コラム
廊下で読む
廊下で読む
昔付き合っていた女の子はバスルームで本を読むのが好きだった。ただし、本は買わずにいつも誰かから(たいていは付き合った男から)もらっていた。ぬるめのお湯につかりながらゆるゆると読書するのがなんともいえずいいと彼女はいっていた。ただし、彼女のバスルーム用の本は湿気でみんな少々ふやけていた。なんか本を寄付してというので、すでに若干ふやけていたロレンス・ダレルのアレキサンドリア四部作から、『ジュスティーヌ』と『マウントオリーブ』と『クレア』をプレゼントした。彼女はちゃんと風呂に入りながら、三冊とも読んで「面白い」といってくれた。その前の年、友人たちと若狭湾ヘキャンプをしに行って優雅に読書をしようと思ったら、台風がやって来て塩水を(若干)かぶってしまったが、捨てられずに手元に置いてあったのだ。ただし、『バルタザール』だけは日本海へ流れ出してしまった。だから、彼女はたぶん(後で自分で買うか、ぼくの後に付き合った男からもらうかしなかったとしたら)結末を知らないはずだ――と書いて、まるで短編小説みたいな話だと自分でも思った。たまには私小説でも書いてみようかなあ。いま書かないともうダメかもしれない。だんだん記憶が薄れてくるみたいなのだ。それはともかく、ぼくとしてはバスルームで読書する気にはならない。トイレでもベッドでもダメ。正式(?)に机に向かって、というのと、公園でベンチに座って読む以外で、ぼくが好きなのは廊下での読書だ。
ぼくのところではスペースの関係もあって廊下にも薄い本棚を立てて本を収納している。ただでさえ狭い廊下を更に狭めているのだが、そこに座りこんだり、時には寝ころんで読む。
「なにもそんな狭くて暗いところで読まなくたっていいじゃない!」といいながら家人がぼくの頭の上を跨いでいく。しかし「狭くて暗い」というその感じが読書に適しているのだからしかたない。これはたぶん独房に似ているからだろう(似ていてもトイレではダメな理由は長くなるから書けない)。
さて、廊下で読む本は机に向かって読む本とは若干種類が違う。雑誌・マンガはたいてい廊下で読んでいる。昨日はずっと「VERY」の四月号を読んでいた。この雑誌がターゲットにしているのは「JJ」を卒業した若い奥さん(いわゆる「コマダム」)世代である。この号の特集は「デビュー服」で、それはいいんだけど、中身が「公園デビュー(つまり、赤ちゃんや小さな子供を連れて、はじめて公園に出かけるお母さん向け)に「お稽古デビュー」に「ゴルフデビュー」に「子供の幼稚園デビュー」で、頁を開くと「公園デビューは優しい色づかいを心がけて。友達になりやすい雰囲気が大切です」と書いてあって、ちゃんと(読者)モデルのママさんが写真付きで登場している。「多田香弥子さん」は「子供のベビー服とちぐはぐにならないパステル系でデビュー」して「セーターはシスレーで、ペンドリーノの靴は合皮で雨にも強いのでもっぱら公園履きに」しているのである。ぼくは最初、もしかしてこの特集は冗談なのかと思っていたが、ぜんぜんそんなことはなく超マジメなのだった。しかも、ここには書いてないが、ちょっと雰囲気が合わないと新参者のお母さんは前からその公園で集まっているお母さんたちからシカトされたりするのだそうだ。明らかなイジメである。うーん、日本という国は生きやすいのか生きにくいのか……というようなことをぼくは専ら廊下で考えているのだった。
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