」と日本の「保守」が同じものかどうかという分析はあと回しにして、まずは英語の「conservative」の本来の意味から確認しておくべきでしょう。
「con」は「強く」、「serve」はラテン語の「守る」、「-ative」は形容詞の語尾ですので、「強く守るような」が「conservative」の本来の意味です。長く続いてきた伝統や慣習を価値あるものとして大切にし、急激な変化、改革や革新、革命を望まないという立場です。
対する「liberal」は、「liber」がラテン語の「自由」、「-al」が形容詞語尾ですので「自由な」「物事にとらわれない」「変化を受け入れる」という意味。
転じて、「He is liberal of his money.」(彼は気前がいい〔金払いがよい〕)というように、「寛大な」「気前のいい」という意味でも使われます。
英語には「自由な」という意味の同義語で「free」がありますが、こちらはラテン語ではなく本来の英語(ゲルマン語)「freo」の「自由」が語源です。名詞形の語尾「-dom」をつければ、「freedom」となり、「何かに束縛されない」「のびのびできる」という意味になります。
「friend」もここから派生した単語で、「気を許せる相手」というのが本来の意味です。
イギリスは11世紀以降、フランス出身の王家(ノルマン朝、プランタジネット朝)に長く支配された結果、ラテン語に起源を持つフランス語の単語が英語の中にたくさん入ってきました。日本語が本来の大和言葉と漢語のチャンポンになっているのとよく似ています。
「freedom」が個別具体的な「束縛からの解放」というニュアンスが強いのに対し、「liberal」は変化に対する「寛容さ」という、より抽象的なニュアンスが強いようです。
「Freedom of speech(言論の自由)」を「liberal of speech」とはいいませんし、「liberal(自由主義者・自由党員)」を「freedomist」とはいいません。
「イギリス保守主義」の根底にあるもの
それでは、「伝統と慣習を大切にする」という保守と、「変化を受け入れる」というリベラル──この基本的な対立軸を生んだイギリスの歴史を見ていきましょう。そもそもイギリスの王権は、北フランスに割拠した海賊集団(ヴァイキング)を始祖とするノルマン人が、11世紀にイギリスを征服して建てた外来の王朝です。それ以前にイギリスに王国を建てていたアングロ=サクソン人の貴族から見れば「敵」でした。このため、外来王朝の王権を制限していかに古来の伝統を守るか、が大きな問題だったのです。
そこで、13世紀に対フランス戦争で敗北したジョン王に対し、1215年、貴族と都市が団結して古来の特権を列挙した文書を書き上げ、ロンドン郊外のラーミネードでジョン王に署名させます。
これが大憲章(「マグナ・カルタ」)で、イギリス憲法の起源の一つです。
「マグナ・カルタ」には、「いかなる軍役免除金または御用金(臨時課税)も、王国の一般評議会(貴族会議)の承認なしには、朕の王国においては課されないものとする。……ロンドン市からの御用金についても同様である」(「マグナ・カルタ」第12条)と記され、貴族は課税承認権を王に認めさせました。
そして王権との戦いを経て、1265年には最初の議会開催を実現します。日本でいえば鎌倉時代のことでした。王権側も、フランスに対抗してイギリス国内の統一を進めるために、貴族との妥協を余儀なくされたのです。
この過程でアングロ=サクソン人の古来の慣習法やしきたりが、国法として整備されていき、コモン・ロー(common law)と呼ばれるようになりました。「みんなの決まり」という意味です。
この時代にコモン・ローを整備した法学者ヘンリー・ブラクトンは「国王といえども神と法の下にある」という言葉を残しています。
王が私的に法を定めてはならず、慣習法コモン・ローに従って統治しなければならない、それがイギリスの古き良き伝統である、と説いたのです。
長く継承されてきた「しきたり」というものは、無数の先人たちが試行錯誤を経て洗練させた知恵の結晶であり、現代人の浅知恵でこれを安易に変えてはならない──これこそ、「イギリス保守主義」の根底にある思想なのです。
思い込みと感情論で政治を見ないために
この記事では、「保守」「リベラル」という言葉が持つ本来的な意味と、その「保守」という概念がどのような形で芽生えたのかについて、イギリスの歴史に沿って触りの部分をご紹介しました。この記事の元となった書籍『世界史講師が語る 教科書が教えてくれない 「保守」って何?』では、このあと「フランス革命と保守主義」「アメリカの『保守』と『リベラル』」「日本近代の『復古』と『保守』」「天皇機関説と超国家主義」「敗戦後日本の保守政治史」「戦後『保守論壇』」などについて取り上げ、多角的に解説を進めていきます。
「保守」「リベラル」という概念は、長い歴史の中で、本来的な言葉の意味から姿を変え、現代的な意味へと転じていきました。本編では各国の歴史等を通してそうした変遷の過程も追っています。
本書をお読みいただくと、現代において多くの人が「保守」だと思っているものが実は「保守」ではなかったり、「保守」ではないと思っていたものが実際は「保守」だったり、と新しい発見があるかと思います。
思い込みと感情論で政治を見ないために、ぜひご一読いただければ幸いです。
[書き手]茂木誠
本稿は『世界史講師が語る 教科書が教えてくれない 「保守」って何?』より抜粋して作成