読書日記

竹村公太郎『広重の浮世絵と地形で読み解く 江戸の秘密』(集英社)、アニエス・ポワリエ『ノートルダム フランスの魂』(木下哲夫訳・白水社)

  • 2021/06/28

広重の江戸とパリのノートルダム

×月×日

昔、翻訳をしていたときに学んだ言語学用語の一つに関与性(pertinence)の原則というのがある。たとえば樹木を対象とする場合、文学的視点からは樹木の発熱量は関与的ではないし、また熱力学的視点からは樹木の詩情は関与的ではない。つまり、同じ対象でも専門分野が異なると、関与する入力がまったく異なってくるので、出力もまた異なるというわけだが、竹村公太郎『広重の浮世絵と地形で読み解く 江戸の秘密』(集英社 二三〇〇円+税)はまさにこうした「関与性の原則」の良きサンプルになる考察である。なぜなら、土木行政官という関与性から広重の浮世絵を眺めると、これまでには気づかれなかった江戸の姿が浮かび上がってくるからである。

広重の浮世絵の特徴は、絵の中心的なテーマとはあまり関係ないように見える背景を、繊細に描いているところです。その背景に描かれた部分に、長年ダムや堤防を造り続けていた、土木屋魂が反応してしまうのです。

こうした土木屋魂による広重解読の最たるものは「よし原日本堤」だろう。寒空の夕暮れ、辺鄙(へんぴ)な日本堤を大勢の男たちが歩いている。日本橋・葦屋町から移転した遊郭・吉原がこの先にあるからだが、元土木行政官はふと疑問を抱く。当時の江戸には人里離れた場所は他にもあったはずなのになぜ日本堤の先に吉原を移転したのか、と。ちなみに日本堤とは水害防止のために、全国の大名から集めた金で二カ月の突貫工事で建造された堤防である。土木的答えはこうだ。「そこに遊郭街を移転させれば、江戸中の男たちは、否応なく、日本堤を歩いて通うことになる」。つまり遊郭通いする男たちの足で堤防が踏み固められるし、万一決壊があっても早期発見が可能になるというわけだ。また対岸の隅田堤に大量の桜が植えられたのも花見客の足で堤防を踏み固める目的からだった。

同じく「浅草田甫酉の町詣」は、吉原遊郭の二階の窓から白猫が外を眺めている図だが、著者は窓下の田甫がマンション五階からの眺めに見えることに疑問を抱く。調査の結果、土手の標高は十メートルなのに吉原遊郭は標高十四メートルの盛り土の上に建てられていることが判明する。盛り土の理由は? ヒントは秀吉の大坂の町づくりにあった。秀吉は大坂を城下町にするさい、難攻不落の本願寺が湿地帯に突き出した上町台地にあったことに着目し、この場所に「軍事的には難攻不落の城を造り、自然流下で排泄物が海に行く衛生的な町を造り、魚介類豊かな食道楽都市・大坂を誕生させた」のだが、著者は吉原遊郭の盛土はこれを応用したのではないかと推測する。盛土の高低差を生かして吉原の排泄物を木樋で流し、これを農家が肥料として利用できるようにしたのではないか。「遊郭の周辺には農地が広がっていました。遊郭と農業との見事な循環世界が成立していったのです」

ところで、江戸といえばこの町自体が家康の遠大なヴィジョンに基づく計画都市であるが、それを雄弁に示すのが、田園を背景に丹頂鶴が二羽手前に配された構図で知られる「箕輪金杉三河しま」である。丹頂鶴がいるのは江戸城の北側・東側に湿地帯が広がり、ドジョウ、小魚、カエルなどの獲物が生息していたためだが、じつはこの事実は、秀吉によって江戸に移封された家康が都市計画の第一歩として、利根川の流れを江戸湾から銚子方面へと変える決断をしたことと深く関係している。つまり、これにより利根川の氾濫原だった江戸の北東方面は次第に乾田化し、実り豊かな関東平野の穀倉地帯へと変わって大江戸の胃袋を支えたからだ。ただし、丹頂鶴の描かれた三河島の一帯は河口付近の低地帯だったこともあり、広重の時代にもまだ湿地帯にとどまっていたという事実を示しているのだ。

ことほどさように、天才的な土木技師・家康は河川を制することで江戸を制し、ついで二百もの大名に同じ道を歩ませることで外へ膨張するエネルギーを内側に閉じ込め、徳川三百年の平和を築いたのである。土木行政という関与性から広重の浮世絵を眺めたときにあらわれてくる意外な真実が好奇心を刺激する。異分野研究の大きな成果といっていい。

広重の浮世絵と地形で読み解く 江戸の秘密 / 竹村 公太郎
広重の浮世絵と地形で読み解く 江戸の秘密
  • 著者:竹村 公太郎
  • 出版社:集英社
  • 装丁:単行本(272ページ)
  • 発売日:2021-04-26
  • ISBN-10:4087817008
  • ISBN-13:978-4087817003
内容紹介:
『日本史の謎は「地形」で解ける』シリーズで30万部以上売り上げた竹村公太郎氏が広重の浮世絵から江戸の地形や仕組みの謎に挑戦!

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×月×日

パリのノートルダム大聖堂が大火に見舞われ、尖塔と天井が崩落したのは二〇一九年四月十五日の夜だった。あれからすでに二年がたつが、コロナ禍の中で再建は進んでいるのだろうか?

アニエス・ポワリエ『ノートルダム フランスの魂』(木下哲夫訳 白水社 三〇〇〇円+税)はあの夜の大混乱をルポルタージュ風に活写しながら、ノートルダムの歴史を溯り、そこから現代へと降りてきて最後を再建への歩みで締めくくったドキュメンタリーで、副題の通り「フランスの魂」でありつづけたノートルダムという歴史的建造物の来し方行く末を見事に描き出している。

四月十五日の夕方、「鮮黄色の煙が渦を巻き空に舞うのが台所の窓越しに」目に入った著者は驚いてアパルトマンの階段を駆け降りて、ノートルダムの南の薔薇窓の真向かいに立った。「赤と橙の焔が屋根から吹き上げ」、群衆が沈黙とすすり泣きで見つめる中、北塔からは黒煙が立ちのぼってきた。

ナレーションは第一章に入ると、この夜、ノートルダムを崩壊から救うべく必死の努力を続けていた責任者たちを同時進行で追っていく。中で注目すべきはパリ消防隊司令官ジャン=クロード・ガレ准将だろう。パリ消防隊は正しくはパリ消防旅団といい、フランス陸軍に属する消防工兵部隊で、旅団だからその長は准将である。訓練の厳しさで知られ、ヘルメット着用の制服姿で二・四メートルの高さに設置された小さな厚板に懸垂でよじ登り板の上に立つというテストに一日二回合格しないと任務に就くことが許されない。なぜかといえば、パリの歴史建造物の多くは建物の外側から水をかけると崩壊の恐れがあるため消火は内側からしかできないのだ。つまり、消火中に床が崩落しても壁にしがみついて脱出することが要求されるのだ。

ノートルダムの消火に乗り出した消防隊員たちは実際にこの試練に立たされる。八個の巨大な鐘を収めた北の鐘塔に火が移っているのが発見されたからである。木の枠組が燃えつきれば鐘は落下し、塔全体が崩落するのは明らかだ。ガレ准将はマクロン大統領に特殊救助エリート部隊五十名を二つの塔に派遣して至近距離から白兵戦のように火に挑まなければならないと説く。「明日の夜明けにまだ塔の立つ姿を見たいのなら、これが我々に残された唯一のチャンスです」。マクロンはためらうことなくゴー・サインを出した。

北塔はいまや十メートルの焔を吹き上げ、地獄の様相。二組の鐘を隔てる床が燃えている。そこを這い上がらねばならない。先頭を行く副隊長が階段を一段ずつ慎重に試し、隊員がすぐ後に続く。鐘を見る前に、すでに燃え尽きた一段が体重を支えきれずに崩れ落ちる。鐘楼に落下しかかったものの、酸素ボンベがすぐにひっかかり、惨事は免れた。

ガレ准将が北塔の火災が下火になったと大統領に報告できると確信したのは午後十一時だった。ノートルダムはすんでのところで大崩壊を免れたのである。

このようなドキュメンタリー文体で、パリ司教モーリス・ド・シュリーによるノートルダム建立、アンリ四世のパリ入城、ナポレオンの戴冠式、ユゴーのノートルダム再発見、ヴィオレ=ル=デュクによるノートルダム修復、ド・ゴール将軍のパリ解放と、ナレーションは進んでいき、最後はノートルダム再建を巡る論争と資金集めで締めくくる。

ノートルダムとパリとフランスをこよなく愛する者には必読の一冊である。

ノートルダム:フランスの魂 / アニエス・ポワリエ
ノートルダム:フランスの魂
  • 著者:アニエス・ポワリエ
  • 翻訳:木下 哲夫
  • 出版社:白水社
  • 装丁:単行本(240ページ)
  • 発売日:2021-03-26
  • ISBN-10:4560098344
  • ISBN-13:978-4560098349
内容紹介:
2019年4月15日、世界遺産である築850年の大聖堂が炎に包まれた。その比類ない歴史を見つめ、国家の象徴となった道程を辿る

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