読書日記

ジェームズ・C・スコット『反穀物の人類史』(みすず書房)、古松崇志『草原の制覇 大モンゴルまで』(岩波書店)

  • 2020/09/29

農耕国家と無国家民

×月×日

終焉の気配を見せないコロナ禍に文明世界が軋みをみせている。しかし、ジェームズ・C・スコット『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』(立木勝訳 みすず書房 三八〇〇円+税)によると、人類は定住と集住を選び取って以来、動物原性感染症との戦いを運命づけられていることになる。

流布された文明史では、乾燥地帯での灌漑事業の必要から国家形成が促されたということになっているが、著者によるとこれは現在の気候条件と地理的環境に目をくらまされた誤りで、「最初の大規模な定住地は、乾燥環境ではなく湿地帯で発生した」。文明発祥の地とされたメソポタミアは沖積層が現在よりも低く「むしろ狩猟採集民の天国ともいうべき湿地帯だった」。つまり、メソポタミアの楽園性が定住化を促したのである。

しかし、そこから単一穀物の作物化と動物の家畜化が行われるまでには四〇〇〇年以上の年月を要した。長い間、人類は作物化と家畜化の必要を感じなかったということなのだ。

固定された畑で農業や牧畜を営めば、そのための苦役は急激に増大するとわかっているのに、なぜ狩猟採集民はそんな選択をしたのだろう。集団でこめかみにピストルを突きつけられたのでない限り、とても正気の沙汰とは思えない。

この疑問はほとんどの歴史家に共有されているのだが、「こめかみに突きつけられたピストル」に当たるものが何であるかについては意見がわかれ、さまざまな仮説が立てられている。すなわち、気候温暖化による人口の増加、乱獲による野生動物の減少、地球の乾燥化などだが、著者は少なくともメソポタミアにはこれらは当てはまらないとして退け、新たな仮説を持ち出す。メソポタミアでは灌漑農法の反対の氾濫農法、つまり「毎年の川の氾濫で堆積する肥沃なシルトに種を播く」類いの減水農法が中心で、「最も労働力を節約できる農業形態」だった。いいかえると、メソポタミアでは初期農業に適した土地だったことが定住化・集住化を促したのだが、それにより人口圧が増大し、国家の誕生へと進んだというわけではないようだ。定住化・集住化には人口増加を妨げる要因が含まれていたのだ。

作物栽培が大きく広がるよりずっと早く、定住からだけでも群集状況は生まれていて、病原菌の理想的な「肥育場」となっていた。メソポタミア沖積層で大規模な村落や小規模な町が成長したということは、ホモ・サピエンスがそれまで経験したことのない、人口密度の10倍増、20倍増が起こったことを意味している。群集と病気流行の論理は単純明快だ。

つまり、メソポタミアにおいても「三密」によって感染症が爆発的に広まったのだ。おまけに、人間ばかりか家畜も集住し、それに伴って片利共生生物(ネズミやノミ、シラミ)も集まってきたし、人間や家畜の排泄物もあらたな感染症を招き寄せる結果となった。では、感染症によって打ちのめされた人々は移動する狩猟採集民に戻ったのだろうか? どうも、そうはならなかったらしい。

「狩猟採集民と比べて全般的に不健康で、幼児と母親の死亡率が高かったにもかかわらず、定住農民は前例がないほど繁殖率が高く、死亡率の高さを補って余りあるほどだったのだ」。狩猟採集民は移動の負担があるので子どもをつくるのに四年ほど間隔を開けなければならないが、定住民なら毎年、子どもを生める。この繁殖率の差が、長い間に、感染症リスクを克服して、人口増を促し、人間を定住化に向かわせたようである。そして、定住化による人口圧が「こめかみに突きつけられたピストル」となって、メソポタミアの人々を功利的には理に合わない農業(穀物の作物化)へと導いたのだろう。だが定住化と農業革命が起こったとしても、そのまま国家の誕生へとつながったわけではない。では、農耕民の部族社会から国家への飛躍のきっかけはどこにあったと考えるべきなのだろうか?

この点に関しては、著者は紀元前三五〇〇—二五〇〇年の時期に海水レベルが急激に下がり、ユーフラテス川の水量が減少して、耕作可能な場所が減少して人口が一カ所に集中したことが原因というニッセンの説を採用している。「結果として乾燥は、国家作りになくてはならない下女となり、この時代に、これ以外にはないという方法で人を集め、穀草穀物を集中させて、萌芽的な国家空間に送り込んだのだった」。

こうした萌芽的な国家にとって決定的だったのは穀物である。穀物が国家を作ったのである。「穀物が地上で育ち、ほぼ同時に熟すということは、それだけ徴税官は仕事がしやすいということだ」。徴税官は穀物の実る時期に到着すれば一回の遠征で税の査定ができる。イモやマメではこうはいかない。「穀物と国家がつながる鍵は、(中略)目視、分割、査定、貯蔵、運搬、そして『分配』ができるということだ」。

このように、初期国家は穀物を作る農民を城壁の中に囲い込み、奴隷化して、労働の剰余価値を掠めとることで成立したが、しかし、その一方でひどく脆弱なものでもあった。原因としては、感染症の蔓延、燃料確保のための森林破壊、灌漑用水による塩類化、それに戦争や外敵(その多くは城壁外の「野蛮人」)の侵入と破壊などがあった。とりわけ、城壁外の「野蛮人」、すなわち移動性の狩猟採集民などの無国家民はこうした初期国家を「集中的な採集ができる最高に魅力的な場所」と見なし、その捕食者となって甘い汁を吸い、肥大化していったのである。つまり、国家が成立して巨大化するということは、その捕食者である無国家民も強力になっていったということを意味する。著者はこれを「野蛮人の黄金期」と呼ぶ。なるほど中国でもローマ帝国でも図式は見事に当てはまるようである。

反穀物の人類史――国家誕生のディープヒストリー / ジェームズ・C・スコット
反穀物の人類史――国家誕生のディープヒストリー
  • 著者:ジェームズ・C・スコット
  • 翻訳:立木 勝
  • 出版社:みすず書房
  • 装丁:単行本(312ページ)
  • 発売日:2019-12-21
  • ISBN-10:4622088657
  • ISBN-13:978-4622088653
内容紹介:
豊かな採集生活を謳歌した「野蛮人」はいかにして原始国家に隷属し家畜化されたのか。農業革命への常識を覆し、新たな歴史観を提示。

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×月×日

農耕を拒否する無国家民と農耕国家との関係が特権的に観察されるのはユーラシアの東方である。そこでは南の中原の農耕王朝と北の草原を疾駆する遊牧民が何千年にわたる抗争を繰り広げてきたが、これまで遊牧民については文字資料の欠如のため研究が遅れていた。それが契丹における考古学的発見により研究は新たな段階に入った。古松崇志『シリーズ 中国の歴史③ 草原の制覇 大モンゴルまで』(岩波新書 八四〇円+税)はこうした成果を取り入れた「ありそうでなかった遊牧王朝の通史」である。

『反穀物の人類史』によると、農耕王朝と遊牧王朝の関係は、暴利を貪る風俗営業とヤクザの関係に譬えられる。すなわち①みかじめ料(贈物)と引き換えに嫌がらせ(侵入)を停止する②他のヤクザからの保護を目的とした傭兵化③ヤクザによる支配権の強奪だが、実際、中原の農耕王朝と遊牧王朝の関係はこのいずれかであったようだ。

漢と匈奴の関係は①だろう。「漢は匈奴に屈服し、多額の貢納を送り、兄弟関係を結んで和親した」。鮮卑拓跋部(せんぴたくばつぶ)の建てた北魏王朝は③で、以後、北斉、北周、隋、唐、元、清もこれを踏襲する。統一王朝となった唐が辺境支配を確立したのは②による。「彼ら[東突厥遺民の遊牧民]は、遊牧集団の部族組織を維持したまま、族長などの指導者が唐朝が設けた都督府・羈縻州の都督や刺史に任じられ、唐朝が間接統治をおこなう羈縻支配のもとに入ったのである」。

契丹と北宋の関係は①に近いが、「澶淵(せんえん)の盟」が結ばれたのだから、むしろ平和共存というべきもので、著者はこれを「澶淵体制」と呼び、「その後のユーラシア東方の王朝間関係のモデルになったという点」でおおいに注目すべきであるとしている。

農耕王朝と遊牧王朝の抗争と和睦の歴史を概観することで中国史に新しい光を当てた画期的な一冊といっていい。

草原の制覇: 大モンゴルまで / 崇志, 古松
草原の制覇: 大モンゴルまで
  • 著者:崇志, 古松
  • 出版社:岩波書店
  • 装丁:新書(241ページ)
  • 発売日:2020-03-21
  • ISBN-10:4004318068
  • ISBN-13:978-4004318064
内容紹介:
五胡十六国時代から大元ウルス一統まで,騎馬軍団が疾駆する広大なユーラシア東方を舞台に展開する興亡史.

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週刊文春 2020年9月17日

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