対談・鼎談

ジョン・K・ガルブレイス『不確実性の時代』(TBSブリタニカ/講談社)|丸谷才一+木村尚三郎+山崎正和の読書鼎談

  • 2018/01/17
木村 この本には、現在というものを積極的にクローズアップするものが何もないわけです。要するに、彼らが抱いていたこれまでの時代と社会についてのイメージが壊れたというだけなんですね。そこのところは非常に物足りない。

丸谷 本の仕掛けを、全体と、部分と、全体と部分の中間と、三つに分けるとすると、部分のところ及びその中間のところでは非常に明晰な本ですね。しかし全体としては、かなりあいまいな本じゃないかな。

木村 まさに不確かな本なんですね(笑)。

丸谷 この中でいちばん尊敬されている経済学者は、ケインズですよね。ケインズは要するに、政府が事業を起こして景気をつければ失業者がなくなって完全雇用になる、という予言をした。それが特にうまくいったのが戦後の二十年間のイギリスおよびアメリカだということです。ところが、考えてみれば政府が行なう失業対策の事業として、いちばん簡単に効果があがるものは戦争ですよね。

そのことが書いてあります。

いくつかの間題がある。経済に対してケインズ的な支持を与えることは、巨額の軍需支出と両立するものであることもわかってきた

ぼくは、こんな程度で簡単にすますことのできる問題ではないと思うんですよ。そのケインズおよびケインズ理論に対する尊敬と、核時代の危機的感覚とのあいだで苦しんでいる人がガルブレイスだと思う。その苦しみの内実を、もっと壁細かく語ってもらいたいという気がするんですけど、そこのところが実に単純に切り抜けられている。

山崎 ケインズ理論に関していちばんおもしろかったのは、ケインズ理論の最大の実践者はヒトラーであったというところですね。

木村 そう、これはおもしろかったな。ドイツの失業を解消したわけですね。

結局、ガルブレイスが最後は何に望みを託しているのかというと、指導者の養成、世のため人のために生きるエリートの役割ですね。そのエリートがマルキシズムでもなく、自由主義でもなく、プラクティカルに、現実に物事を処理してゆく、そこに非常に期待しているようで、そこでスイスの例を出してくる。

スイスは、別に社会主義とか、自由主義の原理論はやらないで、私有財産の原理はちゃんと守りながら、しかし一方で国の経済はかなり社会主義的になっている。非常にプラクティカルに運用されている、というわけですね。

山崎 ガルブレイスはスイスに対して一種の希望を見出しているわけですね。

彼が列挙しているスイス的ないき方というものを見ると、二つの点を除いて、これはこのまま、日本に当てはまるんです。まず、〈スイス人は原理原則論よりも実際の結果のほうにはるかに多くの関心を寄せてきた〉。これまで原理原則論がいかにたくさんの人間を殺してきたか。それは〈鉄道の踏切りを横断するときに自分の通行権を主張して死に目に会う人〉がいるようなものである。しかし〈このようなことは、スイスでは天性からしてなされない〉。これを日本に置き替えると、まさにそのまま当てはまりますね。

それから〈私企業の原則をこの国ほど断固として公言している国はないが、またこの国ほど社会主義に現実的に譲歩している点が多く、しかもそれが多方面にわたっている国は少ない〉とありますが、これは日本のほうが遙かに徹底しています。

丸谷 なるほど(笑)。

山崎 〈国有鉄道に乗り、郵便局の振替制度で決済をし、公有の電話網で話し、国有の電信網で電報を打ち、公営のテレビを見、公営のラジオでニュースを聞き、それをまた公営の電話線を通して聞くこともできる〉

これはまさに日本なんですね。

丸谷 ぴったりだねえ。

木村 何の不思議もないことです(笑)。

山崎 さっき、二つの点を除くといいましたが、それは地方自治と住宅です。ただし地方自治というもののかわりに、日本人はたとえば、企業とか自分たちの小さなコミュニティーに帰属しているという意識が非常に強い点で、スイス人に似ているわけですよね。

住宅は、これから頑張るとすれば、彼が理想としているのは、まさに日本だ、という皮肉がいえる(笑)。

木村 カリフォルニアにあるエサレン学院の話が出てきますね。そこで大企業や官庁の幹部職員は何を訓練させられるか。

他の人びとの見解に合わせることや彼らの情報や経験を受け入れることは、多くの人びとがもち合わせていない感受性や抑制心を必要とする。(中略)

理解をし、お互いに教化し合い、親密さをまっとうし、とりわけ権力行使の或る点においては、敗北の意識なしに他人のそれに彼の目的を従わせねばならぬと人を説得する必要性が、同じようにある

こんなことは日本では昔からやっていることです。

山崎 ハハハ、室町時代からやってます。

彼は一方で、指導者の決断というものに対して断ち難い郷愁を抱いていますね。他方では、スイスに指導者がいないということに、利点を見出しているんですね。彼があるスイス人から昼飯に招かれた。近所の奥さんにその人のことを訊いたら、それはひょっとすると去年辞めた大統領かもしれない、といった。

しかしまあ、日本でも辞めた総理大臣なんて、その程度のものですよ。

丸谷 三木武夫という人が、いまそうじゃないかしら(笑)。辞めた総理大臣がいつまでも尊敬されるためには、たいへんな犯罪を犯してなきゃならない(笑)。

(次ページに続く)
  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ

初出メディア

文藝春秋

文藝春秋 1978年4月11日

関連記事
ページトップへ