書評
『「レンブラント」でダーツ遊びとは―文化的遺産と公の権利』(岩波書店)
「文化的遺産」は個人の所有物でありうるか
かつてバブルで景気のよかった頃、日本のある実業家が高額で購入したルノワールとゴッホを、自分が死んだらいっしょに焼いてしまうと宣言して世界中の非難を浴びたことがあった。実際にはこの二作品は、幸いにも焼かれずにすんだが、芸術作品が所有者の意志によって消滅あるいは改変させられた例は少なくない。イギリスの画家サザーランドの描いたチャーチル晩年の肖像画は、偉大な政治家のイメージにふさわしくないというので、夫人の意向によって燃やされてしまった。それほど極端ではないとしても、絵の一部を切断したり塗り替えたりすることは、しばしば行われた。
これらの事例は、自分のものだからといって、所蔵者が芸術作品を好きなように処分してよいのかという疑問を提起する。別の言葉で言えば、それは、芸術作品とはいったい誰のものかという問題である。ジョセフ・L・サックスの『「レンブラント」でダーツ遊びとは』は、多数の実例を紹介しながら、この問題を正面から論じたきわめて刺激的な、その意味で考えさせられることの多い労作である。
「文化的遺産と公の権利」というその副題が示す通り、著者の立場は比較的はっきりしている。すなわち、文化的遺産はたとえ個人の所有物であっても、広く一般に公開されるべきだというものである。この場合、文化的遺産とは、芸術作品のみならず、実際に利用されている建築物、さらには政治家や作家の日記、手紙、メモなども含まれる。
もちろん、実際問題としてはそこに多くの問題や困難があることも著者は見逃してはいない。美術品の公開は保存や管理のために所蔵者に多大の負担をかけることになるし、日記、手紙類の場合は当然プライヴァシーの問題がかかわって来る。これまでにも公開をめぐってさまざまの議論や訴訟がなされて来た。そのような事例を豊富に紹介しながら、適切な解決を見出すための方策を探っている点に、本書の何よりも大きな価値があると言えるだろう。
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