書評

『花森安治伝: 日本の暮しをかえた男』(新潮社)

  • 2018/10/02
花森安治伝: 日本の暮しをかえた男 / 津野 海太郎
花森安治伝: 日本の暮しをかえた男
  • 著者:津野 海太郎
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(426ページ)
  • 発売日:2016-02-27
  • ISBN:9784101202815
内容紹介:
NHK朝ドラで話題!〈とと姉ちゃん〉と共に『暮しの手帖』を立ち上げた創刊編集長・花森安治。その伝説的生涯に迫る渾身の評伝!

天才的編集者語る決定版

「暮しの手帖」を作った花森安治(1911-78年)の伝記である。敗戦直後の日本で、「生活」ではなく、あえて庶民の貧しい日常と結びついた「暮し」という言葉を選び、「手帖」という洒落た言葉と結びつけたタイトルを持つ雑誌。しかも、その表紙タイトルも本文の見出しも、すべて花森氏独特の手書き文字だった。

「暮しの手帖」は、わたしの少年時代、母親が毎号読んでいて、居間の隅に積み上げられていた。花森氏装幀の表紙も挿絵も、いまも目に浮かぶように思い出せる。表紙の裏には毎号、これは あなたの手帖です/いろいろなことが ここには書きつけてある/(中略)/やがて こころの底ふかく沈んで/いつか あなたの暮し方を変えてしまう」という発刊の辞が掲げられていた。全盛期には100万部を超える国民雑誌だった。

これまで多くの人が、天才的編集者だった花森安治について書いてきたが、津野海太郎のこの本は決定版とも言えるだろう。2013年に単行本として刊行され、今年(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2016年)、文庫本となった。

NHKの2016年度上半期の連続テレビ小説(朝ドラ)「とと姉ちゃん」は、「暮しの手帖」の社長・大橋鎮子をモデルにしている。番組では創刊編集長だった花森安治らしき人物も登場する。そのことに誘われて、わたしは本書を手にし、綿密なライフヒストリーの聞き取りと文献調査、そして津野海太郎の自在な語り口にたっぷりと魅せられた。津野氏は、まるで語りかけるような文体に徹している。そうしないと花森安治という人物に迫れなかったのだろう。何重にもからまった思念の糸が、戦前、戦中、戦後を生き抜いた、激動期のアイデアマンであった花森安治にはあった。

花森安治の書く文章は「花森文体」とも呼ばれた。かな文字が多く、漢字の概念用語にたよらない、日常の言葉で読者に呼びかけるわかりやすい文章。他者からの引用などどこにもない。だから、花森安治を語るのに、概念語はもってのほかだし、生き方についての理念的な分析など意味がない。津野海太郎は驚くべき柔軟さと執拗さで、花森氏の生きた時代の考証と、そこに立つ人間・花森安治の具体像を描く。

特に力が入っているのは、花森氏が戦時中、大政翼賛会実践局宣伝部に勤めて、「ぜいたくは敵だ!」などの標語を作ったという噂を追及していく箇所だ。花森氏はその噂を否定しなかったし、何も語らなかった。しかし、「ぜいたく」というひらかな表記の特徴も含めて、結論的にはやはりこれは当時の花森氏の本音の主張だったと津野氏は読みとる。それほど必死に日本の勝利を願っていたという経緯。そこから戦後の反省が彼に始まる。断固たる反戦思想の構築だ。

一人一人の暮しを大事にすること。それは知識ではなく、実践に尽きると花森氏は考えた。だから、「暮し」を破壊するものに対しては戦う。企業や政府の言いなりにならない。「暮らしの手帖」誌は企業の広告を一切掲載せず、日常製品の商品テストを徹底的にやる研究室を作り、毎号、雑誌で結果を発表した。少年時代のわたしは、商品テストの頁を不思議にワクワクしながら読んでいたことを思い出す。戦後日本の商品の品質向上は、ここから始まったと言ってもよかった。

戦前、戦中の日本人は、自分も含めて「風呂のアカみたいだった」と花森氏は言う。つまり、ブツブツ浮いていて、「こっちへこっちへ寄せてくれば、すくいとられてしまう」のだ。いまだ花森氏の言葉は、現在の日本に通じるのである。
花森安治伝: 日本の暮しをかえた男 / 津野 海太郎
花森安治伝: 日本の暮しをかえた男
  • 著者:津野 海太郎
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(426ページ)
  • 発売日:2016-02-27
  • ISBN:9784101202815
内容紹介:
NHK朝ドラで話題!〈とと姉ちゃん〉と共に『暮しの手帖』を立ち上げた創刊編集長・花森安治。その伝説的生涯に迫る渾身の評伝!

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初出メディア

熊本日日新聞

熊本日日新聞 2016年7月17日

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