著者には「お祭り読書」と名づける読書術がある。新しい問題にぶつかるたびに、それと関連する本を大量に読みまくるというものだ。
齢を重ね、自身を「もうじき死ぬ人」と定義する著者が、「最後のお祭り読書」に選んだのは、これまで敬遠してきた若い研究者の本だった。きっかけは伊藤亜紗『目の見えない人は世界をどう見ているのか』。以降、斎藤幸平『人新世の「資本論」』、森田真生『数学する身体』、小川さやか『チョンキンマンションのボスは知っている』、千葉雅也『現代思想入門』、藤原辰史『歴史の屑拾い』などを読んでいく。いずれも書き手は30代から40代なかばまでの人たちである。
そして著者は気づく。彼らにはかつて大学知識人たちがまとっていたエリート臭が薄いという共通点があること。そのかわり、「街を行き交う人たち」と対話する柔軟な力を身につけていること。
こうした「お祭り読書」の果てに著者が再発見したのはアナキズム、というところが感動的。権力ぬきの助け合いの社会を目指す、かつて鶴見俊輔が夢見たもの。何歳になっても、読書は未来へとつながる。