書評

『小説を書くということ』(中央公論新社)

  • 2025/06/22
小説を書くということ / 辻 邦生
小説を書くということ
  • 著者:辻 邦生
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:文庫(304ページ)
  • 発売日:2025-03-24
  • ISBN-10:4122076323
  • ISBN-13:978-4122076327
内容紹介:
フィクションとは、はじめ私が考えていたような、作者の勝手気ままによって、どのようにもなるというものではなく、むしろ、ある必然の動きをもって作者に迫ってくるものだ、ということができ… もっと読む
フィクションとは、はじめ私が考えていたような、作者の勝手気ままによって、どのようにもなるというものではなく、むしろ、ある必然の動きをもって作者に迫ってくるものだ、ということができます。
フィクションとは、全体の真実を、生きた形で表わすための、必要な新しいパースペクティヴなのです――作家志望者に向けた講座(「言葉の箱」)、フィクション論から自作歴史小説での史料活用法まで。
貧血化し機能化する散文に対する、豊饒な文学世界の実現へと誘う創作論集。
〈あとがき〉辻佐保子〈解説〉中条省平

(目次より)
言葉の箱
Ⅰ 小説の魅力
Ⅱ 小説における言葉
Ⅲ 小説とは何か

フィクションの必然性
「語り」と小説の間
小説家への道
小説家としての生き方

なぜ歴史を題材にするか
『春の戴冠』をめぐって
歴史小説を書く姿勢

『言葉の箱』あとがきほか
辻佐保子
あとがきにかえて――記憶と忘却のあいだに
文庫版へのあとがき
中条省平
解説

自分が消えたのちにも残る普遍性

小説を書く前に、小説とはなにか、小説を書くとはどういうことかを根本的につきつめ、真の出発に向けた内的な準備を徹底したのが辻邦生だった。

抽象的な理論でも作法の指南でもないその成果である『小説への序章 神々の死の後に』が発表されたのは、一九六八年。すでにいくつかの短篇や『廻廊(かいろう)にて』『夏の砦(とりで)』などの長篇が書かれたあとのことだが、初出の論考は六〇年代初頭から重ねられていた。いまどこを見わたしても、そのようにある種倒錯的な順序を経て小説家を目指したものはいない。

本書は、二〇〇〇年に刊行された創作学校での講演録『言葉の箱 小説を書くということ』に関連する講演を補足したあらたな構成のもと、辻邦生がかつて示した思考の精髄を、話し言葉をつうじてやわらかく解きほぐし、自身の経験をそこに加えたもので、これ以上ない自己解説であると同時に、後発者にとって貴重な導きの糸になっている。

若い日にギリシャのパルテノンの神殿を仰ぎ見て得た、芸術の目的は、日常の混沌(こんとん)を乗り越えて、ひとつの秩序を作りあげることにあるという啓示を、辻邦生は繰り返し語ってきた。のち、パリのポン・デ・ザール(芸術橋)に立っているとき、これに匹敵する生の道理を彼は理解したという。

世界には、すべて「ぼくの」という所有形容詞が付される。目の前にひろがっているのは、客観的でだれにとってもおなじ世界ではなく、自分にしか見られない、自分だけが摑(つか)んでいる景色であり、「ぼくが死んでしまうと、だれもそのなかに入って知ることはできない。だから、この世界をだれかほかの人に伝えるためには、その感じ方、色彩、雰囲気を正確に書かないと、ぼくが死んでしまったら、もうこの地上から消えてしまう」。

自分が消えたのちにも残りうる、愛すべき世界を構築すること。それが小説を書く意味なのだ。どれほど退廃的な作品を書いた作家たちも、創作に向き合う精神は健康に保たれている。そうでなければよい作品は生まれないと辻邦生は言う。日々の暮らしのなかに「生命のシンボル」を見出し、それをけっして手放さないようつねに「一回こっきり」の人生を生きる覚悟が必要になるのだ。

その覚悟を前提として、作品の構築にあたっては、個々の事実にとらわれて情報の列挙にならないよう、全体を一挙に「イマージュ」として捉え、そのイマージュを言葉によって外に表出しなければならない。小説とは「言葉でつくる箱のなかに世界を入れること」なのだが、そのために必要なのは、漱石が『文學論』で展開したFactとfeelingのうちの、feelingの扱いだと辻邦生は力説する。「出来事」の全体をまず把握し、事実の伝達だけでなく、そこに感情を付随させること。それが<ぼくの世界>という、一度しか起こらない人生に普遍性を与える。

書き手も読み手も、その世界のなかで、「直接に何という動機のない喜びの感情に満たされる」。理屈と実際はかならずしも一致しない。しかし辻邦生はその誤差をも生の喜びのなかで処理できる強さを持っていた。生誕一〇〇年の今年、膨大な作品群を、あたらしい眼で読み返しておきたい。
小説を書くということ / 辻 邦生
小説を書くということ
  • 著者:辻 邦生
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:文庫(304ページ)
  • 発売日:2025-03-24
  • ISBN-10:4122076323
  • ISBN-13:978-4122076327
内容紹介:
フィクションとは、はじめ私が考えていたような、作者の勝手気ままによって、どのようにもなるというものではなく、むしろ、ある必然の動きをもって作者に迫ってくるものだ、ということができ… もっと読む
フィクションとは、はじめ私が考えていたような、作者の勝手気ままによって、どのようにもなるというものではなく、むしろ、ある必然の動きをもって作者に迫ってくるものだ、ということができます。
フィクションとは、全体の真実を、生きた形で表わすための、必要な新しいパースペクティヴなのです――作家志望者に向けた講座(「言葉の箱」)、フィクション論から自作歴史小説での史料活用法まで。
貧血化し機能化する散文に対する、豊饒な文学世界の実現へと誘う創作論集。
〈あとがき〉辻佐保子〈解説〉中条省平

(目次より)
言葉の箱
Ⅰ 小説の魅力
Ⅱ 小説における言葉
Ⅲ 小説とは何か

フィクションの必然性
「語り」と小説の間
小説家への道
小説家としての生き方

なぜ歴史を題材にするか
『春の戴冠』をめぐって
歴史小説を書く姿勢

『言葉の箱』あとがきほか
辻佐保子
あとがきにかえて――記憶と忘却のあいだに
文庫版へのあとがき
中条省平
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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2025年5月24日

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