コラム

読書の楽しみ

  • 2017/07/12
作家の資質や才能は、かならずしも天賦のものではない。文豪ゲーテといえども、生まれたときはただの無邪気な赤ん坊だったはずで、「ペンを握って生まれた」などという形容は後世のレトリックにすぎない。どんな職業でもそうだが、人は作家に生まれつくのではなく、作家になるのである。

では、作家になる資質や才能はいつ、どのようにして形成されるのか。それは何より、幼時の豊富な読書体験によって培われる。言葉を換えれば、作家になるためには子供のころに、できるだけ多くの本を読まなければならない。文章修業もある程度は必要だが、文体や表現のパターン、語彙といったものは読書に親しむうちに自然に頭にはいるので、まずは書くことより読むことが肝要である。作家になるという目的にとって、文章を書く訓練はあくまで十分条件であり、読むことこそが必要条件といってよいだろう。

ただし何ごとにも例外はあり、子供のころから本というものをほとんど読まずに、作家になる異才もいないではない。その場合には、読書から得られる果実に匹敵する多彩な経歴や経験――仕事、趣味、事件、冒険、なんでもよい――を持っていること、簡単に言えば波瀾万丈の人生を送ったことが、新たな必要条件となる。どちらにしても、作家になるためには自分の中に可能なかぎり、多種多様な《物語の素》を蓄積しなければならない。もちろん、蓄積すればだれでも作家になれるという次第ではないが、少なくともそれによって資質が備わることだけは確かである。あとの展開は、その蓄積を文章で表現したいという欲求が起きるかどうか、によって決まる。

かくいうわたし自身も、子供のころずいぶん本を読んだ。しかしそれでも、十分に読んだとはいえない。むしろ、もっと読んでおけばよかったという、後悔の念の方が強い。読書の習慣は、おとなになっても当然続くわけだが、人格がある程度形成されてから読む本は、頭の中にははいっても体全体に染み込んでこない。読書がそのまま血肉になるのは、厳しい見方をすればせいぜい高校生までのことであって、成人式を迎えたあとの読書は知識にこそなれ、身についた教養にはならない。

読書の趣味がない人はいても、読書の効用を認めない人はいないように思えるが、案外そうでもないらしい、だれかが何かの本に、読書という行為は他人の思想や行動を追体験するだけのものだから、自分の貴重な人生をそんなことで無駄遣いしてはいけない、というようなことを書いていた。ある意味ではそれも、傾聴すべき意見かもしれない。確かに本は、読みさえすればいいというものではない。読書はわたしたちに、時間的にも空間的にも自分一人の体では体験できないことを、疑似体験させてくれる効用をもつ。しかしそこに、有形無形の何かを生み出す創造的な営みが伴わなければ、ただの時間つぶしに終わってしまう。

交通網や情報網が、現代のように発達していなかった時代においては、読書の意味は今よりはるかに大きかった、江戸時代を例にとれば、当時すでにかなり高度の出版文化が存在したわけだが、実際に木版によって板行された書籍の数はそれほど多くなかった。書誌学者の森銑三によれば、「極めて大まかな推算ではあるが、江戸に於ける一箇年間の出版図書を一千部と仮定する。そして京坂その他の出版図書を二千部と仮定するならば、全国で年に三千部の図書が出版せられた……」(『書物と江戸文化』大東出版社・昭和十六年刊)ということである。ここで一千部、三千部とあるのは出版部数ではなく、出版点数を指しているのかもしれないが、どちらにしても驚くほどの数字ではない。それよりむしろ、板行されずに私家版として書かれた自筆本、さらにそれを他人が書き写した写本のたぐいの方が、はるかに数が多いと思われる。

当時の文人や学者、好事家たちが写本のために費やした時間とエネルギーは、今の感覚からすれば気が遠くなるほどのものであったに違いない。わたしもかつて、外務省外交史料館などで必要な史料を筆写したことがあるが、ワープロならまだしも手作業では遅々として進まず、能率の悪さに嘆息したものだった。それを江戸時代の人たちは、当然のこととして続けたのである。彼らにとっては筆写そのものが、記録作業であると同時に読書行為でもあったのだろう。

江戸時代人が書き残した小説、随筆、紀行、雑文などの著述はたいへんな量にのぼり、印刷技術が発達していた欧米に比べても決してひけを取らなかった。それらの刊本、写本は今日にいたるまで相当数残されており、しかもその多くが後年きちんと活字化されたことを考えると、世界的にも誇るに足る文化遺産といってよい。随筆一つをとっても、明治以降いろいろな出版社から複数の全集が出版され、江戸時代の主要な作品はほとんど活字で読むことができる。中には今日の随筆、エッセイの範疇にはいらないようなものもあるが、それすらも時代を映す鏡としての価値は失わない。当時の人たちは、現代人に輪をかけて好奇心が強かったとみえ、自分自身の体験だけでなく他人の体験や伝聞、噂話、流言のたぐいまでこまめに記録し、読んだ書籍の抜き書きまでやってのける。

たとえば、よく知られた松浦静山の『甲子(かっし)夜話』は、正編・続編・三編併せて二百七十八巻にものぼる長大な随筆で、資料的価値が高いし読み物としてもおもしろい。また『燕石十種』は、江戸末期から明治にかけて編纂された随筆集で、諸家の雑文・遺文百五十余編が集められている。玉石混交のきらいはあるにせよ、それがまた当時の事情を正直に伝えて、興味を引くのである。伊勢貞丈の『貞丈雑記』や喜多村信節(のぶよ)の『嬉遊笑覧』、喜田川守貞の『守貞謾稿』などは、時代小説を書くための資料として欠かせないだろう。

こうした随筆を読んでいると、なるほどと思わせる考証にぶつかったり、思わず膝を叩きたくなるような発見をすることがある。たとえば、小山田与清(ともきよ)の『松屋筆記』をめくっていたら、「俗に胸にあたり肝つぶれたるをりにぎよツとするといへり、又肝をつぶして叫ぶにぎやツといへり」という箇所を見つけた。この記録は文化・文政・天保・弘化にわたって書き継がれたもので、西暦でいえばちょうど一八〇〇年代の前半に当たる。肝をつぶしたときにぎゃっと叫ぶのはともかく、「ぎょっとする」という表現が大正明治を飛び越えて、もっと古くから使われていたとは、恥ずかしながら知らなかった。それどころか、著者の考証によればこの表現は、江戸よりさらに主、かのぼって鎌倉初期の史論書、『愚管抄』の中に「朱雀門のくづれは世の人もぎよとおもへり」と出てくる、というから驚く。

ちなみに昭和史の資料を調べると、昭和二十四、五年ごろに「ギョッ」という言葉がはやった、と出ている。わたしが小学校にはいる前後のことで、確かにおとなも子供もよく口にしたのを思い出す。エンタツだったか伴淳だったか忘れたが、おそらく「ぎょっとする」という擬態語を、「ギョッ」という単純な擬音語に転用して使ったのが始まりだっただろう。こうした俗な表現一つとっても、もとをたどれば意外に古い歴史があることを知って、大いに興味をそそられる。

文政から天保にかけて書かれた山崎美成の『海録』に、「巫女になき魂よするを口よせと世にいふこと、いと近きこととのみ思ひ居たりしが、遊行二十四代御修行記といへる物をみしに、その中に『永正十七年(西暦一五二〇年)二月半の頃、親類なりける女みこ語らひて口をよするとかや、時にこの神子にのり移りて、死人詫しけるは』云々とあり、この頃より夙く世にありし事なるをしるべし」とある。「ぎょっと」とは少し違うが、新しいと思ったものに古い歴史を見つけて、わざわざ書き留める人が昔もいたのである。

高邁な思想や、知的な議論に身を委ねるのも右意義なことだが、「ぎょっと」のような項末かつ雑学的な情報を得ることも、読書のささやかな楽しみであり効用の一つといえよう。お金になる情報を知識と呼ぶなら、お金にならない情報は教養ということになるが、わたしたちは読書という行為によって、その両方をきわめて簡便に手に入れることができる。もっとも、知識人になるか教養人になるか、はたまた作家とやらになるか、それは読者自身が決めることである。

【このコラムが収録されている書籍】
書物の旅  / 逢坂 剛
書物の旅
  • 著者:逢坂 剛
  • 出版社:講談社
  • 装丁:文庫(355ページ)
  • 発売日:1998-12-01
  • ISBN-10:4062639815
  • ISBN-13:978-4062639811
内容紹介:
「掘り出し物」とは、高値のつくべき古本を安く探し出すことではなく、自分一人にとって、掛けがえのない価値のある本と出会うこと。世界一の古書店街、神保町を根城とする名うての本読みが、自信をもってすすめる納得の本、本、本。作品別の索引がついた、絶対に面白い本の読み方、楽しみ方を綴る書物エッセイ。

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諸君!(休刊)

諸君!(休刊) 1993年7月

2009年5月1日発売の6月号をもち休刊

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