読書日記
ディヴィッド・トリッグ『書物のある風景』、津野海太郎『最後の読書』、正岡容『月夜に傘をさした話』ほか
書評家などと名乗っていると、子供を本好きにしたいと相談を受ける。親が本を読む姿を見せ、それが素敵(すてき)だという感性を育てること、といつも答えている。
ディヴィッド・トリッグ(赤尾秀子訳)『書物のある風景』は、悩める親にうってつけの一冊だ。古今東西の美術作品から、本を読む、あるいは本が出てくる図版約300点を集め、解説を付した。
「はじめに」で、著者は「何百年も前に描かれた姿であれ、現在のわたしたちとまったく変わらない」と書く。本当にそうだ。
中世のキリスト教写本に描かれる本は、もちろん聖書。アルチンボルド「司書」は、書物だけで肖像を作る。ブレッソンの写真には、上海の露天市で本を読みふける少年の姿がある。ピカソ「横になって本を読む女」は、キュービズムの手法で……。
人は、本を読む姿がもっとも安定して美しいとわかるのだ。少し値が張るが、それだけの値打ちはある。リビングの本棚にどうぞ。
いったい人は、何歳まで読書を続けられるだろうか。晶文社で植草甚一はじめ、多くの著者の本を世に送り、ずっと本と生きてきたのが津野海太郎。今年80歳。「筋金入りの読書家」が、『最後の読書』で老いと読書について考える。
目が弱る、記憶力の減退と、老いを自覚しながら、大先達の鶴見俊輔の姿勢に学ぶ。モーレツな雑書多読少年だった鶴見は、最後まで本を読み続けた。それは、何かのためではなく「いまここで生きるじぶんのよろこびのために読む」と悟るのだ。
小さい活字に腹を立てながら、かつて自分でも「ぎちぎちに詰めこんだ分厚い本を平気でつくっていた」ことに気づく。70年代の晶文社の本、たしかにそうだったなあ。自在な語り口とユーモアが著者の身上で、厳めしい読書論にならずに済んだ。
幸田文、メイ・サートン、山田稔、小沢信男、須賀敦子、金子兜太、そして美智子さまと、出てくる名前だけで豊かな気分になる。
価格の高い本で恐縮だが、ボーナスが入ったから大丈夫だろう。なにしろ『月夜に傘をさした話』は、正岡容(いるる)の単行本未収録作品集なのである。この神田生まれの大衆芸能研究者(1904~58)は、小沢昭一、桂米朝、都筑道夫が師事したというだけで、偉さがわかる。ただし破門が趣味という奇人でもあった。本書では小説、随筆、演芸論など36編を収めるが、口語文体の新感覚派と言いたいほど文章が跳びはねている。都市小説はモダニズム文献としても貴重。限定800部の出版。急げ!
同じ時期、中公文庫からも長山靖生編で『文豪と東京』が出ている。岩波文庫は、ロバート・キャンベル、十重田裕一、宗像和重による3分冊で、同趣向の『東京百年物語』を編む。「2」は1910~40年を扱っている。森鴎外「普請中」に始まり、谷崎、芥川、川端、犀星、乱歩と、文学作品から東京の変遷を読む仕組み。志賀直哉「小僧の神様」の仙吉は神田の秤(はかり)店に勤め、使いに出された京橋からの帰りは歩いて電車賃を浮かす。よく知る物語を「東京」という主題で読み直すことができる。
歳末が近づくと、書店の売り場を大きく占めるのが新年の手帳。年間1億冊が出荷されるという。すべて携帯、スマホで管理できるのに、紙に手書きする習慣が消えないのは面白い。舘神(たてがみ)龍彦『手帳と日本人』は時宜にかなった異色の研究本。世界初の手帳はイギリス。日本に持ち込んだのは福沢諭吉。明治12年に旧大蔵省印刷局が発行した『懐中日記』が日本の手帳の起源、と知らないことばかり。歴史を追いつつ、日本人の時間観や仕事観まで考察。小さいながらも、大きな役目を果たしたのだ。
ディヴィッド・トリッグ(赤尾秀子訳)『書物のある風景』は、悩める親にうってつけの一冊だ。古今東西の美術作品から、本を読む、あるいは本が出てくる図版約300点を集め、解説を付した。
「はじめに」で、著者は「何百年も前に描かれた姿であれ、現在のわたしたちとまったく変わらない」と書く。本当にそうだ。
中世のキリスト教写本に描かれる本は、もちろん聖書。アルチンボルド「司書」は、書物だけで肖像を作る。ブレッソンの写真には、上海の露天市で本を読みふける少年の姿がある。ピカソ「横になって本を読む女」は、キュービズムの手法で……。
人は、本を読む姿がもっとも安定して美しいとわかるのだ。少し値が張るが、それだけの値打ちはある。リビングの本棚にどうぞ。
いったい人は、何歳まで読書を続けられるだろうか。晶文社で植草甚一はじめ、多くの著者の本を世に送り、ずっと本と生きてきたのが津野海太郎。今年80歳。「筋金入りの読書家」が、『最後の読書』で老いと読書について考える。
目が弱る、記憶力の減退と、老いを自覚しながら、大先達の鶴見俊輔の姿勢に学ぶ。モーレツな雑書多読少年だった鶴見は、最後まで本を読み続けた。それは、何かのためではなく「いまここで生きるじぶんのよろこびのために読む」と悟るのだ。
小さい活字に腹を立てながら、かつて自分でも「ぎちぎちに詰めこんだ分厚い本を平気でつくっていた」ことに気づく。70年代の晶文社の本、たしかにそうだったなあ。自在な語り口とユーモアが著者の身上で、厳めしい読書論にならずに済んだ。
幸田文、メイ・サートン、山田稔、小沢信男、須賀敦子、金子兜太、そして美智子さまと、出てくる名前だけで豊かな気分になる。
価格の高い本で恐縮だが、ボーナスが入ったから大丈夫だろう。なにしろ『月夜に傘をさした話』は、正岡容(いるる)の単行本未収録作品集なのである。この神田生まれの大衆芸能研究者(1904~58)は、小沢昭一、桂米朝、都筑道夫が師事したというだけで、偉さがわかる。ただし破門が趣味という奇人でもあった。本書では小説、随筆、演芸論など36編を収めるが、口語文体の新感覚派と言いたいほど文章が跳びはねている。都市小説はモダニズム文献としても貴重。限定800部の出版。急げ!
同じ時期、中公文庫からも長山靖生編で『文豪と東京』が出ている。岩波文庫は、ロバート・キャンベル、十重田裕一、宗像和重による3分冊で、同趣向の『東京百年物語』を編む。「2」は1910~40年を扱っている。森鴎外「普請中」に始まり、谷崎、芥川、川端、犀星、乱歩と、文学作品から東京の変遷を読む仕組み。志賀直哉「小僧の神様」の仙吉は神田の秤(はかり)店に勤め、使いに出された京橋からの帰りは歩いて電車賃を浮かす。よく知る物語を「東京」という主題で読み直すことができる。
歳末が近づくと、書店の売り場を大きく占めるのが新年の手帳。年間1億冊が出荷されるという。すべて携帯、スマホで管理できるのに、紙に手書きする習慣が消えないのは面白い。舘神(たてがみ)龍彦『手帳と日本人』は時宜にかなった異色の研究本。世界初の手帳はイギリス。日本に持ち込んだのは福沢諭吉。明治12年に旧大蔵省印刷局が発行した『懐中日記』が日本の手帳の起源、と知らないことばかり。歴史を追いつつ、日本人の時間観や仕事観まで考察。小さいながらも、大きな役目を果たしたのだ。
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