透明で一元化した理想郷の危うさ
勇気ある本だ。それは、平凡社の創業者である下中彌三郎の評伝を当の平凡社から出すにあたって、ときには厳しい批判の目を向けながら、一切の留保なしにその正と負の言動を描いたからではない。つかみどころのない下中彌三郎が残した膨大な文章にねばり強くつきあい、いわば包摂しながら批評しようと、途方もない労力をかけた作品だからだ。私にはその姿勢は、ヘイト的な言説を吐き散らす者の言葉に根気よく耳を傾け、その人を受け入れつつ批判しているのと同じ姿に見える。支離滅裂すぎて誰もが評伝を書くことを断念したという下中の言葉は、確かにめまいをもたらす。例えば、徹底した男女の平等を説きながら、それは厳格な役割分担のもとでこそ実現できるという。日露戦争を、日本の平和のために必要な戦争だとあおりながら、一方で戦争の暴力性を糾弾する。生涯にわたる思想の遍歴が左右に激しく往還するだけでなく、矛盾して同時には成り立ちえない主張を、エキセントリックに展開する。
中島岳志は、その矛盾をカッコにくくって、下中の情熱がどこを目指しているかを見極める。それは一種のユートピア志向である。誰もが隠しごとを持たない「透明な」人間関係をベースとしたヒエラルキーなき共同体が、天皇の大御心によって実現していくというビジョンである。中島は、すべてが一元化された平等への意志を下中に感じ取り、それが戦前のアジア主義に埋め込まれたつまずきの石であることを批判する。
貧困からのし上がった下中には、特権階級への憎悪と、最下層への共感があったように思う。均質な理想世界への欲望とは、いい目を見た者たちを没落させたいという復讐心でもあったかもしれない。その真摯さと欺瞞に全身全霊でつきあって批判する中島の態度は、今の対立社会を中和させるための重要なヒントとなるだろう。