読書日記

鹿島茂「私の読書日記」2017年6月29日号『モンゴル帝国誕生 チンギス・カンの都を掘る』『現代フランスを生きるジプシー 旅に住まうマヌーシュと共同性の人類学』

  • 2017/07/07

週刊文春「私の読書日記」

×月×日

エマニュエル・トッドに関する新書(『エマニュエル・トッドで読み解く世界史の深層』(ベスト新書))を出して以来、頭を離れないのが、トッドが共同体家族と命名したユーラシアに広く分布する家族システムに関する疑問。共同体家族型の共同体の中には、フン族やモンゴル帝国のように、一人の指導者の出現によって原初的な遊牧民が突然に大帝国へと変身するものがあるのはなぜかということである。

これを考える上で大きな参考になったのが白石典之『モンゴル帝国誕生 チンギス・カンの都を掘る』(講談社選書メチエ 1650円+税)。チンギス・カンの出現によるモンゴル帝国の突然の誕生をチンギスの一代記『元朝秘史』の考古学的解読によって解明しようという野心的試みである。

モンゴル帝国誕生 チンギス・カンの都を掘る  / 白石 典之
モンゴル帝国誕生 チンギス・カンの都を掘る
  • 著者:白石 典之
  • 出版社:講談社
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(248ページ)
  • 発売日:2017-06-10
  • ISBN-10:406258655X
  • ISBN-13:978-4062586559
内容紹介:
厳しい自然と良質の馬、鉄資源と交通インフラが大帝国を生んだ。「蒼き狼」チンギス・カンのイメージ刷新を図る、最新考古学の成果。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

著者がまず指摘するのはモンゴル帝国最初の首都であったアウラガ遺跡の発掘調査で判明した意外な事実。チンギスの住まいは「大宮殿」のはずが実際には一辺一七メートルの天幕(ゲル)に過ぎず、「基礎に掘立柱と日干しレンガを使った質素な構造」だった。しかも鍛冶だけに特化した鉄工房が見つかった。どうやら、キーは遊牧生活と鉄にあるようだ。

質素倹約、質実剛健の背景には、遊牧生活が関連していたはずだ。チンギスの実像を明らかにするためには、遊牧生活を知り、その基盤となっているモンゴル高原の自然環境を理解しなければならないと痛感した

しからば、遊牧生活とはなにか? 家畜に最適な環境(水と草)を求めて合理的な移動生活を送ることだ。遊牧といっても無秩序、無計画に移動するのではなく、季節ごとに領域内の最適な宿営地を一年かけて移動する。

一年のうち遊牧民が家畜に心配りしなければならないのは、温暖期にじゅうぶんな草を食べさせて太らせること、寒冷期にも餌を絶やさないこと、春先の出産期に適切なケアをすることに尽きるだろう

しかし、高原の自然環境は複雑で繊細、草原の有する草原力(家畜涵養能力)は自然に大きく左右される。そのため判断ミスは大きなダメージをもたらす。

そのようなダメージを回避する知恵が『遊牧知』だ。遊牧民が伝統的に獲得してきた草原を活かすノウハウだ

著者は、この「草原力」に対する「遊牧知」がチンギス・カンの強大な王権を生む原動力となったと仮定し、その証明を古環境学などの考古学的研究に基づいて行おうとする。

第一に注目されるのはチンギスが一族のジュルキンから奪い冬営地としたバヤン・オーラン山南麓の環境。ここは冬暖かく、モンゴル馬の育成に適していたのだ。そればかりではない。バヤン・オーランは交通の要衝で、隣の大国の金からインゴットの形で運んだ鉄を鍛冶工房で鍛練して軽量で強度のある鉄製品を大量に作り出すのに向いていたのである。鉄製品とは具体的には鐙と轡、鎧甲で、これらが軽装騎兵を可能にし、モンゴル軍団の特徴である機動力を生みだしたのである。

馬と鉄のほかもう一つ重要だったのは道である。チンギスはモンゴル高原を統一すると道路網の整備に乗りだし、宿駅制度や兵站基地の整備も進めて軍事行動の効率化を図った。モンゴル騎兵軍団の兵站確保には道の整備が欠かせなかったのである。

思うに、チンギス・カンのユーラシア制覇の前提となった要素には遊牧民特有の共同体家族の「平等な兄弟」の一致団結という要素も関係していた。「対金戦争でも、ホラズム遠征でも、チンギスの息子たちは前線で活躍した」。しかし、チンギスの死後、四男トルイの次男であるクビライが唯一無二の支配者の称号である「カアン(ハーン)」を名乗る際には、骨肉の争いが起こり、モンゴルは二派に分かれて激しく争うことになる。これもまた共同体家族の宿命だったのである。

馬、鉄、道という、モンゴル帝国成立の必須条件を考古学的観点から考察することで、考古学が人文科学と自然科学を結ぶハブ的な学問であることを見事に例証した好著である。

×月×日

遊牧民はモンゴルを始めユーラシアの各地にいまでも残っているが、じつはヨーロッパの都市部にも、住居を定めず、一定の区域を回遊しながら生活している移動生活者が残存している。ロマ(88%)、ジタン/カーレ(10%)、マヌーシュ/シンティ(2~3%)などの下位集団からなるジプシーと総称される人々がそれで、左地亮子『現代フランスを生きるジプシー 旅に住まうマヌーシュと共同性の人類学』(世界思想社 5200円+税)は、南仏ポーのマヌーシュ共同体に観察参加を試みた女性人類学者の論稿である。問題設定は全体として定住化の傾向を示しながらもキャラヴァン(キャンピング・トレーラー)住まいを止めないマヌーシュの心理と身体的な実践を探りながら、「キャラヴァンに住まうこと」と「マヌーシュであること」の関係性を明らかにすることである。

現代フランスを生きるジプシー―旅に住まうマヌーシュと共同性の人類学 / 左地 亮子
現代フランスを生きるジプシー―旅に住まうマヌーシュと共同性の人類学
  • 著者:左地 亮子
  • 出版社:世界思想社
  • 装丁:単行本(304ページ)
  • 発売日:2017-02-24
  • ISBN-10:4790716945
  • ISBN-13:978-4790716945
内容紹介:
なぜ彼らは旅人であり続けるのか?都市周辺の空き地に移動式住居(キャラヴァン)をとめて暮らすフランスのマヌーシュ。"住まう"という社会的かつ身体的な実践を通して、社会変化と他者の只中で共同性を紡ぐ人々の姿を描きだす。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

注目したいのは、公営の集合宿営地などのマヌーシュの拡大家族集団には共同体を示す言葉がなく、権威者やリーダーがいないということ。「拡大家族や共同体のまとまりがみられても、その内部にはそれぞれに自律的な決定権をもった家長である、結婚し子をもつ成人男子が存在するのみで、個別家族の単位を超えて拡大家族や居住地住民の全成員を統率する特定の人物は不在なのである。また、ポーのマヌーシュ共同体では、政治的なリーダーの不在に加え、父親の権威も限定的である。(中略)既婚の子には主体的な選択が認められ、息子は父親の仕事を手伝うことはあっても協働は義務ではない」。

こうしたリーダーの不在はモンゴルなどの共同体家族とは明らかに異なる。マヌーシュ共同体は、むしろ、父親に権威が与えられて共同体の構造化が行われる以前の起源的核家族的特徴をもっているといっていい。では、リーダー不在の拡大家族集団はどのようにして集団の規律を保ち、自治を行っているのだろうか? じつは、それこそが「旅」であり、その「旅」を潜在的にいつでも可能にするのがキャラヴァンなのである。

共同体内部の争いを調停する政治的組織をもたないマヌーシュ社会において、移動は家族間対立の解消手段としてもっとも一般的な方法とされていた。(中略)ある二つの家族集団間に不和が生じると、どちらか一方の家族集団が移動を再開し、物理的な分離をはかる

しかし、定住化の傾向により、キャラヴァンでの移動が頻繁に行われなくなり、集合宿営地にキャラヴァンが留まったままになると、緊張関係が生まれストレスフルな共同体に変化する。その結果、マヌーシュの中には、集合居住地ではなく、個々の家族の私有地を望むものが増えてくる。

しかし、不思議なことに、たとえ私有地(家族用地)を所有し、固定式の家屋をそこに建てたとしてもマヌーシュたちはキャラヴァンを「エスカルゴの殻」と認識して、常にそこに寝泊まりし、固定家屋は食堂やアメニティー空間としてのみ利用する。なぜか?

「家族用地は、占有権を認められた土地であるために『いつでも自由に戻ってくることのできる』、そしてそれがゆえに『いつでも自由に出発することができる』という移動の自由をマヌーシュに与え、彼らの経済活動の積極的な行使を導くのである。(中略)つまり、マヌーシュ家族にとってキャラヴァンをとめるための家族用地を保持することは、現代の定住民社会の制度のなかにありながら、実現可能なノマディズムを展開するための方法なのである」

マヌーシュ社会には定住民の「個」と「共同体」の窮屈な関係を乗り越えるための先祖の知恵が隠されているのかもしれない。人類学研究の大きな収穫の一つといっていい。
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