読書日記

鹿島茂「私の読書日記」2017年5月25日号『コーヒーの科学 「おいしさ」はどこで生まれるのか』『忘れられた人類学者 エンブリー夫妻が見た〈日本の村〉』

  • 2017/07/09

週刊文春「私の読書日記」

×月×日

私の自慢の一つはおいしくコーヒーをいれる簡単な方法を知っていること。すなわち、まずペイパー(orネル)のドリップ式コーヒー・メーカーに2人分のコーヒー粉を入れる。水は本来なら二人分のはずだが、これをあえて1.5人分に抑える。それと同時に別にお湯を沸かす。コーヒーの透過抽出が完了したら、ポットに0.5人分のお湯を注ぐ。これでおしまいである。後はそれぞれのコーヒー・カップにポットからコーヒーを注ぐだけ。疑い深い人はこの方式と普通のやり方を並行テストしてみるといい。結果は歴然としているから。

旦部幸博『コーヒーの科学 「おいしさ」はどこで生まれるのか』(講談社ブルーバックス 1080円+税)は私のコーヒーのいれ方がなぜ正しいか、「抽出の『やめどき』が重要」という項目でしっかりと解説してくれている。

コーヒーの科学 「おいしさ」はどこで生まれるのか  / 旦部 幸博
コーヒーの科学 「おいしさ」はどこで生まれるのか
  • 著者:旦部 幸博
  • 出版社:講談社
  • 装丁:新書(320ページ)
  • 発売日:2016-02-19
  • ISBN-10:4062579561
  • ISBN-13:978-4062579568
内容紹介:
毎日のコーヒーがおいしくなる!最先端の科学が解き明かす味と香りの秘密や家庭でもできる上手な淹れ方、意外な効能などを紹介。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

浸漬式のコーヒープレスでは『長く抽出しすぎると雑味が出る』ため、適切なタイミングで抽出を止めることが重要と書かれていますし、透過式のドリップでも『おいしい成分が先に出て、その後に雑味が流れ出てくる』という文章を見かけます。どの説明でも概ね一致しているのは、抽出後半に雑味が出るので適切なタイミングで抽出を終えるのが大事、ということです。これを理論モデルに重ねると一つの経験則が見えてきます。浸漬抽出は『時間が経つにしたがって』、透過抽出では『流出量が増えるにしたがって』、溶け出しにくい成分の割合が増えてきます。これに伴って雑味も増える、つまり水に溶け出しにくい成分の中に『まずい成分』が多いことが予想されるのです

では、後のほうから抽出されてくる「まずい成分」とは何なのだろう? これに対する科学的な答えは以下の通り。

長く出しすぎたコーヒープレスやドリップの出涸らしを嘗めてみると、コーヒーらしい苦味とはまた別の、舌に長く残る苦味や渋みの存在が感じられます。このような苦渋味を持ち、かつ比較的親油性が高い成分には、メイラード反応が進むと生成される『悪いお焦げ』、コーヒーメラノイジンA(134頁)や、エスプレッソっぽい苦味のVCOがさらに縮合した重合物(ビニルカテコールポリマー)などが挙げられます。4章でも触れたように、親油性の高い物質は唾液によって洗い流されにくく、口腔内に長時間留まります。それが苦渋味のような嫌な味を持つなら、一層強烈に『まずい味』だと感じるでしょう

副題にあるように、コーヒーの「おいしさ」がどこから来るのかをあくまで科学的に考えようとした好著であり、コーヒー豆(じつは豆ではない)本体や焙煎のどこが「おいしさ」をもたらすのかが、実験的に証明されてゆく。また、疫学的な統計から割り出される「コーヒーは肝臓がんの発症リスクを減らすが逆に膀胱がんのそれを増やす」という仮説に対してもいかにも科学者らしい説明がなされているので納得。

『コーヒーを飲む人の方が膀胱がんのリスクが高い』と『コーヒーを飲む人の方が肝がんのリスクが低い』は、現時点ではそれなりに根拠がある内容ですが、それを聞いた人がもし膀胱がんになったら、真実かどうかにかかわらず『コーヒーのせいでがんになった』と考えても仕方ありません。また別の人が肝がんになったとき『コーヒーを飲んでいたのにがんになった。コーヒーなんて効かないじゃないか』と考えるのも仕方ないでしょう

ふーむ。それにしても、肝臓がんと膀胱がんというこのトレードオフ、コーヒー好きには悩ましい「究極の選択」である。
 

×月×日

エマニュエル・トッドの理論を解説する明大の講義にインタビューを加えた語り下ろし原稿の初校が連休前に上がってきたが、結局、全面書き直しに。連休進行もあってギリギリのタイミングで校了に間に合った。

田中一彦『忘れられた人類学者(ジャパノロジスト) エンブリー夫妻が見た〈日本の村〉』(忘羊社 2000円+税)は、一九三五年に熊本県球磨郡須恵村に住みついて人類学的調査を行ったジョン・エンブリーとその妻で同じく人類学者のエラという、いまでは忘れられた二人のジャパノロジストの伝記と両者の著作『日本の村・須恵村』『須恵村の女たち』の紹介だが、なによりも引用・要約された二人の観察が素晴らしく、トッドの家族人類学を見事に例証するかたちになっている。

忘れられた人類学者   〜エンブリー夫妻が見た〈日本の村〉 / 田中一彦
忘れられた人類学者 〜エンブリー夫妻が見た〈日本の村〉
  • 著者:田中一彦
  • 出版社:忘羊社
  • 装丁:単行本(320ページ)
  • 発売日:2017-02-17
  • ISBN-10:4907902166
  • ISBN-13:978-4907902162
内容紹介:
アメリカから来た若き俊英とその妻が農耕から子育て、祭り、宴会、性、近代化まで、感動と共に記録した戦前のニッポン――。

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まず、須恵村の家族類型はというと、「①小家族(戸主と妻、長男夫婦とその子ども、および主人の未婚の子どもから成る)、②隠居した祖父母、③若い未婚の兄弟や夫と別れた姉妹、④家事や農事の手伝いをする奉公人――を含む」というから、共同体家族ではなく直系家族である。直系家族であることは「長男は『幸運』で、戸主権とそれに付随した社会的地位、物質的財産を相続する。しかし次男にも利点があり、裕福な家では長男よりむしろ次男に教育を受けさせる。町に移住し、好きな職業を選ぶこともできた」という記述からも傍証できる。婚姻はというと外婚性。「妻はほとんどが部落外の者で、男は部落生まれである」。ただし、いとこ婚もあるが、交差いとこ婚と平行いとこ婚のどちらが禁忌されるかは夫妻で見解が異なっている。家名存続と家系尊重のために養子縁組が不可欠というところは、日本的直系家族の特徴そのものである。

家の性格についてジョン・エンブリーは「家族一人々々が、自分自身のためではなく、家のために働き、……この世帯の協同的統一性は、さまざまの関係に影響している」と「協同」の重要性を指摘し、同じ構造が家と村の小単位である部落との関係にも当てはまるとしている。「これらの世帯の群はひとつの井戸を使い、共同して髪油を搾ったり、田植えには労力を交換しあったり、互に交代に風呂を使ったりしている。通常には『組』とよばれる小さな共同作業の単位をつくるのは、このような家の群である。接近して住んでいるので孤立性はなく、世論が強く作用して、各部落の生活を特徴づけ、その社会的統合を強めもし、補いもするように、地理的単位を与えている」。

そのため、村のすべてが「協同(はじあい)」の顕著な特徴を示している。経済は贈与経済であり、労働は「かったり」(無償の交換労働)、手伝い・加勢(家屋の建築、非常事態、葬式)などが中心で、社会は「ぬしどり」と呼ばれる世話役が調整役となる当番制の自治システムで律せられて、金融は「講」という互助システムで運営されている。

と、ここまでの記述では、須恵村は直系家族そのもののように見えるが、しかし、エラが観察した須恵村の女たちを見ると、そこには九州の基層をなしていた起源的核家族の痕跡が認められる。

「夫妻は『ここでは十九歳以上で処女のものはいないだろう』と思っていた。四十代のある女性によれば、かつて『結婚のときに処女であることはそんなに望ましいことではなかったし、女の子はすべて十八歳ぐらいになると処女を失った』と言う」。また、結婚は家が決めるものという通念に反してエラはこう断言する。「日本の農村社会に関する文献からは考えられないほど、須恵村の女たちは、結婚や離婚などで、予想のできないほどの著しい自立性を見せていた」。つまり女性の意思による離婚と再婚が多く、妻の不貞もエンブリー夫妻の予想をはるかに超えていたのである。村の女はエラの質問に「ええ、しますばい。ここの女たちはしばしば、夫とは別の男ば持っとる。女たちは夫のおらんときに、その男と会うとです」と答えたという。夜這いも盛んだったが女には拒否権があった。

ことほどさように、熊本の草深い農村においても、日本の戦前は、決して真っ暗ではなかったのである。
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週刊文春 2017年5月25日

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