コラム
大貫伸樹『装丁探索』(平凡社)、松原正世『大正・昭和のブックデザイン』(ピエブックス)、臼田捷治『装幀列伝』(平凡社)『装幀時代』(晶文社)
時代精神を探る装丁論
本の売れ行きに果たす装丁の役割は、きわめて大きい。むかし愛読した本の、装丁を記憶している人も少なくないはずだ。最近、その「装丁」(装幀)に関する本が目立つのは、少しでも読者の目にふれる本を出したいという、出版社や著者の願望の表れだろうか。ブックデザイナーの大貫伸樹による『装丁探索』(平凡社)は、明治中期から戦後までの装丁の歩みをたどる。夏目漱石の「吾輩は猫である」の装丁で有名な橋口五葉から、芥川龍之介の自画自装、第二次大戦後にブームとなった全集本をデザインした恩地孝四郎など多数の例をあげているが、いずれも活字世代にはなじみの深い本ばかりである。
文芸晝が現在のようにB6判、一段組となったのは、昭和初期の『漱石全集』普及版からだという指摘もある。このような細かな指摘は、手元に現物をおいているから可能なのだ。著者は長年にわたって集めた本を数百冊所有しているというが、古書店などで愛くるしい本を見ると思わず手にとってしまうという。自ら称して「胸キュン本」。このような書物コレクターとしての彼の情熱は、別に『大正・昭和のブックデザイン』(松原正世編、ピエーブックス)という、百人ちかくの装丁者の作品を六百五十点も収録したアルバムとして結実している。
これらの例でみると、装丁には既成画家をはじめデザイナーや詩人などが多い。日本ほど装丁家が多い国はないそうだが、自らグラフィック・デザイナーとして書物全体の設計にかかわる臼田捷治(しょうじ)は『装幀列伝』(平凡社新書)の中で、装丁家の多様なメッセージを通じて時代文化の奥行きを探ろうとしている。たとえば戦後の装丁は編集者が手がけたものが多く、大半がクロス(布)装に箱入りで、資材や印刷にも考慮が払われていた。それは「文学書の位置づけが高かった」ためもあるとする。
北園克衛や滝口修造など詩人の装丁にもすぐれたものが多いが、その理由は詩も絵画も「心に見るイマージュにつながるというところに、深い心理的な関係が成立している」という。このような詩と美術が同根であるという文化の形が、現代の文学の世界からは薄れてしまったことに、あらためて気づかされる。このほか臼田には粟津潔(あわずきよし)や杉浦康平ら戦後の代表的な装丁家十人を論じた『装幀時代』(晶文社)もある。単なる飾りとしての装丁ではなく、時には出版社の個性をも表現し、いち早く時代のうねりを感じとり、価値観を先取りしてきた有力作家たちの足跡が、感慨深く語られている。
昨今のように書籍が寿命の短い消耗品として扱われると、装丁も使い捨てのパッケージ感覚に近いものとなる。かつての装丁は、レトロで古風ながら存在感があり、一時代精神を体現していたように思えるのもふしぎではない。装丁論が目立つのは、私たちが本という総合的な文化商品の独自性と意義を、再認識しようとしていることの表れともいえよう。
ALL REVIEWSをフォローする